2019年2月10日     顕現後第5主日(C年)

 

司祭 アンナ 三木メイ

「働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵み」

 イエスが人々の前に現れてから、神の子、メシアだと信じられるまでに、どのような経過があったのかについて、4つの福音書はそれぞれ異なる内容を伝えています。ルカによる福音書では、ガリラヤで伝道を始めたが、故郷のナザレでは、「この人はヨセフの子だ」と、神の子・メシアとしては受け入れられず、町を追われたイエスが描かれています。そして、カファルナウムで汚れた悪霊に取り憑かれた人を癒し、多くの病人を癒します。この時、イエスに「お前は神の子だ」と言ったのは悪霊だけでした。人々はイエスのことを、病を癒してくれる医者の一人のように考えていたのかもしれません。病を癒してもらった人々のなかに、シモンの姑がいました。イエスは,ガリラヤ湖で漁師をしていたシモンの舟に乗り、沖へ漕ぎ出すように頼み、舟から群衆に教えを語ります。話が終わってから、イエスはシモンに、「網を降ろして、漁をしなさい」と言うと、「先生、私たちは夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから網を降ろしてみましょう」と彼は答えます。すると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになりました。それを見たシモンは驚いて、イエスの足元にひれ伏し「主よ、わたしは罪深い者です」と言いました。シモンがイエスを「先生」ではなく、「主なる神の子」と信じた瞬間です。その後、イエスは「今から後、あなたは人間をとる漁師となる」と、シモンに福音宣教の使命を与えました。
 1859年に、アメリカ聖公会の宣教師だったC.M.ウィリアムスは、福音宣教の使命を帯びて日本にやってきました。それから今年でちょうど160年目を迎えます。多くの宣教師がその生涯をかけて福音宣教活動を展開し、数多くの教会やキリスト教学校、諸施設が日本国内に設立されました。しかし、現在では日本のクリスチャン人口は減少の一途をたどっています。それでも、私たちはお言葉どおりに網を降ろします。私はキリスト教主義学校で聖書やキリスト教関連の授業を長年担当しています。しかし、教会に行くようになる学生はごくわずか。それでも若者たちがキリスト教や聖書に親しみをもつようになる入り口はここにあります。「授業全体を通して、キリスト教やイエス・キリストに対するイメージが変わりました。前よりも身近に感じられるようになり、理解も進んだ気がします。血の通った存在のように感じられるようになりました」という学生のコメントに一縷の希望の光を感じます。
 厳しい迫害をものともせず福音を宣べ伝えた使徒パウロが語ったように、私たちの働きは、実は私たちではなく、私たちと共にある神の恵みの働きなのです。その恵みに感謝して、今から後も「お言葉どおりに」網を降ろしていきましょう。