2018年8月12日     聖霊降臨後第12主日(B年)

 

司祭 クレメント 大岡 創

「イエスは命のパン」に想う・・

 今日の福音書には「わたしは命のパンである」といイエスさまの言葉が三回も繰り返して用いられています。特定12の福音書にも「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」と舟を漕ぎ悩む弟子たちに向けてイエスさまが言われた言葉をも思い出します。このように、自然界を支配する力や神の力が現れたときの言葉として、そしてイエスさまと神さまが一体であり、神さまから遣わされた方であることを強く思わされます。そのことを確認することが信仰なのでしょう。
 イスラエルの民がエジプトを脱出し、荒れ野を放浪して飢えに苦しむとき、天から与えられたマンナで満たされました。イエスさまはただパンを与えるだけでなく、ご自身が「天から降ってきた生きたパンである」と言われました。さらに「このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる」と仰いました。
 わたしたちの人生の課題の一つは、生きるための日々の糧を得ることです。そのために誰しもがエネルギーの大半を費やしているのが現実です。しかし、日々の糧を得られなくなると大半の人は不安になり、中には魂をも売り渡してしまう人も出て来ます。それほど弱い存在です。
 エジプトを脱出した人々も、そのことで苦しみました。人間が神さまの存在を認めることの歴史でもありました。でも、日々の糧は、その歩みを続けていく手段でしかありません。今日のみ言葉は、食べることしか頭にないのとは、少し次元が違うものです。この霊的な次元を受け入れることができなければ、表面的なものは直ぐになくなってしまうというのです。そのような弱いわたしたちのために語りかけてくださっています。しかし、神さまから見れば、かけがえのない存在です。そのわたしたちのために、心を尽くして復活と永遠の命を与えてくださるというのです。たとえ、試練を与えられても、真実な愛をもってわたしたちを愛してくださる方であることを今日のみ言葉から素直な心で聴き取りたいと思います。