2019年12月8日     降臨節第2主日(A年)

 

司祭 エッサイ 矢萩新一

 今日の旧約聖書のイザヤ書には、新共同訳聖書では「平和の王」という小見出しが付けられています。「平和の王」、それは人々が救い主として待ち望んでいた王なるキリストのイメージです。そして、その王は次のような方だと記されています。「エッサイ(ダビデ王の父)の株からひとつの芽が萌えいで、その根からひとつの若枝が育ち、その上に主の霊がとどまる。知恵と識別、思慮と勇気、主を知り、畏れ敬う霊。彼は主を畏れ敬う霊に満たされる」・「目に見えるところによって裁きを行なわず、耳にするところによって弁護することはない」・「正義をその腰の帯とし、真実をその身に帯びる」。そして、「平和の王」がもたらす世界が次のように描かれます。「狼は子羊と共に宿り、豹は子山羊と共に伏す。子牛は若獅子と共に育ち、小さい子供がそれらを導く」。強く雄々しい王のイメージ、圧倒的な力で人々を導く王のイメージとは少し異なるようです。
 現実世界では、目に見えるものが真実で、耳にした事を根拠に物事を判断しています。平和の王が支配する世界では狼が子羊と共に暮らすと言われても、そんなことは常識的にはまったく考えられないことです。私たちの弱肉強食の世界の中では、強いものが弱いものを支配し、自然のバランスが保たれていると考えるのが常識です。多くの財力を持った人が胸を張り、自らの生活に不安を覚える人たちは不安を解消するために、少しでも強い立場に立ちたいと、より弱い立場にある人をさげすみ、異質なものを排除しようとしてしまいます。偏見や差別の誘惑がとめどなく広がります。
 今日のイザヤ書のでは、新しい価値観が支配する世界の創造が描かれています。新しい救い主の姿、新しい平和な世界のイメージです。狼と子羊が共存出来ない現実があるとすれば、「平和の王」がもたらす新しく創造された世界、子羊と狼が共存できる世界が必要なのだと予言します。自己中心の価値観から離れて、「主を畏れ敬う霊」と「主を知る知識」に満たされるとき、私たちの常識は覆され、新しい創造の世界として平和が実現するのだとイザヤは告げます。目に見えるところによって人を裁き、耳にするところによって判断したくなる私たちにとって、平和の君=イエスさまを救い主としてお迎えする本当の意義は、凝り固まった自分のイメージの中でしか生きられなくなっている私たちを招かれる神さまによって、私たちが新しくされていくことです。
 イザヤが描く「平和の王」と「平和な世界」を、じっくりと見つめてみましょう。そこにはキリスト・イエスをお迎えする者の新しい目標が描かれています。神さまの霊によって、まったく新しくされた者の姿が描かれています。マイナスなことの中に真実がある、弱さの中に強さがある、逆転の発想ができる心の柔らかさと感性が、平和な世界を作り出す秘訣だということです。
 イエスさまこの世にお生まれになったということは、どこか遠いところにお生まれになるのではなく、私たちの貧しさが支配する心の中にお生まれになるということです。そこには私たちの想像をはるかに超える驚きと、再び新しく創造される喜びがあるということを思いながら、クリスマスを迎えたいと思います。神さまの霊が私たちを満たし、来るべき救い主のもとへと導いて下さいますように。そしてすべてのものを新しく創造される主を待ち望ませて下さいと、祈り求めながら、残るアドベントの3週間を過ごしていければ素敵だと思います。