監督ウイリアムス師傳 序

元田作之進著

日本基督教の黎明

( 老監督ウイリアムス伝記 )

 故監督チャンニング、ムア、ウイリアムスの傳を編するに際して、平素師の薰陶を受け、師の遺德を敬慕するものに二種の相反せる意見を有するものが現はれた、一は曰く師は謙讓陰德の人であつて、如何なる形式にても自己の世に現はれんことを欲せられず、自己の性行とご事業が世に公にせらるゝは決して師の素志でなかつた、師の素志でないことを知りながら之を公にするは門弟として忍びない處であると、一は曰く師は福音の爲めに生き福音の爲めに眠られた、師の麗はしき性行と、なされた事業とを人に紹介することは基督の光を現はす所以であると、共に師を思うより發したる門弟の情にして、假令其見る所は異なれるとも互に尊重すべき意見である。
 斯くの如く意見の異なれるものあるに拘はらず、師の傳を編するに至りたる理由は外でない、師は日本新傳道の開祖である、師の性行と事業とは日本の傳道史に編み込まれざるをを得ないのである、師を拔きにしては傳道史は成らぬのである、且つ又師の如き傳道初期の聖徒は假令傳記なくとも永く後世の口傳に生きるであろふ、師は到底世より隱れ能はぬ、歴史に現はれ、口傳に現はるゝであろふ、然るに眞の事實を供給するものなくんば、歴史は後に至て師を誤らんことを恐る、口傳も時代を經るに從つて事實を曲げないとも限られぬ、監督ウイリアムス世に現はれざるを得ずとせば、我等は眞の監督ウイリアムスを現はしたいのである。
 殊に此傳を録するに當り、編者の念頭を去らざりしは、一個のウイリアムスと云ふ人物を記すのでなく、基督の光を反射せる聖徒ウイリアムスを録すると云ふ事であつた、光は光らざらんと欲するも能はず、光らざる光は光でない、師の性行と事業の上に直射したる基督の光は此傳を通じて強く世人を照らすことを疑はぬのである。
 本書を稱して「老監督ウイリアムス」と云う、師は常に老監督にてはなかつた、又常に監督にてもなかつた、少壯長老として來り、老人監督として去られたのである、而して老監督の名は最も博く世に知られ、老監督と云えば直にウイリアムス師なることを意味するに至つた、是れ本書に此名を附したる所以である。
 本書の材料は米國聖公會傳道會社の機關雜誌「スピリツト、オブ、ミツシヨンス」の古本、僅かに殘れる監督ウイリアムス自筆の記録、親しく監督を知れる敎友の直話である、師に關する事實にして尚ほ録したいと思ふものが多くあつたが紙數に制限を附せられたる爲めに、止むを得ず此等を省略する事にした、本書に收むるものは師の生涯を知るに最も必要にして適切なりと思惟したるものゝみである、重に編纂に從事せられたるは織閒小太郞氏である、予は京都地方部にて立てられたるウイリアムス監督紀念委員の依賴を受けて監修の任に當り、著者としての責任を負ふに過ぎないのである、予は本書を監修するに當り、親しく監督に面して其感化に觸れたる如き思ひありしこと幾たびなるを知らず、本書を繙けるものにして予と感を同ふするもの必ず多からんと信ず。

大正三年 十一月

東京西大久保

元田作之進