キリスト教と大作曲家

ハイドン 天地創造



 ハイドンは一七三二年ウィーンの南、約五十キロにある小村、ローラウに生まれます。そして八歳から約九年間、今もウィーンの中心にある聖ステファン大聖堂の児童合唱団員になり、のちの作曲活動の基礎をつくります。
 当時はヴィバルディ、大バッハ、ヘンデルといったバロック音楽の全盛時代が過ぎ、古典派に移行しつつあった時で、その先頭を切ったのがハイドンです。
 二十九歳の一七六一年にエステルハージ候お抱えの楽団の副学長に任命されてから一八〇四年迄の四十三年間、実に人生の半分以上をエステルハージ家と過ごします。
 ハイドンといえば交響曲の父と呼ばれ、百六曲のシンフォニーや六十八曲の弦楽四重奏曲が有名ですが、晩年になって三曲の壮大なオラトリオを作曲します。年代順に「十字架上のキリストの最後の七つの言葉」(一七九六・六十四歳)
「天地創造」(一七九八・六十六歳)「四季」(一八〇一・六十九歳)ですが、最近の研究結果から彼の膨大な創作の頂点と見なされるようになりました。特にあとの二曲は「天地創造」が神聖な神の世界を扱っているのに対し「四季」は農民の生活の中に神への感謝を歌うもので、二曲は天国と地上を表現し精神的なつながりを持っている事を特筆しておきましょう。
 これらの作曲の動機は一七九二年に初めて訪れたロンドン滞在時にウエストミンスター寺院の中の聖マーガレット教会で聴いたヘンデルの"メサイア"からの影響が大きいといわれます。彼の手帳には当日二千人が演奏に参加したと書かれていますので、さぞ劇的な演奏会だったのでしょう。
 天地創造は旧約聖書の創世記第一章に基づきます。全体は三部に分かれ、最初の二部では聖書に語られた天地創造の六日間が三人の天使(ガブリエル・ウリエル・ラファエル)によって歌われます。つまり第一日の"光あれ"から第四日の天体の創造、第五日の空と海の生物の創造、そして第六日のアダムとイブの誕生と続きます。続く第三部ではアダムとイブが華麗な旋律にのって限りない愛を誓うと、終曲では神への賛美と感謝が壮大な合唱で歌われます。
 初演は四月二十九日と三十日にウィーンのシュヴァルツェンベルク候の宮殿でおこなわれ、ハイドン自身が指揮し、宮廷作曲家のサリエリがチェンバロを担当したといわれます。歌手陣も当時最高の人達が参加し大成功でした。ある新聞記者は「幸福な宵からはやくも三日がすぎたが、思い出しただけでも強い感動が胸をしめつける」という記事を載せています。
 おすすめのCDはカラヤン・ウィーン・フィル(POCG4148〜9)をあげておきましょう。





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