2018年5月13日      復活節第7主日(昇天後主日)(B年)

 

司祭 サムエル 門脇光禅

「イエスさまのお祈り」【ヨハネによる福音書17:11C〜19】

イエスさまは十字架にかかる前に「決別の説教」を弟子たちにしました。そのあとでこの有名なお祈りを行いました。これは「牧会の祈り」とも言われています。この箇所にはイエスさまの教えがたくさん詰まっています。まず、弟子に関することが語られています。
1)弟子は神さまからイエスさまに与えられた者であるということです。
  神さまの霊が私たちの心を揺り動かしてイエスさまの訴えに応答させるという意味なのです。
  私たちの心が愛と献身に燃えてイエスさまへと出てゆくときそこには神さまの霊が働いているとい
  うことです。
2)次に栄光は弟子たちを通してイエスさまに現れるということです。
   例えばお医者さんに栄誉をもたらすのは彼(彼女)が癒した患者ということです。
   また、先生に栄誉をもたらすのは、彼(彼女)が教えた生徒たちということです。
   そして、コーチに栄誉をもたらすのは彼(彼女)が鍛えた選手ということなのです
   ですから同じようにイエスさまに栄誉をもたらすのはイエスさまが救い出し、贖い、回心した人と
   いえるわけです。キリスト者としての生活を送るようにされた人間こそイエスさまの栄誉なのです。
3)弟子はイエスさまからするべき仕事に任命されているという事実です。
   神さまがイエスさまを派遣されたように、イエスさまはご自分の弟子たちを派遣されます。
   イエスさまは最初に、自分が祈るのは世のためではない言う言葉で始めています。それではイエ
   スさまは世に来たのはなぜなのか?それはそれほどまでに「神は世を愛された」からなのです。
   ヨハネの福音書においての世という言葉は「神なしにそれ自体で組織されている人間社会」を
   あらわしています。イエスさまがこの世に来られたのは世のためになすこと、世を神さまへと引き
   戻すため、世をそのことについて気づかせるために弟子たちをその中に送りだす目的なのでし
   た。
さらにイエスさまが弟子たちに2つのものを与えたことを教えています。
1)イエスさまは彼らに喜びを与えたということです。イエスさまが彼らにいうすべてのことは、彼らの喜
  びとなるようにはかられていました。
2)同時に、イエスさまは彼らに警告を与えています。イエスさまは彼らが世から区別されており世から
  期待しうるものは憎しみ以外にないことを教えられたのです。
  彼らの価値観彼らの規範は、世のそれとは異なっていました。この世の求めの敵対に直面してはじ
  めてキリスト者としての喜びに入ることができるのです。
  そして、イエスさまは最大級の主張をされています。
 イエスさまは神さまに「17:10 わたしのものはすべてあなたのもの、あなたのものはわたしのものです。」とおっしゃいました。
 わたしのものがすべてあなたのものというのはよくわかるのですが驚くべきは後半部の言葉です。「あなたのものはわたしのものです」といわれました。
 イエスさまはこれほどはっきり神さまとの一致、同一性を生き生きと言い表したことはありませんでした。
 イエスさまはここにおいて初めてご自分を神であることをはっきりと宣言したのです。