2020年7月19日     聖霊降臨後第7主日(A年)

 

司祭 エッサイ 矢萩新一

(特定11)
知恵の書12:13,16−19、ローマの信徒への手紙8:18−25、マタイによる福音書13:24−30,36−34

 知恵の書によると、神さまは「すべてに心を配る(12:13)」「すべてをいとおしむ(12:16)」「寛容をもって裁き、大いなる慈悲をもってわたしたちを治められる(12:18)」方で、「神に従う人は人間への愛を持つべきことを、あなたはこれらの業を通して御民に教えられた。こうして御民に希望を抱かせ、罪からの回心をお与えになった。(12:19)」と記さています。しかし、様々な災害や禍が私たちの身にふりかかる時、神さまの心配りやいとおしみや慈悲はどこにあるのだろうかと悩みます。
 パウロはローマの信徒へ宛てた手紙の中で、「現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足りないとわたしは思います。(8:18)」「被造物だけでなく、“霊”の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること、つまり、体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます。(8:23)」「わたしたちは、このような希望によって救われているのです。(8:24)」と記し、だから「わたしたちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです。(8:25)」とキリスト者の希望について語ります。「霊の初穂をいただいている」とは、イエスさまの十字架の死によって贖われ、復活の希望に生かされているということです。
 世界聖公会の宣教の5つの指標(The Five Marks of Mission)の5つ目の指標は、「被造物の本来の姿を守り、地球の生命を維持・再生するために努力すること」です。神さまの被造物として霊の初穂をいただき希望のうちに生かされている私たちは、忍耐を課せられてしまうことがあっても、自然や隣人の生命を守り続ける努力をしなければなりません。なぜなら、様々な命の犠牲によって私たちが生かされ、様々な人々の働きによって私たちの生活が支えられているからです。
 私たちの生きる世界は、今日の福音書にもあるように、麦も毒麦も混在するところです。どれが毒麦であるかを判断するのは神さまにしかできませんが、神さまの被造物がよりよく育つために畑を耕して少しでも毒麦が育たないように環境を整備することはできるのではないでしょうか。
 私たちは、み言葉に聴き、祈りと奉仕によって希望をもって神さまのみ心を尋ね続けることがその務めであることを改めて自覚しつつ歩みたいと思います。