バルナバ栄一の『「信仰・希望・愛」の展開の物語』 第四部・その2-(2)鳩
 

 さて「キリストの平和」とはどのような社会の状 況、又人間の状態を表わしているのでしょうか?一口では説明できないものを感じます。平和でない状況は、勿 論戦争を筆頭として、人間界のあらゆる闘争が考えられますし、外に現れない敵意、反感、憎しみ、嫉妬、など から …無関心や、前述の経済的利益の為の施策(たとえば、世界的農業関連事業など)まで含めますと、人間 界にはこれほど広範に溢れている代物(敵対意識)はないでしょう。小は兄弟の間、友人関係、夫婦間、家庭内 から始まって、社会におけるあらゆる人間関係の中で、見えると、見えない、の相違はあっても、悪意は満ち溢 れていますね。とても仲の良い夫婦に見えても、口喧嘩の1回くらい、或いは表に出なくても腹の中で立腹する ことはあるでしょう。損益を争う社会の中では熾烈な争いが起きることはやむを得ない事かも知れませんが、国 と国の争いが戦争にまで発展するとなると、科学技術の進んだ今日、目も当てられないようなことになります。 原爆ではなく、原発も民の生死にとって大きな問題です。しかし、わたしたちの「キリストの平和」に満たされ たいという思いは、「キリストの平和」と云う絶対的な神のみ心に従う方法しか、実現する方法(争いを防ぐ 道)はないと思います。平和はいろいろな言葉で表されますが、シャロームと云う言葉が一番深くて広い感覚で 私には迫ってきます。これは「お早うさんです」「さようなら。主の平安を」と云うような日常語であると同時 に、神の聖霊がわたしに寄り添って、相手に話しかけているのを感じさせます。私が言っている夢のような平和 なんて、とせせら笑われ、そんな話を聞く耳は持てないと云われるなら、それはパウロの伝道の言葉を嘲笑した アテネの、ギリシャ人と同じだと思います。これは「ユダヤ人には躓きであり、ギリシャ人には愚かである」と 云うパウロの言葉、(それは同時に神の知恵と力を)を信じることが出来ないということですが、それは信仰の 無い人のとる態度でしょう。このような普通の常識的判断力しか働かない人にはとても理解できないことを、真 剣に考えられるようになるのは、聖霊の働きです。

続いて第五部では聖霊について考えたいと思います。

市川喜一師のご著書からの引用も多いのですが、今回は私の意見も強く宣べました。今現在から、未来に向かっ て、平和と云う問題は、地球絶滅の危険をはらんで、人類の叡智を絞り出して解決しなければならぬ問題となる だろうと考えています。これは宗教的な関連だけの問題ではないでしょうが、諸宗教の寄り添いも大切な対応を 要するところだろうと考えます。世界の各所に偉人、賢人が生まれることを祈りたいです。一つの大切な問題点 として提起しました。そう云う事で、この大切な平和問題への関心を大いに引くように,この1項目を独立させ ました。

パウロの福音伝道が少し横道にそれましたが、このような困難、難題を解決する為に、「福音」の深い理解が広 い領域で必要です。但し、「キリスト」や「福音」と云うようなキリスト教的言語は用いない方が、平和問題を 解決する為にはよいかも知れませんがね。

大斎節黙想集「御言葉と共に」(恵 我之荘聖マタイ教会牧師  趙 ジョンビル司祭著)
の、第28日の「黙想」の中に次の言葉を読んで、大いに喜び、勝手に引用させて頂きました。有難うございま した。

「信仰者は教会の垣根の外側のことであっても、物事を判断する時には信仰の目で判断しなければならない。す なわち自分の偏見と先入観を捨てて、常に主に尋ねる姿勢で主ならどうなさるだろうかと思ってみると、意外に すべてが鮮明に見えるものです。世間を信仰の目で眺めてみる訓練、それが貴方を義の道に導いてくれる筈で す」。

以下、世界平和に関する、私的感懐
 何故日本の政治家たちは、前人未到の倫理的観点を持つ、我が国の平和憲法を踏まえて、全人類が助け合う 「世界国家創立」と云うような、壮大な夢を語れないのですかね。
何時までもせせこましい島国根性を得々と披瀝するだけとは、全く情けない限りです。
国家主義、民族主義にとらわれぬ、世界連邦主義と云った、広々とした展望に立ちたいものです。

さて偉そうなことを書きながら、又記事訂正をせねばなりません。その訳は、実は「キリスト者医科連盟」機関 誌「医学と福音編集部」から「心に残る1冊の本」と云う題で原稿を、と云う注文で「心に残る1冊の本、それ は《聖書》」(読みたい希望の方は、メールで送るか、コピーで送るかします。どちらを希望かを言って下さ い)と云う題で書いたのですが、市川喜一師の著作から沢山の引用をしたので、師の許可を得るべく原稿を送っ た所、12使徒、パウロ、福音記者の時代配慮が足りないことを指摘され、聖マルコ教会のホームページの、「信仰・希望・愛」の展開の物語、のタイトル を、次のように訂正します。
 
第二部、イエスの「神の国宣教」から 十二使徒の「福音伝道」へ
第三部、パウロの福音活動と福音記者たちの「福音書伝道」
           及び「福音と福音書」


 

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