2005年3月28日(月)〜4月1日(金)、4泊5日で京都教区の中高生15名、スタッフ7名で長崎を訪れた。昨年春の沖縄訪問から始まった「J'sキャンプ」であるが、そのつながりの中から今年は沖縄教区の中高生が合流する運びとなった。そして、せっかく九州に来るのだからと、九州教区の中高生も一緒にということで、総勢64名という大所帯のキャンプとなった。

 28日の夕方教区センターに集まり夕食を食べて出発。ほぼ貸し切り状態のバス内は賑やかだった。
 29日朝7時半、寝ぼけ眼で長崎聖三一教会に到着すると、前日から来ている九州と沖縄のメンバーが出迎えてくれた。60名が揃ったところで朝食を頂き、開会礼拝とオリエンテーション。全員の自己紹介ゲームと人間知恵の輪で緊張をほぐし、長崎市内へ繰り出した。

 
 そして夕方には、城臺美彌子(じょうだいみやこ)さんという被爆体験者の方のお話を聞いた。日本が戦争をするようになった経緯、60年前の8月9日に長崎で起こった事を話して下さった。小学校の先生をしておられた城臺さんのお話は、中高生にとってもスタッフにとっても大変分かりやすかった。最後に城臺さんは、「今、私は戦争になるとどれだけ悲しく恐ろしい事が起こるかという話をし、あなた達にバトンを渡しました。このバトンを受けてあなた達は次の世代に語り継いで行って下さいね」と語られた。
 
 30日はほぼ一日かけて、城山小学校、爆心地公園、浦上天主堂、如己堂(永井隆記念館)、岡まさはる資料館を自分達の足で歩いてフィールドトリップし、60年前の長崎での出来事に思いを巡らせた。ガイドは九州教区「平和を考えるプログラム」の青年たちがして下さった。

 爆心地公園には三角柱の祈念碑が建てられ、その周りに輪を描くように芝が植えられている。爆心地から平和のメッセージが広がっていくようにとの思いが込められているのだ。

 如己堂という名前は「自分自身を愛するように、あなたのとなり人を愛しなさい(如己愛人)」というイエスの言葉から取られている。如己堂に住んでいた永井隆博士は、「長崎の鐘」という映画化された著作でも有名であるが、長崎医大の医者でありカトリック教会の信徒であった。放射線治療による被爆と原子爆弾による被爆が原因で43歳という若さで昇天されるまで、病床から平和を訴え続けた。

 岡まさはる資料館では「南京大虐殺」や「従軍慰安婦」に関する資料や写真が展示されていたが、あまりの衝撃的な写真にみんな声を失っていた。戦争によってどのような事が起こり、どんな事実があったのかという所に目を向けたい。日本の戦争加害責任を鋭く問う資料館であった。

 この日の夕方、交流会と称して各教区からの出し物を披露し合った。歌あり踊りあり、存分に交流を深め最後の夜は更けていった。

 
 31日は朝からお世話になった教会の掃除をし、グループ毎に昨日のフィールドトリップの振り返りをした。ある中高生の「被害者と加害者の両方の事実をしっかりと見聞きし、伝えていかなければならないと思う」という感想が印象的だった。午後からは、爆心地公園での閉会礼拝の後、九州教区の中高生達は一足先に長崎を後にした。京都と沖縄の一行は原爆資料館を見学した後、共に最後の晩餐をして、夜行バスに乗り込んだ。さすがに帰りのバスの中は皆、深い眠りについていたようだ。長崎までの往復を夜行高速バスで移動し、宿泊先の長崎聖三一教会では寝袋で寝るというハードな企画であったが、大きな怪我や事故も無く全員無事に帰途についた。

 今回の長崎でJ'sキャンプは思いがけず沖縄・九州・京都という3教区の合同となったが、とても意義深い体験であった。今後も交わりを深め、そして広めていければ思う。最後になったが、お世話になった長崎聖三一教会の方々、快く送り出して下さった皆様に、心から感謝したい。