バルナバ栄一の『「信仰・希望・愛」の展開の物語』 第四部・その2-(1)鳩

「信仰・希望・愛」の展開の物語

 第四部 パウロの福音伝道の内容の抜粋  (その2)

 

イ エスの非暴力の教え 

  現在のキリスト宣教の大切な基本観念であると私が考えている「キリストの平和」。これこそ最も大切な現代の伝道精神の基本だと思っています。それで、イエスがどのように平 和を考えておられたか、殊に暴力と「キリストの平和」との関係、を知りたいと思い、この項目のご発言を調べ たいと考えました。イエスの時代には、二つの難しい問題がありました。一つは、ユダヤ教の律法と「神の義」 の間での信仰の悶着(イエス様の悶着ではなく、おもにユダヤ教徒の悶着)、二つ目は、ユダヤの民衆とローマ 駐留軍との色々な軋轢です。第一の問題は既に、「律法」と「神の義」について、の中で述べて参りました。イ エスへの迫害、イエスの十字架刑と云う、ユダヤ宗教家の暴力使用をいかにイエスは忍ばれたか、を私たちは 知っています。イエスの愛の姿、忍耐の姿を、です。もう一つ、このことからローマ軍に対して、ひいては世界 における一般的な暴力についての、イエスの言葉、態度のお教えを聞きましょう。すべてのことが複雑になり、 過激化している、殊にすべての事象の進行が早くなり、決着までの時間的余裕が少なくなり、住民たちの地位、 財産等の格差の大きく明らかになった現代世界での、心理的、経済的、技術的(特にT・T関係の)暴力を視野 に入れると、果てしなく 難しい問題です。
 イエスの教えの中で、最も特色があり印象が深く、難しいのが「愛敵」と「非暴力」の教えです。マタイとル カの伝える所によると、イエスは次のように教えられました。  
「しかしわたしの言葉を聞いているあ なた方に云っておく。敵を愛し、あなた方を憎む者に親切にしなさい。悪口をいう者に祝福を祈り、あなた 方を侮辱する者の為に祈りなさい」(ル6:27〜28)。(マタイの福音書「山上の説 教」の中に関連個所あり)。
 
最初のお言葉「しかし」は、普通の人たちの考え方や生き方をさし示しています。イエスの言葉を聞いて、父の 無条件の恩恵を知り、その恩恵の場に生きようとする者は当然イエスの言葉に従って生きるようになります。そ の生き方がここに語り出されます。父なる神が無条件に私たちを赦し、受け入れ、愛して下さったように、私た ちも接する隣人たちを、相手の価値とか姿勢に関係なく、たとえ敵対する相手でも、無条件に許し、受け入れ、 愛する生き方です。そして、この相手の価値に絶した無条件の愛の具体的な現れとして、非暴力・無抵抗の姿勢 が説かれます。(ルカ6;29〜30)平地の説教。(マタイ5;39〜42)山上の説教」より。 
  ルカがどこでも起こり得る一般的な状況を描いているのに対し、マタイはこの時代のユダヤ人社会の状況を背景として書いています。(強いる)と云うのは、ローマの支配下の状 況を背景としたローマの軍隊や官憲の権力実施を示しています。もし権力者が荷物を担がせ、「1ミリオン(約 1,5キロ)行くことを強制したら,その強い者と一緒に2ミリオン行け」と云われるのです。武力で自分たち を支配している者に、その悪人に抵抗せず、「右の頬を打たれたら、左の頬も差し出せ」と云うのです。当時の ユダヤの一般大衆に人気のあった熱心党の主張に真向から反対する態度です。イエスが同胞に命を狙われるの は、前の日米大戦で、非戦論を掲げ憲兵に投獄された日本のキリスト者と同じです。ついでに、現在の自民党 主・首相の阿部氏をはじめ、外交上強硬姿勢だけを手段とする人々が増えているのを見て、昭和初め頃の日本の 右傾化を思い出し、心配しているのは私だけでしょうか。キリストを信じる者は、「キリストの平和」を忘れる ことはできない。現実の政治問題も決して信仰の外にあるのではない事を銘記すべきです。現在、日本だけでは なく、世界中が「資本の論理」によって動かされている。「資本の論理」と云うのは単なる資本主義ではありま せん。自分が何らかの利益を受けることがない、儲からないとなれば、どんなに困る人や(国・社会)があろう が知らぬ顔、梃子でも動かない。その代り儲かるとなれば、何百万の人間が死のうが、一つの国が滅亡しよう が、自分の責任ではない、関係ないという態度をとる。よくは知りませんが、経済的圧迫からの大量貧民・棄民 をもたらすような施策をする、大国の資本主義勢力が報告されていたことが思い出されます。

 

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