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つなげてもらって

東日本大震災から5年が経過しました。節目である年を迎えるに当たり、共に歩んできた方々がこれまでを振り返り今想う事を、リレー形式で掲載します。
7人目は、沖縄教区の岩佐直人司祭です。
沖縄教区にはこれまで、保育補助の支援である『One Family~つながる心 福島支援プログラム~』や、夏のリフレッシュプログラム支援などを通して、大きな励ましを頂いてきました。岩佐司祭には、郡山セントポール幼稚園へ保育補助にも度々来て頂いており、園児や先生方にとって心の拠り所となっています。
福島で暮らす私たちは、沖縄の大らかなあたたかさに癒され、厳しい現実と向き合う勇気と元気を貰っています。


『つなげてもらって』

沖縄教区 災害支援室
室長 司祭  岩佐直人

 2011年に沖縄教区の東日本大震災支援室、後の災害支援室の担当に任命されてから、被災された方々のために何かをやりたい・やらなければならないという思いが強くあった。しかし遠く南に離れた沖縄からは人も物も送ることが難しく、何もできない・何をやったらいいのか分からない時がずっと続き、正直に言うと困っていた。何もできていないが、決してこのままで良い訳が無い。やりたい気持ちはあるのに何をやったら良いのか分からない。一人で悩み、一人で焦っているような状況だった。

2014年、沖縄教区の「慰霊の日」礼拝(6月23日・慰霊の日に一番近い主日)の講師に管区原発問題プロジェクトの池住 圭さんが来て下さった。沖縄戦で犠牲となられた国内外すべての方を覚えて祈り、また平和をテーマに講師からお話を聞くことを沖縄教区では毎年行っている。

講師として来て下さった池住さんは、私の派遣されている教会の主日礼拝に参加して下さった。そして礼拝後、池住さんとゆっくり話をする時間が与えられた。今、福島で求められているもの、沖縄教区は何をやったらいいのかを聞くことができた。池住さんは「幼稚園職員の負担軽減、リフレッシュ」を提案して下さり、職員交換などの可能性を話した。

その主日の礼拝には併設保育園の職員がたくさん来てくれていて、池住さんの話を聞いた私は、その場にいた職員を交えて福島との職員交換などの話をした。すると職員たちは「私たちが行きます」と言ってくれた。

その場には教区主教もいらした。話の流れを説明させてもらうとすぐに「進めてもよい」との言葉を頂いた。

一人で悩み、焦っていたのが何だったのかと思うほど、数時間のうちにどんどん話が進んでいった。私が聖職への召命を受けたときと全く同じで、もう自分の力ではコントロールできないスピードで話が進んでいく感覚。ああ、これはみ心に適っているのだと感じられ、また多くの人と繋がり、支えられているのだと感じられ、本当に嬉しかった。

その年の夏に事前準備のためにセントポール幼稚園を訪ね、秋に最初の職員派遣をした。残念ながら福島の職員を沖縄でリフレッシュしてもらうことはできなかったが、私たちが保育補助として伺わせてもらった。セントポール幼稚園の先生たちは温かく迎え入れて下さり、子どもたちは笑顔で遊んでくれた。「お姫様抱っこして~」、「肩車して~」、「ダンス教えて~」。子どもたちが列を作って私と遊ぶ順番を待っていてくれる。時折、日頃の身体の怠けを感じさせられることもあったが、次に行く時までに筋トレを増やしておこうと思ったりしながらも本当に楽しく過ごさせてもらった。

私は毎回伺わせてもらっているので子どもたちに名前も覚えてもらい、前に教えたダンスを覚えていてくれたり、別れ際に「また来てね」と寂しそうに言ってくれる子どもたちに「また来るよ。前も約束守ったでしょ」と答え、子どもたちは少し安心した顔をしてくれる。

沖縄は東北からはるかに遠く、移動に時間がかかる。しかし逆に言えば、何があってもすぐには帰れない距離であり、行く前にできる限りの準備はしておくが、行ったあとは協力してくださる沖縄のみなさんにお任せ・お願いするしかない。そこのこともあって、福島を訪れているときは100%の思いをセントポール幼稚園に向けることができる。今、目の前にいるセントポール幼稚園の子どもたちとだけ向き合う。熱中するとも言えるかもしれない。福島は今でも色々な状況があり、考えなければならないこともたくさんある中ではあるが、本当にセントポール幼稚園を訪れることが楽しくて仕方が無い。

原発問題プロジェクトからすばらしい提案をしてもらい、沖縄の職員に考えてもらい、セントポール幼稚園に受け入れてもらい、沖縄教区はこれからも職員派遣プログラム「One Family~つながる心~」を続けていく。それは私たちのことを待っていてくれる人・福島の家族がいるから。私は一人ではなかったし、福島の皆さんも一人ではない。そのことを主はわたしたちに示してくださったのではないかと思う。これからももっと多くの人と繋がることを期待して、主が示された(福島への)道を歩み続けていきたい。

ほっこりカフェのお手伝いをして

東日本大震災から5年が経過しました。節目である年を迎えるに当たり、共に歩んできた方々がこれまでを振り返り今想う事を、リレー形式で掲載します。
6人目は、福島県いわき市にある「冨岡町泉玉露仮設住宅」と、同市渡辺町「昼野仮設住宅」で毎週行われている『ほっこりカフェ』で提供されるお茶菓子をお送り頂いている、奈良キリスト教会の谷利子さんです。


東日本大震災仮設住宅
『ほっこりカフェのお手伝いをして』

奈良基督教会 谷 利子

東日本大震災から5年4カ月余り、もしあの日の出来事が無かったら・・・・。被災された方々にとって、心身共に、私が想像を絶するような不安、困難、絶望、悲しみ、寂しさ、悔しさを乗り越えて来られたのですね。御慰めの言葉も出て来ません。私たちは、このご苦労をどれだけ理解できているのでしょうか。力のなさを感じています。

遠くにいて何をお手伝いしてよいか分からない。体力、年齢のことを考えると、下手にお手伝いして邪魔になるのでは、出かけて行って足手まといになるのでは、との思いがめぐり、「私にできることは、お祈りすることしかない。」こんなことを考えておりました時、主教様方の提案で、いわき市の小名浜に「ほっこりカフェ」が誕生しました。京都、大阪、神戸の教区婦人会が協力し、お手伝いすることになり、今年で、4年目となりました。私が、ほっこりカフェの具体的なお世話をさせて頂いて2年目になります。各教会の婦人会の方々の快いご賛同・協力を頂いて成り立っております。本当に感謝です。特産品、季節の果物、手作りお菓子、そして一筆のお便りなどなどを通して、小名浜の方々とのつながりができています。

私たちの奈良基督教会では、手作りお菓子を作るため、「お手伝をお願いします」と呼びかけると、思いもかけずたくさんの方が集まって下さって、楽しくおしゃべりをしながら、お菓子作りをしています。その中には、皆のお昼を作る人、お茶の準備をして下さる方、このお菓子美味しい、甘みが足りない、塩味が少し入っている方が良いわねとか・・・。少し多めに作って、教会の皆様に買っていただき、送料・材料費をねん出し、たくさんのおつりが出て来たりして、教会に集う全ての人の協力があって、ほっこりカフェにお届けしているといった具合です。

お口に合うかしら? みんな笑顔で楽しいひと時を過ごしていただいているかしら? 語り合うということで、皆様の心が和み、笑顔になれる時があると幸いです。

担当の岸本執事と電話でお話し、「最後の一人に至るまで、お世話させて頂きたい」の言葉、そして、先日6月1~2日に開かれた京都教区婦人会の大会に、ほっこりカフェのお世話をしておられる西原千賀子さんをお招きして、感謝のお言葉を頂き、「私は、最後の最後まで仮設住宅に残ります」とのお話を伺って感動させて頂き、私も寄り添ってお手伝いさせて頂きたいと願っているのは、私一人ではないと思っております。

福島県2巡目の子ども甲状腺検査 がん確定30人に・前回から14人増える

(2016年6月7日福島民報新聞掲載記事より)2016年6月7日民報新聞

東京電力福島第一原発事故を受け、2014年4月に始まった2巡目の子どもの甲状腺検査(本格調査)で、2016年3月末までに甲状腺がんと確定したのは30人となり、前回公表(2015年12月末現在)の16人から14人増えました。

県民調査検討委座長は子どもたちの中でも放射線の影響を比較的受けやすい若い年齢層に多く発症してない状況などを踏まえ「現時点で放射線の影響は考えにくい」とする見解を改めて示しました。

しかし、検査結果【表①】を見てみると『悪性、悪性疑いの割合』が福島第一原発周辺の避難区域となっている自治体や、福島市や郡山市など空間放射線量の高い地域に比例している事が分かります。表①この結果から、原発事故との因果関係を疑わざるを得ませんが、一部の専門家の間では依然として否定する態度に変わりはありません。

原発事故後、福島県では甲状腺がんと診断された、およそ130人の子どもたちが既に手術を受けています。その7割以上にリンパ節転移があり、その内の7割は1センチ以上の腫瘍で、肺転移している例もあります。このことから進行の早いがんである事が分かり、手術は早すぎると決して言えません。

もし仮に、一部の専門家が主張するように、「過剰診断」によるがんの多数診断で不必要な手術を受けてしまうようなケースが万一出た場合には、手術を受けた本人やその家族へ長期に及ぶケアや然るべき補償をするべきだと思います。

定期的な甲状腺検査を強いられる子ども達やその保護者は、一時もその不安やストレスを忘れて日々を過ごすことはできません。

真実に目を向けようとしないどころか、隠蔽しようとさえするような大人の都合で犠牲となり、翻弄される子どもたちが今後増えていく事のないよう、私たちは、真の情報を得る努力をし続けなければならないのではないでしょうか。

 

甲状腺検査
1巡目の先行検査は原発事故当時に18歳以下だった約37万人が対象で、2巡目の本格検査は事故後1年間に生まれた子どもを加えた約38万人が対象。それぞれ1次検査は超音波を使って甲状腺のしこりの大きさや形を調べ、程度の軽い方から「A1」「A2」「B」「C」と判定する。大きさが一定以上で「B」「C」とされれば、2次検査で血液や細胞などを詳しく調べる。

被災者支援センター しんちの特徴

東日本大震災から5年が経過しました。節目である年を迎えるに当たり、共に歩んできた方々がこれまでを振り返り今想う事を、リレー形式で掲載します。
5人目は、福島県相馬郡新地町の仮設住宅内に拠点を置いている『被災地支援センター しんち・がん小屋』のボランティアスタッフである北川恵以子さんです。北川さんは震災直後より南相馬市へ医療チームの一員として訪れていました。現在は、「被災者支援センターしんち・がん小屋」の水曜喫茶で開催している「ほっとコーナー♡親子タイム」で、精神科と小児科の医師である北川さん(けいこ先生)と小児科医の明城和子さん(かこちゃん先生)が交替で、いろいろなお話をしたり相談にものっています。


『被災者支援センター しんちの特徴』

支援センター・しんち がん小屋ボランティア
北川恵以子

 

私は、東日本大震災が起きた翌月から釜石市へ、その年の8月から福島市へ、精神科医として毎月支援に行ってきました。

キリスト教や仏教等の宗教団体やNPOや地元医療機関を通じて、仮設住宅、地元の学校、保護者の相談会、疎開をしている子どもたちの寮、クリニックなどで、傾聴をしたり、医療的なご相談を受けてきました。

「被災者支援センター しんち(新地ベース) 福島県相馬郡新地町」へは2012年から行き始めました。かつて国道6号線沿いにあり、今はがん小屋仮設住宅にある新地ベースの中で、地元の被災者の方々と交流を持ったり、新地ベースや仮設住宅で開かれるお茶会で傾聴をしたり、仮設住宅を訪ねたり、生徒さんについてのご相談で近くの小学校へ行ったりしました。他のボランティアとして、マッサージやヘアーカットや居宅訪問などをなさる方々ともお会いしました。

今まで色々な支援機関、そこで働くスタッフ、仮設住宅の住人、地域の人々に関わってきましたが、新地ベースには他の組織にはない特徴があります。

まずスタッフである松本普さんは、震災直後から新地町に入って支援をし、新地ベースができてからはまるで地域の住民のように被災者の中にとけ込んで共に生きてこられました。支援者から被支援者への一方的な働きかけや、いつの間にかできてしまう上下関係のようなものは感じられません。昨年松本さんが中越地震のあとに数年間長岡市に住んで支援をされた(旧)山古志村に連れて行っていただきました。松本さんがなさる新地町の人と共に生きる支援の仕方は(旧)山古志村での支援の延長であると思いました。

定期的に新地ベースに来られるスタッフの高木栄子さんも土地の人々の中にとけ込み、次に述べる被災者の加藤和子さんや三宅友子さんと家族のように付き合っておられます。

加藤和子さんや三宅友子さんは津波で大切なご家族や隣人をそして家を失い、仮設住宅を経て新しく建てた家に住んでおられます。加藤さんはお茶会を主催し、三宅さんは仮設住宅の訪問をされています。被災者が支援者となり、またお二人はときに被災者として辛い経験を話されます。このようなことは他の支援団体では経験したことがありません。

今お茶会に来られているご高齢の被災者は、センター新地がお茶会を始めたときから来られている方々です。津波で家を失ったり、原発事故で自宅に戻れない方々で、避難先の新地で新しく家を建てたり家を借りたり仮設住宅に住んでおられます。三世代四世代で一緒に住んでいた家族が震災でばらばらになり、家族の関係にひびが入り、多くのものを失い、人間関係が変わりました。その話をしたあと視線を落とし深いまなざしをしてもの思いに沈まれます。震災5年が経った今も、何度話しても被災者の苦しみに答えは出ませんし心は癒えません。支援者にできることはともにたたずみ、ともに悲しむことではないかと思います。

先日、福島県から北上して宮城県と岩手県の沿岸へ行きました。この数年は福島県にだけ関わっていましたので、今仮設住宅に住んでいる人々は原発事故のために自宅に戻れない人々がほとんどだと思っていました。しかし5年が経った今も宮城県や岩手県での津波の被災者の多くが不自由な仮設住宅で生活されていることに驚きました。土地のかさ上げ工事などにまだまだ時間がかかるようです。東京オリンピックの工事に多くの働き手が行き、建築資材が高騰し、震災の被災者はなかなか家を建てることができず、復旧復興が進みません。福島県では、原発事故の被災地で放射線量が高くても避難解除がされると、帰還が促され補償金が打ち切られるので帰らざるを得ない状況があります。

新地ベースの働きは広く浅く支援するのではなく、身近な人一人一人と向かい合い、ともに痛みを分かち合い、ともに重い荷を負って歩む働きなのではないかと思います。そして現実の矛盾を声高にではなく存在をもって訴えておられるのではないかと思います。

新地ベースの働きを見ていますと「ひとりの人間を救うものは全世界を救う」というユダヤ教の言葉を思い出します。

 

 

福島を忘れない車の旅

東日本大震災から5年が経過しました。節目である年を迎えるに当たり、共に歩んできた方々がこれまでを振り返り今想う事を、リレー形式で掲載します。
4人目は、『福島を忘れない車の旅』で、被災地巡礼の活動を続けてきた小川昌之さんです。『福島を忘れない車の旅』では、冨岡、大熊、双葉、浪江の各町を訪問し、被災地の現況に触れています。また、南相馬郡新地町にあるがん小屋仮設住宅でのお茶会に参加し、仮設に住まう人々との交流も重ねてきました。原発事故の風化が進む中、いつも心に留めて頂き、訪問して下さることは、大きな喜びであり、励ましでもあります。


福島を忘れない車の旅         

東京教区月島聖公会:小川昌之

東北大震災後、「福島を忘れない車の旅」を月2回ペースで呼び掛けてきた。ワンボックスカーを駆って行う1泊2日・2万円・800キロの旅である。

郡山・新地・小名浜の各センターを訪問し、スタッフのお話を聞くと共に、お茶会に参加して被災者との交流を行う。被災地を巡り、被害の実態と復興状況を目の当たりにして、震災と原発事故の核心に迫り、原発立地の相双地区では放射線量の測定も行う。

東京・横浜・中部教区の皆さんを案内したが、車中での教会間・教区間の情報交換も有意義であった。

「行って被災者の何の役に立つ?自己満足だけでしょ」と言われながら続ける旅。自己満足の誹りを免れないかもしれないが、自分のためだけではなく、他者が視野に入った自己満足。

訪ねた相手から「又来てね。あなたの優しい笑顔を又見せてね」と言われたら、800キロなど何ともありません。健康が許す限り、神様の祝福がある限り、私の「福島を忘れない車の旅」の運転ボランティアは続く。

ほっこりカフェとともに

東日本大震災から5年が経過しました。節目である年を迎えるに当たり、共に歩んできた方々がこれまでを振り返り今想う事を、リレー形式で掲載します。
3人目は、福島県いわき市小名浜の『小名浜 聖テモテ支援センター』で支援している泉玉露応急仮設住宅団地にお住まいで、ボランティアに携わってきた西原千賀子さんです。


 

『ほっこりカフェとともに』

 富岡町 泉玉露応急仮設住宅団地
ボランティアグループ「ほっこり」
西原千賀子

『ほっこりカフェ』
東日本大震災から5年2カ月が過ぎました。3月11日の大きな地震と津波、その後の原子力発電所の大事故が起き、私たち富岡町民には何も知らされないまま、翌12日から行く先のわからない避難が始まりました。人によっては避難所を何度も移動し、家族とも離れ、辛い不安の日々を送ってきました。
震災の年の9月、この泉玉露仮設住宅に入居が始まりました。不安で不自由な避難所生活で疲れ切った身体と折れそうな心。仮設住宅の住民となった私たちのために、日本聖公会小名浜聖テモテボランティアセンターのご支援で、癒しの場となるほっこりカフェが開かれました。香り高いコーヒーをいただきほっとしたのと、コーヒーを運んでくれた教会のボランティアの方から、「これまで大変でしたね」と優しく声をかけていただき、緊張が取れ、涙が出そうになったことを覚えています。
ほっこりカフェは、住民交流と町を離れていた町民の再会の場になりました。同じ町民とはいえ住んでいた地区が違うと、顔を合わせれば「初めまして」の挨拶から始まります。「あんだ、どごさ住んでいだの。んだの、オラげの近ぐだね」「よろすぐね」。懐かしい富岡弁のひびき。人の声も聞き取れないほどの賑やかさの中を、コーヒーやお菓子を忙しく運んでくれる教会のボランティアさんを見てありがたく思うとともに、これは私たちのこと、自分でやらなければと思いました。思ったら動く、ボランティアセンターの方にお願いして、カフェのボランティアをさせていただくことになりました。
受け入れていただき本当にありがたいことでした。この日から、週2回のほっこりカフェの手伝いが私の生活になりました。その後、住民の皆さんを募り、2つのボランティアグループで運営のお手伝いができることになりました。

 

『ほっこりする一日』
9時30分、「もう入ってもいいがい」と声がかかる。手を繋いでくる2人「ほら、ここで靴脱いで、オラの手につかまれや」。お互い高齢なのに、いたわりながらの微笑ましい光景でカフェが始まる。「ここのコーヒー、うまいごどなー」とすっかりコーヒー通。各教会から折に触れ送っていただくお菓子に顔をほころばせながらも、珍しいからと食べずにおみやげにしたり、顔を見せない隣人を気にして迎えに行ったりと、常に人を思いやっている姿は嬉しいものです。人生の先輩の教えもあります。お新香の漬け方、煮物のコツ等。ほっこりカフェで顔を合わせ話をすると、楽しく気持ちが落ち着くと言い、ふるさとでは知らなかった人同士が、今は家族のように支え合って暮らしています。
ボランティアで来られた方に震災の体験を語る人、その肩を優しくなで包み込むように聞く姿を見られるのも、このカフェです。皆のかけがえのない場所になったほっこりカフェを、居心地の良い場所にしたい、楽しく集まってもらいたいと考えることが私たちの楽しみでもあります。

 

『町民歌』
「桜咲きつつじも咲いて 夜ノ森(※)は花の季節よ~🎵」。コーヒーの香りの中に流れる歌声。それぞれが思いを込めて口ずさむほっこりカフェのひと時、社会福祉協議会のリードによる富岡町民歌「富岡わがまち」です。歌詞全般がふるさと富岡の風景、歌えばそこに帰れない我が家がある。初めの頃は涙で歌えなかった。「何で町民歌なの」と席を立つ人もいたほどでした。毎日正午になると全町に流れていた町民歌。それぞれの人生の思い出が詰まっている今は帰れない町。悲しくて辛くて悔しくて歌えない、それでも思いを一つに出来るこの歌を歌う。ふるさとを忘れたくないから。最近は涙なく歌えるようになってきましたが、それでもまだ1番しか歌えません。「カフェだから歌うんだよ」と照れ気味に言う人、皆そうかも。

 

『お母さんの力ってすごい』
ほっこりカフェは、お母さんたちの仲間作りの場にもなりました。餅つき大会・芋煮会・花見など、自治会が主催でも、ほっこりカフェが主催でも、カフェのボランティアのお母さんだけでなく、自主的に集まり準備から調理かたづけまで全部やってしまいます。誰が言うわけでなく、できる人ができる事をする。お互いを尊重し、得意分野で力を発揮する。お母さん、すごい。もちろんお父さんの力がなければ、行事はできません。
私たちは、この仮設で初めて会いました。それがこの数年間の間に、かけがえのない大切な仲間になりました。声が聞き取れないほどいっぱいだったカフェの日、現在は毎回20名程の参加者があります。
自宅の再建、公営住宅への入居などで仮設を出られる方が多くなってきました。嬉しいことですが、少し淋しい気もします。退去されても、カフェの日にコーヒーを飲みに来てくれる方もいます。コーヒーと優しい言葉に癒された、ここのすべてが楽しい思い出に変わる時期が来ています。
かけがえのない場所、ほっこりカフェをつくっていただいた、小名浜聖テモテボランティアセンターのご支援に、心より感謝します。

 

『桜舞う町で』
富岡町復興応援歌「桜舞う町で」は、今、町民の間で歌われている歌です。
桜は咲くその季節を覚えていて、美しく咲きます。見てくれる人がいなくなった町で、けなげに咲いています。「大丈夫、待っているから」と言っているようです。帰れる日、その日が来たら、桜の下でほっこりカフェなんてどうでしょう。

 


(※)夜ノ森(よのもり)とは、福島県富岡町と大熊町の境に位置する森林地帯。放射線量が高い帰宅困難区域と居住制限区域に分かれているため、道路にはバリケードが設置され、入ることが出来ない場所が残る。桜やつつじの名所であり、町民にとってふるさとのシンボルとなっている場所である。

震災から5年目のボランティア

東日本大震災から5年が経過しました。節目である年を迎えるに当たり、共に歩んできた方々がこれまでを振り返り今想う事を、リレー形式で掲載します。
2人目は、福島県いわき市小名浜で仮設居住者支援を行っている『小名浜 聖テモテ支援センター』でボランティアに携わってきた中原よし子さんです。


 

『震災から5年目のボランティア』

 小名浜聖テモテ教会 エリサベツ
中原よし子

何もかも失われ心が折れていた私に、神様が一つのレールを敷いてくれました。それがボランティアという道でした。初めての経験です。どう接すればいいかわかりませんでしたが、仲間に加えていただきました。大変戸惑いましたが、京阪神3教区(京都・大阪・神戸)の聖職・信徒の方々が、同じ仲間同士として心を開いてくれました。しかし3教区の方々と接するのも初めてです。不安の中、ボランティア活動が始まりました。

3教区の方々の仕事を見ながら学ばせていただき、時間をかけお手伝いをさせていただきました。仮設住宅でのほっこりカフェでは、一人ひとりに一杯のコーヒーを配り、寄り添って話しかけ、自分自身を証ししたりして近づいていきました。少しずつ話しかけてくれる仮設の方々が増えていきました。一人ひとりの声が大きくなっていきました。とても嬉しくなり、ついつい一緒になり、仮設の住民と間違われることもあるくらいはしゃぐこともありました。あるご婦人は私の手をいつも握って「ありがとう、ありがとう」と言ってくれましたが、その言葉に私の感謝が一杯です。お手伝いをして、本当に良かったと思いました。

自分達のことは自分達で頑張ろうとする姿勢が見られたのは、仮設の住民によるボランティアグループが発足したことです。あれだけの悲しみを経験し大変な生活をしているのに、人のために手を貸してくれる素晴らしい心に感謝でした。

5年間の中には、悲しいこともありました。ボランティア仲間の逝去です。わたしが戸惑っていた時、いつも声をかけてくれた彼女は、今は天国で私たちを守ってくれていると思います。

泉玉露仮設でのほっこりカフェは、週2回(月・金)です。渡辺町昼野仮設も、同じく週2回(木・土)です。週4回、とても楽しくお手伝いをさせていただいています。今では、私の方が仮設の方々に癒されていると思っています。このボランティアとしての関わりがなければ、本当にどうなっていたかわかりませんでした。

仮設に多くの友人ができました。同じ人間同士ですもの、どこでまたお世話になるかわかりません。深い悲しみを乗り越えきてた仮設の方々と、命の大切さをますます伝えなければならないと思います。生きていれば、楽しいことが一杯待っています。ある時、一人の女性が「ほっこりに中原さんがいてくれてホッとした」と泣きじゃくりました。私には、ほっこりで辛くて耐えられない事が何度かありましたが、いつもその言葉を思い出し、一人の方のお役に立ったと思うとボランティアをやってきて良かったと思いました。

仮設の方々は、まだまだ将来への不安を抱いていると思います。復興住宅に入られても、不安は解消されないと思いますが、皆さんと手をつなぎあい、周りの方々とつながりを作り出すことが必要と思います。

建物の復興はできても、心の復興は未だに見えていません。月日が経つにつれ、ますます孤独感は大きくなると思います。自分から進んで友達を作っていただけたらと思います。私は知らなかった方々とボランティアして、友人ができ、支えられて生きています。特に日立聖アンデレ教会の信徒さんには感謝でいっぱいです。あなたの支えがなければ、ここまでやることはできませんでした。また3教区の方々のことも、決して忘れません。どんな時でも笑顔で接する姿を忘れません。今もほっこりカフェのために、美味しいお菓子とメッセージを送っていただき、ありがとうございます。まだまだ続くボランティア、少しでも寄り添えたら幸いと思っています。

コラム

東日本大震災から5年が経過しました。
節目である年を迎えるに当たり、共に歩んできた方々がこれまでを振り返り今想う事を、リレー形式で掲載します。

Newsletter “Living Water” No.10

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Newsletter of the “Project on Nuclear Power and Radiation” — Part II of the “Let’s Walk Together” Project, the Anglican-Episcopal Church in Japan’s efforts to “walk together” with victims of the Great East Japan Earthquake of March 2011

“Let’s Walk Together” Project Part II                      Living Water

Volume 10, April 2016

http://www.nskk.org/province/genpatsugroup/English.html (Linked to the Provincial Office’s website)      world without nuclear Anglican  Search

(Translated into English from the original Japanese by Heeday.
The English translation edited by Rev. Dr. Henry French, ELCA, except for the donation information and the Project’s introduction)

 

Hooked on Producing Radioactive Waste
~~ Essence of restarting nuclear power plants ~~


 Revd. Makito John Aizawa, Chairperson,
Steering Committee, Project on Nuclear Power and Radiation

In discussions about restarting nuclear power plants (NPPs), people holding many different points of view contradict each other. Some speak from the viewpoint of energy, some from that of the economy, some from concerns for life, and some from many other points of view. Still, to us at the Project, the priorities are obvious. Restarting a NPP, in essence, means continuing the production of nuclear waste. What we have to keep in mind is that such waste does not come from nature and does not decompose back into nature. Worse yet, radioactive waste is something that none of our existing technologies can either decompose or neutralize. In short, a NPP restart creates an ongoing dangerous situation.

Some argue from the economic viewpoint. Are they simply saying, “As long as we can make money, anything goes”?

With respect to energy issues, it is clear that we need to change our systems of energy production, and the relevant parties should support such changes. With such changes, we would be able to move our society towards safer energy sources, e.g., power produced from solar, wind, wave, (geo)thermal, and other sources of energy. Also, obviously, if power production from alternative energy sources brings in monetary profits, more businesses will utilize them.

Now, what matter most is the issue of protecting life. The more we run NPPs the more radioactive waste we produce, a serious danger that we have no way to neutralize. We will be extending a present danger into the future. One anti-nuke poet wrote a “haiku” which goes: “Just restart (NPPs), there is no tomorrow for us.” I find it quite persuasive.

The Anglican-Episcopal Church in Japan, at its 59th General Synod (2012), adopted a resolution named “For a World without Nuclear Power Plants – The Anglican-Episcopal Church in Japan Opposed to Nuclear Power Generation.” It says: “…we call for… a conversion of Japan’s energy policy toward the development of alternative sources of energy.” Let’s stand firmly, once again, on this resolution. We are living today and there will be people living tomorrow. We have to keep this “tomorrow” in mind. We have to create a society that respects life.

 

Important Notice

Our Project, active over the last two years, terminates with the Church’s General Synod this year (2016). The Project on Nuclear Power and Radiation, begun as “Part II” of the “Let’s Walk Together” Project, has been helping those affected by the March 2011 disasters, as well as spreading information on what nuclear power really is and does. Soon a report will be published on activities conducted over these two years. This is the last issue of the Project’s bulletin, “Living Water.” We thank all of you for having read our bulletin.

Although our activities to help those affected by the 2011 disaster are to be reorganized, we will continue them in some fashion, and we are currently making preparations to do just that. When it is decided how we will continue such activities, we will issue a notice to that effect.

We extend our gratitude to all those who have helped us in our activities, financially and/or otherwise, as we have sought to stimulate more people to be concerned about the dangers of nuclear power. In the coming years as well, every one of us will continue to strive to create a society that “values life.”

 

The Project on Nuclear Power and Radiation

This is a committee of the Anglican-Episcopal Church in Japan, founded upon the work and direction of the “Let’s Walk Together!” Project and the 2012 General Synod resolution “For a World without Nuclear Power Plants.”

Executive Committee: Revd. Makito Aizawa (chair), Revd. Akira Iwaki, Revd. Kenzo Koshiyama, Revd. Tazuru Sasamori, Ms. Hiroko Miyawaki
Secretary General: Kay Ikezumi
Office location: 2-9-23, Hayama, Koriyama, Fukushima Prefecture 963-8876 Japan
Phone: +81-249-53-5987   Fax: +81-50-3411-7085

 

 Report on the Project’s Activities in 2014 and 2015


The activities below are what we have accomplished, thanks to your help and prayers

[Research and Publicity Team]
So far, the Team has been studying what nuclear power truly is and does and sharing what we have discovered with the world. In addition to this bulletin, on November 1st, 2014, we published the 3rd impression of a revised edition of “NO-NUKE Q&A,” which is also available in Korean and English. To see the “Q&A,” you can visit the “Q&A” pages of our Project’s website. Those pages are also linked to the Provincial Office’s website. Furthermore, the Project’s website and weblogs on activities to help temporary housing residents have been spreading the “honest opinions” of those “walking together” with victims of the meltdown in Fukushima. We earnestly intend to let as many people as possible know both what is happening in Fukushima and how devastating a nuclear plant accident can be. Also, we want people to learn from the disaster and to live wisely.

 

[Support Team]
1.Refresh (Retreat) programs
These regular outing programs for kindergarteners enabled children from Fukushima to refresh their bodies and minds by playing outdoors free from worries over radiation. Also, people from some other Dioceses of the church have provided both help and encouragement, creating cherished memories for the children and their parents. In addition, we have been holding support programs for mothers of Fukushima who are experiencing an extremely tough time raising their children amid fears of radiation.

牛島和美さんコンサート
Moved by songs and sign language messages of Ms. Kazumi Ushijima from the Kyushu Diocese
  • Kindergarten outings

▲Enjoying the season and refreshing one’s mind and body in nature

Singing and dancing with “Rocket Crayon” from the Kobe Diocese
Singing and dancing with “Rocket Crayon” from the Kobe Diocese
  • Programs for mothers and their kids

▲Massaging their babies with aromatic oil, mothers relax together with their babies

2015_07050078
Assistant nurses from the Okinawa Diocese help the kindergarten face tomorrow amid all the difficulties confronting Fukushima
  • Summer holiday “refresh” (retreat) programs

Voices from families that participated in the retreat in Takashima,
Nagasaki (Kyushu, Japan) in 2015

  • I enjoyed diving again and again in the sea. I loved it so much that I hated having to go back home.
  • Takashima’s sea was so beautiful! Fish were swimming around my legs, to my pleasant surprise. Also, I caught a cicada named “kumazemi” (a species of cicadas native to Japan), which is hard to find in Fukushima, and I still show it off to friends today.
  • I was amused and amazed to find some “sapphire devils” (tropical fish) in the sea there. Thanks for the precious time. I had great fun!
  • That was the best summer vacation I ever had. The sea, the sunset, and — everything was just gorgeous!
  • Swimming and diving in the crystal clear sea; I enjoyed so many things I did over there. I still appreciate the love all of you showed to us!

 

2.Support to temporary housing residents
“Support Center Shinchi Gangoya”

Some of the Center’s staff resided in temporary housing located in Shinchi, Fukushima, in order to provide many kinds of help to the residents.

  • “Comfy” events (weekly to monthly)
    Physical exercise for health, movie shows, mini-concerts, counseling, programs for kids, visits to evacuated hometowns, and many more activities
  • Annual events
    summer camps, street performances, artistic creation, and more.
“Shamisen” (Japanese banjo) performance.
“Shamisen” (Japanese banjo) performance.
  • Visits, learning, interviews, pilgrimages,
    Visits to hard-hit areas, fellowship with others affected by the 2011 disasters.2015年6月18日

~~ Voice from an on-site staffer ~~

Now, five years after the 2011 disasters, more and more refugees are finding new houses. However, most of those who are still resident in temporary houses are evacuees from the Fukushima Daiichi meltdown. Those residents share a strong sense of isolation, feeling “abandoned.” Their sense of insecurity about their future, coupled with stress from poor housing conditions, is creating serious problems. Some are experiencing unwanted conflicts with local residents who are not refugees. I do see that the need for mental care for those evacuees is growing greater and greater as time goes by. In a situation like this, our weekly Wednesday Café provides a good opportunity for fellowship among the residents. We run many other seasonal programs as well, to bring the residents together.

From my experiences, I can say that the best help to the residents here, who are victims of the meltdown, is providing opportunities for them to share their questions, anger, etc. with those visiting them.

 

St. Timothy’s Support Center, Onahama
This Center has been holding “Comfy Cafes” and running programs participating in local events that enhance fellowship among residents at two temporary housing complexes.

  • Izumi Tamatsuyu Temporary Housing Complex
    (for evacuees from Tomioka, a town close to Fukushima Daiichi)
  •  Hiruno Temporary Housing Complex, Watanabe Town
    (for evacuees from Okuma, a town at the foot of Fukushima Daiichi)

    昼野
    Comfy café

▲ Third and second-year children of St Timothy’s Kindergarten visited the temporary housing to sing and enjoy fingerplays together with residents.

~~ Voice from an on-site staffer ~~

Recently, we are having less and less fun events here in the temporary housing. Our “Comfy Cafés,” therefore, have become something that many can count on for fellowship, while they wait for their turn to move into publicly-owned houses for refugees. Many around the nation send snacks and goodies to encourage the residents, who appreciate them very much at every café.

 

  • Support to those residents moving into publicly-owned houses
    We have been providing help to those aged and/or disabled residents of temporary housing with whom we have built up good relationships. We help especially with those issues that welfare administrations and social welfare councils often fail to notice, such as buying and assembling furniture for them, listening to their problems, etc. At the public houses they are moving to, they do not have many opportunities for fellowship like Comfy Cafes. This is one thing we are worried about for the years ahead.

Sign of the Times
– Column on Current issues


Margaret

The Fukushima Daiichi disaster has taught us a lesson, namely that every nuclear power plant must have a disaster countermeasures base in order (1) to protect those workers counteracting the disaster from radiation, (2) to store food and materials, and (3) to maintain communication with the relevant authorities, etc. Such a countermeasures base, built to be earthquake-proof, is required by the new safety standards for nuclear power plants (NPPs). The Tokyo Shimbun newspaper, however, conducted its own survey, as described in its article in the February 7th, 2016 edition, and has discovered that Kyushu Electric Power has abandoned a plan to build such an earthquake-proof base in the Sendai NPP, which it restarted in December 2015. The same power company has abandoned a plan to build such a new building for its Genkai NPP as well. At 11 of those 16 NPPs for which an application has been made for a restart inspection by the Nuclear Regulation Authority, the safety enhancement plan has been altered to do without an earthquake-proof countermeasures base. The reason is obvious—building such a base entails an enormous cost.

Standing firmly upon the conviction that every citizen’s awareness and determination can affect the course of his/her country’s future direction, it is my sincere hope that every citizen will join the movement to abolish nuclear power. By switching the foundation of our economy over to renewable energies, our economy can thrive.

“An Appeal from Wakasa, Fukui”


Revd. Tetsuen Nakajima
Priest at Myotsuji Temple, located in Obama, Fukui

(Note: Wakasa is a region in Fukui Prefecture, Japan, some 40 to 50 miles north of central Kyoto. The region hosts many nuclear power plants.)

Thanks to a provisional ruling by the Ohtsu District Court, Takahama Nuclear Power Plant’s Units 3 and 4 are currently out of operation. Its operator, Kansai Electric Power, however, has filed an objection to the ruling, calling it “absolutely unacceptable.” Should the power company win the case at the upper court, Kansai Electric says it will demand payment of compensation for the financial loss (JPY10 billion or so?) inflicted on the company while the two units have been out of operation from those citizens who petitioned for the ruling.

At the previous mayoral election in Takahama Town, which hosts the nuclear power plant (NPP), one major issue was whether or not to host the NPP. The power company asked many employees of its subcontractors and general contractors to move their citizen registrations over to Takahama so they could vote in the mayoral election. Thus, Kansai Electric helped the incumbent mayor, who supports the NPP, win the election. He is now serving his fifth term.

Also, before restarting the Takahama NPP this time, the power company held a concert performed by the Osaka Philharmonic Orchestra at a hall in Takahama, inviting some 500 residents of the town, free of admission. Then, around the end of 2015, along with three other organizations—the Association of District Leaders of Takahama, the town’s Chamber of Commerce, and the Tourism Association—the power company asked the assembly of Takahama to permit the immediate restart of the NPP.

In Fukui Prefecture, a petition was submitted “not to permit the restart” to Governor Nishikawa The petition was signed by some 300,000 petitioners, including some mayors from outside Fukui, the greatest number ever among similar petitions there. Nevertheless, in Takahama Town , the signature collection faced some very tough problems. Historically, when Kansai Electric built Takahama’s Units 1 and 2, and when it added Units 3 and 4, Takahama Town’s mayors did not just say “yes” to the power company. Many residents of Takahama and neighboring municipalities, including many young mothers, held powerful protest movements against the NPP. In short, however, their protest activities were brought down by megabucks from the pro-nuclear camp—enigmatic “cooperation money,” gigantic fixed asset tax income which becomes available to the hosting municipality once a NPP is built, national subsidies to the hosting municipality, etc. Also involved were the jobs provided by the NPP’s many subcontractors. Thus, the local economy of Takahama has become more and more “addicted” to the NPP, and its residents are now reluctant to criticize nuclear power.

A local situation like this was still understandable right after the Fukushima Daiichi meltdown. Still, now five years after that, Takahama’s local situation has not changed much. I have to call it “NPP megabuck fascism” and “domestic colonization.” The Wakasa Region hosts 15 NPP reactors today, however, the power produced by them is consumed by the greater Kansai Region (Osaka, Kobe, Kyoto and their vicinities).  Fukushima Prefecture hosts 10 reactors, whose power is consumed by the greater Tokyo Region.

Now, in the court case to suspend the operation of Takahama, the plaintiff citizens of Shiga Prefecture (southern neighbor of Fukui) showed the world what an “action from conscience” is, and the judges of the Ohtsu District Court made an exemplary decision. They have greatly encouraged us, citizens of Wakasa. Both “hosting municipalities” and “consuming municipalities” will be victims of a major NPP accident. Before that happens, there should be a movement, supported by the majority of the nation’s citizens, opposing NPP restarts and the prolongation of nuclear power. Such a movement is something to be equally participated in by both Christians and Buddhists, in solid friendship and in prayer.

Attention!

Kansai Electric restarted its Takahama NPP’s Units 3 and 4, located in Takahama, Fukui, in January to February of 2016. Twenty-nine residents of neighboring Shiga Prefecture filed a lawsuit at the Ohtsu District Court, asking that the two units be stopped. The Court’s chief judge, Yoshihiko Yamamoto, judged in favor of the plaintiffs and gave a provisional ruling to suspend the two units’ operation, on March 9th.

In essence, the ruling said —

  • Good efficiency in power generation cannot compensate for immeasurable devastation caused by a major NPP accident.
  • The investigation of the Fukushima Daiichi meltdown has yet to identify the true causes of the tragedy. They still do not even know whether the earthquake or the tsunami, or both, was the true cause.
  • If we face the Fukushima disaster seriously, we need to establish a brand-new safety standard for NPPs, standing upon the principle that no severe accident should lead to irretrievable devastation. The current “new” standard lacks such a principle, and the escape plans and other measures are not sufficient.

Traditionally in Japan, a court judge has had to risk his/her professional career to make a decision to suspend a NPP. This brave new ruling by Mr. Yamamoto, however, has established a good precedence, one which hopefully will open up a new era when a judge with good common sense can suspend the operation of a NPP. We, the Project, sincerely hope this ruling will accelerate the movement to “go nuke-free.”

 

ボランティアを始めて3年 ~今思うこと~

東日本大震災から5年が経過しました。節目である年を迎えるに当たり、共に歩んできた方々がこれまでを振り返り今想う事を、リレー形式で掲載します。
1人目は、福島県相馬郡新地町の仮設住宅内に拠点を置いている『被災地支援センター しんち・がん小屋』のボランティアスタッフである秦純子さんです。


 

『ボランティアを始めて3年 ~今思うこと~』

支援センター・しんち がん小屋ボランティア
秦純子

私は、ボランティアとして毎月「支援センター・しんち がん小屋仮設」に関わるようになって3年経ちました。この間、主にブログの作成、写真や文書の整理など事務的な仕事の他に居宅訪問もさせて頂いています。水曜喫茶や指圧・マッサージなどイベントのお手伝いもします。いろいろな活動を通して、仮設住宅に住む人たちと過ごす時間は、私にとって何にもかえがたい大切なものです。

震災から5年、私が関わり始めてから3年経って、やっとボランティアの意味が少しずつ分かるようになってきました。先ずは、「ボランティアとして受け入れていただきありがとうございます」というのが、今の私の率直な気持ちです。
震災から5年の時を数え、初めて新地に伺った頃のことを、あらためて思い出しています。
自分としては、支援をしているつもり、わかっているつもりで伺った新地で、現実の被災者の姿に触れ、実は何もわかっていなかった、自己満足の支援であったということを思い知らされました。帰りの新幹線では涙が止まらず、聖公会東北教区のH司祭にメールしました。そのとき司祭から、「純子さん、良い経験をなさいました。支援とは、ただ傍にいることです」との返信がありました。
その時、私には何を言っているのか、さっぱり分かりませんでした。毎月新地に通うようになって3年、やっと、あの時H司祭が教えてくださったことが分かるような気がします。ただその場にいるというのは、誰にでもできることのように思うかもしれないけれど、誰にでもできない事でもあります。そして拠点がなければそれもできないことです。

ランソン女史(※)は多くの種をまいていらっしゃいました。これから種が育つのを願うものです。アッシジのフランチェスコは、崩れた教会を建て直すときに、自ら1つずつ石を積んだと本で読みました。磯山聖ヨハネ教会も、建物だけでなく教会としての働きもこれから1つずつ積み上げていくのだろうな、と思っております。支援センターの働きが磯山聖ヨハネ教会の隅の頭石になることを信じております。そして、聖公会の関係者の方々と共に居られることへの感謝と共に、これから建つであろう磯山聖ヨハネ教会の未来を信じて活動を続けたいと思っています。


 

(※)アンナ・L・ランソン女執事

磯山聖ヨハネ教会の伝道は、1920年の夏に青葉女学院長アンナ・L・ランソン女執事が病後保養のために磯山に来て、林間日曜学校を開いたことに始まります。

ランソン女執事が休暇でアメリカに帰郷している間はカールセン女執事がその後を引継ぎ、種まきの家を建設しました。カールセン女執事の逝去後には、ランソン女執事が再び磯山で伝道を開始します。

1928年にはランソン女執事の住まいであった星見荘にて初めての洗礼式、1932年には初めての信徒按手式が執り行われました。

1936年には礼拝堂兼会館が新築され、同年12月27日聖ヨハネ日に聖別式が行われ、同時に従来仙台聖公会の会衆であった信徒56名を分割して、磯山聖ヨハネ教会員とされたのです。(東北教区成立80周年記念誌より)