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2002年11月25日 169号 《速報版》
日本聖公会管区事務所
〒162‐0805 東京都新宿区矢来町65
電話03(5228)3171
FAX 03(5228)3175
発行者 総主事 司祭 三鍋 裕
 



信頼を深め協働を確かめた日韓聖公会合同主教会
主教 ガブリエル 五十嵐正司
 10月21日から24日、韓国のソウルにおいて日韓聖公会合同主教会が開催されました。日本聖公会の10人の主教(横浜教区の遠藤主教は病気のため欠席)と大韓聖公会の3主教が顔を会わせての合同主教会でした。

 3泊4日の合同主教会ではありましたが、協議会を持ちましたのは初日のみ。翌日午前中は「韓国キリスト教会の成長の背景」についてソウル教区丁哲範主教より講義をしていただき、午後は日本軍慰安婦とさせられた人々が共に生活している分かち合いの家を訪ねました。

 一人の婦人が証言してくださいました。買い物の途中に拉致されて中国へ連れて行かれてしまった様子、逃げたが発見されて、慰安婦にさせられてしまった様子を感情を込めて話されました。韓国語の理解できないわたしたちでしたが(通訳はありましたが)、話す様子で強い怒りが伝わってきました。

 しかし、話が終わった時に、その婦人から一つのお願いをされました。「この分かち合いの家には二人のカトリックの信徒がいる。わたしともう一人。その人は体が弱ってここに来ることができない。部屋に行ってお祈りして欲しい。」

 この言葉を耳にしたとき、わたしはこの婦人の赦しの言葉と同時に手を差し伸べられて一緒に祈りましょう、と励まし導かれた思いがいたしました。笑顔をもって、わたしたちを友人の部屋まで導いてくださいました。6畳ほどの部屋に二人の婦人を囲んで、日韓聖公会の主教たちがひざまずき祈りました。

 三日目は西大門刑務所歴史館を訪ねました。同刑務所は日本帝国が韓国を植民地としていた際に、植民地維持のために建てたものです。同歴史館には当時の模様が再現され、獄舎、死刑場などが原型通り復元されています。日本の利益のために韓国の人々が血を流した事実を忘れることなく、亡くなった愛国烈士を偲び、烈士の自主独立の精神を振り返る、生きた歴史教育の場とされています。これほどに強い意識をもって日韓の歴史を記憶している韓国の人々にとって、現在の日本の教科書問題は深刻な問題として見えてくるのは当然のことでしょう。

 この日、午後はソウル教区が早くから関わっている貧困地域での分かち合いの家を訪ねました。地域の人々の様々な必要に応えてシェルター、職業訓練、などを行い、ソウル市民から高く評価されている働きとのこと。若い聖職・信徒が活き活きとして働いており、ソウル教区の活力を見せてもらいました。

 第一日目の合同主教会では、2年後の2004年に、日韓聖公会正式交流20年目となることを覚えて話し合いが行われました。1984年ソウルで開催された第一次宣教セミナーにおいては、「相互理解」をテーマとして、日韓の歴史を学び、翌年大阪で開催された第二次宣教セミナーにおいては在日韓国・朝鮮人の人々が多く住む生野地域で現場研修を行い、「わたしは主に罪を犯しました。」(サムエル下12章13節)をテーマとして学びと祈りをいたしました。

 その後、第五次宣教セミナーまで開催した後、日韓の青年交流が今年まで毎年開催されました。
合同主教会での話し合いは、これまでの交流が反映された信頼と協働の思いをさらに深める時でありました。この場において主に次の三点が話題となりました。

 第一に、日韓の相互理解と協働を続ける上で、青年交流は重要なプログラムであること。
 第二に、2004年に、日韓聖公会交流の20年評価会を開催することは適切であること。
 第三に、日韓合同主教会は相互理解を維持するために2、3年をめどに、協議すべき課題が生じた場合には必要に応じて開催することは適当であること。

 話し合われた諸事項は今後、両聖公会の諸機関においても話し合われるものと思われます。

 両聖公会ともに2年後には教区主教の定年退職により、多くの主教会メンバーの交代があります。しかし、今回の合同主教会は、今後も、相互信頼のうちに、宣教における協働を継続したいとの思いを共に確かめる時となりました。
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礼拝音楽研修会に参加して
管区事務所総主事 司祭 ローレンス 三鍋 裕

 聖歌集改訂委員の鈴木隆太さんからお電話をいただいた。仙台での教区礼拝音楽担当者会に出席するようにとのお達し。「私は音楽が、からきしわからないから、時間と費用の無駄ですよ」と申し上げましたら、「ただの音楽ではなく礼拝の音楽だから、総主事が礼拝がわかりませんとは言えないでしょう。挨拶に来なければ…」とのことで逃げるわけにもいかなくなりました。実は本当にわからないのです。礼拝でも周囲にご迷惑をかけないように、声を出さないで口だけパクパク動かしているのです。楽譜を見ても外国語と同じでなんの役にも立たない、おたまじゃくしが蛙の鳴き声を出すようなもの。高校受験のときには、ヴェートベンの交響曲の名前は暗記したけれど、曲は聞いたことがない音楽教育でしたし…。

 でもすばらしい研修会でした。委員長の森主教様、東北教区の佐藤主教様からお励ましのお言葉も頂戴できましたし、参加者のレベルの高さには感心しました。お弟子さんのレッスンを休んで来ておられる方も多いでしょうに、これだけのメンバーをタダで集めるとは、日本聖公会は大したものです。皆さん謙遜なのです。単なる音楽と礼拝音楽は違うのだと、礼拝音楽の大切さと素晴らしさを教えてくださいました。

 まず歌詞を読んで味わい、その心を音楽で表現する。時として難しいと感じる曲があるかもしれないが、そのときには繰り返し繰り返し練習してみる。大好きな曲になるかもしれない。礼拝音楽で、これだけが唯一絶対正しいと言うものはないことも忘れないように。礼拝音楽を難しく考える必要なんかないのだ、姿勢を正しく(たとえ腰が曲がっていようとも、心はしっかりと神様に向けて)、歌謡曲ではなく神様への呼びかけなのだから楽に普通に、独唱会ではないのだからお互いに合わせて歌う、これによって心が一つになり、いっしょに礼拝を捧げることができる。礼拝音楽だけではなく、私たちの信仰生活そのものについて教えられる気がします。

 それにしても聖歌集改訂委員会の努力は大変なものですね。「増補版」、「改訂試用版」、ガイドブック「心は賛美に満ちて」、「別冊礼拝式文用曲譜、朝夕の礼拝」と成果がささげられている。食わず嫌いの反応が少々悩みだそうですが。朝夕の礼拝の曲譜も「司祭が不在のときに、信徒が司式して礼拝を守ることも想定して」まで配慮されている。こういう配慮が必要な現実は、礼拝音楽とは別に深刻に考えなければならないでしょう。紹介されたアンケートの結果によれば、オーガニストが1人もいない教会が数多くある。中には「聖餐式は月に1回か2回、陪餐者が1人、2人の時も珍しくはない」というのもありました。司祭と2人だけで歌っておられるのだろうか。地域によっては周囲の宗教的慣習に気を使いながら忠実な信仰生活を守り、良き隣人として尊敬されている小さな会衆もある。老人ホームでご家族とクリスマスの聖歌を口ずさむことさえ遠慮しておられる方もおられる。でも声にしないけれども‘心は賛美に満ちて’いるに違いありません。日本聖公会全体がこのような方々の祈りによって支えられているように思えるのです。どうぞ、皆が喜ぶ良い聖歌集を完成させてください。

 大きな教会小さな教会、場所は違うけれども広い意味では一つの共同の礼拝に加えられていることを思い、いっしょに感謝と賛美をささげましょう。私も、皆さんにご迷惑をかけない小さな声で歌ってみようかと思っています。
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