バルナバ栄一の『「信仰・希望・愛」の展開の物語』 第四部・その1-(1)鳩

「信仰・希望・愛」の展開の物語

 第四部 パウロの福音伝道の内容の抜粋  (その1)

 

  尚「神の義」について、福音の根拠ともいうべき ことですから、もう少し書きましょう。パウロは「神の義」と云うのは、神がイエス・キリストの十字架と復活 によって、その十字架と復活を信じた者はキリストを通して神様に結びつけられること、平たく言えば、「救わ れる」という事、更に分り易く言うと「御子イエス・キリストの信実、父なる神の恩恵、愛を受けること」だと 云いました。一方イエスは「神の国は自分・イエスの中に既に来ているのだ。神の支配の中に生きるとは、わた し、イエスと一緒になって、父なる神に結びついて神の福音=恩恵を喜ぶことだ」と云われました。とすると、 イエスの「神の国」とパウロの言う(福音の根幹=神の義)は全く同じ事を云っているのではないでしょうか。

「口でイエスは主《キュリオス》であ る、と公に言い表し、心で神がイエスを死の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われる」 (ローマ10;9)。

アンテオキャでの宣教活動を語るルカは「主イエスを福音として告げ知らせた」とか、「主に導かれた」と云う 時「主《キュリオス》」と 云う称号を用いています。これは偶然でなく、アンテオキャにおける異邦人伝道において初めて、主《キュリオ ス》と云う称号が、重要な意味をもつようになったことと関係しています。既にヘブライ・アラム語を語る教団 でもイエスに対して主と云う称号を用いていました。「マラナ・タ」と云うアラム語は「主よ、来て下さい」を 意味します。しかし、ほかの異邦人世界に伝道する使命に生きるアンテオキャ教団において、主を意味する 「キュリオス」と云うギリシャ語の称号は、新しい意味内容を得て、信仰告白の中心的な位置を占めるようにな ります。
 ギリシャ語を用いるヘレニズム社会に福音が宣べ伝えられていった時、「イエスはキリストである」と云う告 白の意味が理解されなくなって行きます。キリストとは神から遣わされた救済者を指す称号でした。 旧約聖書 を知らない異邦人の世界では、キリストの意味を理解出来ず、「イエス・キリスト」は一人の人名になってし まったのです。それで救済者として、高く挙げられたイエスの称号として《キュリオス》が用いられるようにな ります。「キュリオス」は、(あらゆる名にまさる名)、「天上でも地上でも、すべてのものがその前に跪く 名」です(フィリピ2;9〜10)。これは「キュリオス」を、全世界の支配者の称号として用いていたヘレニ ズム社会の人たちには、分り易い称号でした。イエスは復活して天上や地下の諸霊、地上のすべての民を支配す る地位につかれたのです。このような意味で「イエスを《キュリオス》と云い表すことが、ヘレニズム社会での 信仰告白の核心となったのです(Tコリント12;3・フィリピ2;10)。主《キュリオス》キリストと云う 言葉にこの信仰が凝縮しています。復活されたイエスの地位を顕す称号が。メシア・キリストから《キュリオ ス》に変わったことは、福音がユダヤ教の枠を超えて、広くヘレニズム世界の諸民族に広がった証拠です。

 

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