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日本聖公会各教区報のなかから
☆毎月、広報主事宛に送っていただく各教区報等のなかからご紹介しております。

京都教区
中部教区
北関東教区






















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創立30周年を迎えた愛の園
京都教区報「つのぶえ」
(第523号・2002年10月20日発行)
 愛の園創立30周年記念式典の朝、修道院では神愛修女会50年の感謝聖餐式が捧げられた。榛名荘結核保養所でうぶ声をあげた昭和24年4月には、親愛修女会という修道院は無かったのである。病棟の一室で起居し、調理場の屋根裏が唯一の修室となった。神と人に仕える修女は自分のためには何も持たないのが原則であった。

 マリアの森に木造の小屋が建ちマリア修道院とよばれる親愛修女会が誕生したのが昭和27年である。アメリカのヨハネ修士会から来られた神父は私たちの御殿を“オー犬小屋?”と言われた。私たちにとっては勿体な過ぎる殿堂なのに。そして20年後、修女会は和歌山に移転し、特別養護老人ホームを設立した。

 お年寄りの介護看護に誠心誠意を尽くし神と人に仕える使命に燃えて歩み出したのである。この時も先ずホームを建てることで貯えたすべて、寄付金のすべてを使い果たし、自分たちの為に残ったものは何も無い。居室の空室を修道室(8人部屋)として祈りの生活に入った。1年後職員宿舎が建ち、5年後に修室(個室)が完成した。何処に住んでも1日7回の聖務時祷と、1日3回のアンゼラスの鐘は打ち続けることが出来た。

 三百数十名のお年寄りを天国へ送り、愛の園は30周年を迎えました。20歳代で飛び込んだ修道生活も、70の坂を越えました。思いやりも優しさもお年寄りから学びました。

 愛の園30周年記念式典は、聖餐式から始まり、3人の主教様と聖職達によって荘厳に始まり、愛の園創立の中心がどこにあるかを職員たちは再認識したようです。華やかな立食パーティと御祝辞、“祝祷”で解散という運びになった時、初めから終わりまで最も愛の園らしい集いでした、と或るカトリックの神父は申されました。主に感謝!!

 愛の園が今、直面していることは老朽化したホームの改造です。全個室を目標にユニットケアーを目指して前進するつもりです。土地の問題、資金の問題の前で祈ります。必要ならば必ず与えてくださることを信じて。
デイサービスの車が町から村へ走ります。支援センターが24時間対応で活動しています。

 グループホームも始めてほしいとの要望もあります。愛の園への入居希望申込者が二百数十名を超えました。今緊急にしなければならないのは、資金作りよりも継承者が生まれるということです。

 信仰を引き継ぎ聖書的使命に生きる人、祈りつづける人を神様がお育てくださいますように、ひたすら祈り求めてまいりたいと存じます。皆様も共に祈ってください。
(愛の園 施設長 濱野タキ)






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要約筆記に寄せる感謝
中部教区報『ともしび』
(第354号・2002年10月1日発行)
 難聴の身となってようやく人の心を実感として受けとめているこの頃です。

 路地を歩いている時、何となく身に受ける違和感。ふと見ると車が追い越していく「あっつ……」と思う事がしばしばあります。気をつけないといけない。あるいは、お話する相手の話がはっきりと聞こえない。そのような時、ひとしお気が滅入る。

 お説教のときは尚更であり神経を集中させるが然と駄目。済むまでを私の反省時間と思い努力していた。そんなある主日に婦人会の方が要約筆記を始めてくださった。嬉しかったですネ。特にお説教の内容が「そう、私の心の灯」となりました。「主の恵み汝に足れり吾が恵み汝の弱き所に全うせらるればなり」有難いことだと主のみ言葉を心の中で繰り返しました。聞こえない私にとって、要約筆記ということは本当に嬉しい事です。マルコ教会だからしてくださる婦人会の方の温かいお心が身に伝わってくる。そう、聞こえない人たちの「心の灯」なのです。主に感謝。
(名古屋聖マルコ教会 ルデヤ 石黒きく江)
*  *  *
 高齢化が進むなかマルコ教会では、月に2、3回礼拝に要約筆記をつけています。祈祷書、聖書は前もって
用意したものを映し、説教は、聞きながらの要約筆記になります。3人は必要ですので、筆記者がそろわない時は、となりに座ってノートに書き写すこと(ノートテイク)になります。まだまだ技術的には未熟ですが、少しでも情報提供が出来ればと願って活動を続けています。

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なぜ住基ネットを拒否するか
北関東教区時報
(第225号・2002年10月27日発行)
 日本全国から凍結や延期を求める多くの声が寄せられたにもかかわらず、8月5日政府・総務省は、個人情報保護措置も不十分なまま住民基本台帳ネットワークを本格実施した。

 国民全員につけた11桁の住民票コードに個人情報を載せ、コンピュータネットで管理する住基ネットは、やがて私たちに顔写真とI.C.チップが埋め込まれたプラスチックのカードを持たせ、将来の「電子政府」のもと、揺り籠から墓場まで監視しようとするものだ。狂牛病問題で全国の牛に10桁の番号が付けられたが、とうとう人間も11桁の番号が付けられ管理される時代となってしまった。しかし住基ネットの危険性から福島県矢祭町は、住基ネットの仮運用初日に不参加を宣言。8月には杉並区と国分寺市が個人情報保護が不十分として不参加を決定した。さらに横浜市は、参加・不参加は市民が自己決定するという「選択制」に踏み切った。9月には中野区が住基ネットから離脱した。このように全国の自治体から多くの疑問が出、離脱の動きが始まった。これによって全国で4百万人以上は不参加となっている。

 神の似姿として創造された人間に、番号を付けて管理する?前述したように、牛と同様「国家の家畜」として私たちは管理されるのである。これについて私たちの答えは一つしかないであろう。

 「否」である。行政の意のままに操られ、監視の目を気にして、ものを言えない社会・人格が侵害され、誤った個人情報によってレッテルを張られる社会。番号を付けられたものが、番号を付けられない〈在日の外国人労働者など〉を排除・差別する社会。さらに知られたくないプライバシーが大量に瞬時に漏洩する社会。これらに今こそ「否」を。住基ネット廃止をめざして。 (LSS)


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