キリスト教と大作曲家

モーツアルト レクイエム(2)



 ここに一通の手紙があります。これはレクイエムに関した唯一のものですが、その一部を紹介しましょう。
 「小生はもう頭も混乱し、気力もつきてしまい、例の見知らぬ男の姿が目の前から追い払えないのです。懇願し、催促し、じりじり待遠しがりながら、小生の仕事をせきたてる彼の姿が絶えず目に入っているのです。―中略―小生は、もう自分の終りの鐘がなっているなと、ふっと気づかせられるような感じがします。ぼくはもう息もたえだえです。自分の才能を楽しむ前に死んでしまうのです。ですが、生きるということは実に美しいことでしたし、これほど多幸な前兆をみれば、運も開けていったのでしょう! だが、自分の運命を勝手にかえるわけにはゆきません。誰も自分の命数を計れるものはなく、ひたすら諦めねばなりません。摂理の望む通りに行なわれるのでしょう。これで筆をおきます。これはぼくの白鳥の歌です。完成せずに置くわけにゆかないのです」モーツアルト、一七九一年九月。(吉田秀和訳・講談社) 彼が世を去る三ヵ月前のイタリア語の手紙ですが宛名がありません。おそらくイタリアの詩人・台本作家のダ・ポンテに宛てたものと思われます。ダ・ポンテとは歌劇「フィガロの結婚」「ドン・ジョバンニ」「コシ・ファン・トゥッテ」で協力した仲で、そのころ親密であったといわれます。
 モーツアルトは同年七月に灰色のマントを着た無気味な見知らぬ男の訪問をうけます。その男は使いの者で主人の名前は言えないがといって、高額な報酬を示してレクイエムの作曲を依頼したのです。
 当時、大作オペラ二本(「魔笛」と「ティトゥスの慈悲」)を作曲中だった彼は迷った末、生活に困窮していたこともあって引き受けてしまいます。しかしレクイエムの筆はなかなか進みません。手紙の心境からもわかりますが、見知らぬ男は死に神のように思え、まるで自分の為の葬送曲を作っているように思ったのです。
 ところがこの手紙の自筆稿が残っていません。また筆写された写しがベルリンのプロイセン国立図書館にあるとされていたのですが、これも現在消息不明。いろいろ研究の末、どうも偽作ではないかと疑っている学者も多い現状です。
 誰が書いたのか死を間近にした心境や死生観など全く見事な贋作といわねばなりません。それもこれも世にモーツアルトを愛する人々がいかに多いか、偽作もその一現象かも知れません。
 古今東西レクイエムの森は傑作ぞろいです。ブラームス、ヴェルディ、フォーレなど。中でもモーツアルトを第一に推す人は多いのです。

(注1)初演以来大入り満員が続いた歌劇「魔笛」のことか。
(注2)白鳥は死ぬ前にひと声鳴くといわれたところから、最後の作品、つまりレクイエム。
(注3)ウイーン南方の領主、ヴァルゼック・シュトゥパッハ伯爵で亡妻の追悼の為に依頼。

     (ルカ 梅本俊和)





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