日本聖公会
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管区事務所だより
2004年10月25日 第189号
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日韓聖公会宣教協働20周年記念大会報告/日韓聖公会宣教協働20周年記念大会共同声明
□日本聖公会の対外援助と現地の情況 □NCC中国訪問代表団参加報告


■日韓聖公会宣教協働20周年記念大会報告



宣教主事 司祭 武藤謙一
 日韓聖公会宣教協働20周年記念大会は10月18日(月)から21日(木)まで福岡にて行なわれました。大韓聖公会からは3教区主教を含む44名が、日本聖公会からは8教区主教を含む62名が参加しました。今大会は1984年10月に「日韓聖公会宣教セミナー」を開催し公式交流を始めてから20年にわたる宣教協働の実りに感謝するとともに、今後の課題を分かち合うため、「感謝と希望」を主題に開催されました。

 参加者は日本語と韓国語で共に捧げられる毎日の礼拝や交流会を通して、主に在って一つである喜びを実感し、また発題、特別講演、分団討議を通して、これからの両聖公会の宣教協働の課題について真剣に語り合うことができました。特に朝鮮半島の平和と統一が、南北朝鮮だけでなく、日本にとってもまた東アジア全体にとっても重要であるとの李鍾元立教大学教授の特別講演は、これからの日韓聖公会の宣教協働の新たな課題を提示されるものでした。分団討議では、 (1) 韓半島統一と平和のため日韓両市民に何ができるか (2) 社会宣教・奉仕における協働 (3) 諸ミニストリー(牧会、教育など)における協働、 の三つのテーマで活発な討議が行なわれ、各グループで話し合われたことをもとに、最終日に共同声明が採択され、日本聖公会首座主教宇野徹師と大韓聖公会管区長主教丁哲範師が調印しました。日韓両聖公会はこの共同声明に基づいて今後も管区、教区、教会レベルでの宣教協働を継続・発展させていくことになりました。(共同声明参照)



■日韓聖公会宣教協働20周年記念大会共同声明

 日本聖公会と大韓聖公会の日韓聖公会宣教協働20周年記念大会は2004年10月18日〜21日まで、日本の福岡において両聖公会の首座主教、管区長主教を始めとして日本側8教区主教、韓国側3教区主教の参加のもと、日本側62名、韓国側44名、計106名の参加者を得て開催された。

 1984年から公式に宣教協働を開始して20周年を迎え、その記念の大会の主題は「感謝と希望」であった。この大会の主なる目的は、過去20年間にわたる宣教協働の結実への感謝と、今後の両聖公会の協働の課題を模索することであった。

 初日は開会礼拝において日本の九州教区五十嵐正司主教の説教があり、ついで歓迎の交歓会が日本聖公会主催で開催された。二日目に両国から信徒及び聖職者一人ずつ、計四名によって20年の感謝と今後の交流の展望を述べた報告がされ、さらに今後の課題について試案の発表があった。続いて立教大学教授の李鍾元氏の特別講演を通して、朝鮮半島の平和と統一が南北朝鮮のみならず、日本にとっても、東アジア全体にとっても重要なことであることが認識された。その後、参加者は分団に分かれて協議をおこない、三日目にも分団協議を重ねた。夕刻には大韓聖公会主催の交流会が催されソウル教区オモニ連合聖歌隊の賛美のコンサートもおこなわれ文化あふれる交歓会が繰り広げられた。

 この度の記念大会で提案、討議、確認されたことは多岐にわたるが、何よりも根本に私たちはキリストにあっての交わりの20年間の豊かな実りを実感した。ただし最近の日本聖公会の機構改革に際して日本聖公会は「日韓協働委員会」の責任と職務を「正義と平和委員会」に吸収、付託する決定をしたが、日本聖公会はその過程を大韓聖公会と充分に協議しなかったことは「協働」の精神に反し、日本聖公会は深刻に反省している。

 今回の記念大会を通して私たちに提示されたことのもう一つは東北アジアでともに生きる者として日韓の平和のみならず、朝鮮半島の平和定着さらには統一に向けて日韓両聖公会に連なる私たちが主体的な取り組みを神と歴史の前に要請されていることであった。

 以上の認識をもとに、20年前にソウルで採択された「第1回日韓聖公会宣教セミナー共同声明」の「@相互理解A神の国を実現する決意B人事交流の実施C在日韓国人問題への取り組みD常設委員会の設置」を更に発展させて、日韓聖公会宣教協働20周年大会に参加した私たちは以下の項目について合意し、管区次元で取り組んでいくことをここに共同の声明として日韓聖公会に向けて発するものである。


1. 日本聖公会と大韓聖公会は継続的な宣教協働のために両国の管区次元でそれを計画、推進する機構を設置する。
2. 両聖公会は今後も管区次元の青年交流のプログラムを実施する。
3. 両聖公会は管区次元で積極的な女性の交流を推進し、宣教活動における女性のリーダーシップの育成をおこなう。
4. 両聖公会は管区次元での社会宣教(社会正義、平和、人権、福祉)、教育などを担っている人たちの交流を推進する。
5. 両聖公会は教区、教会での相互訪問を活性化して、文化交流や信徒・聖職の交流を活発におこなう。
6. 両聖公会は在日韓国朝鮮人との共生にさらなる努力を傾け、在日韓国朝鮮人であるが故に不当な差別に苦しんでいる人々との「共生の宣教」の取り組みを積極的におこなう。
7. 日本聖公会は朝鮮半島の南北分断が日本の朝鮮植民地統治がその根源にあり、戦後も朝鮮半島の分断状況から日本が利益を得ていたことを認識する。
8. 両聖公会は、朝鮮半島の南北統一に向けて共に祈り、積極的な取り組みを展開する。
9. 両聖公会は東北アジアの宣教に新たに取り組んでいく。
10. 両聖公会は、お互いの宣教方策を交換し、神学、礼拝、宣教、牧会・司牧などの共同の研究と実施を一層促進する。
11. 両聖公会は以上のことについて10年後に評価する機会を持ち、それ以降の宣教協働についての協議をおこなう。

2004年10月21日

日   本   聖   公   会 首座主教  宇 野 徹
大   韓   聖   公   会 管区長主教 丁 哲 範
日韓聖公会宣教協働20周年大会実行委員長 主  教  植田仁太郎
韓日聖公会宣教協働20周年大会副実行委員長 司  祭  金 根 祥
日韓聖公会宣教協働20周年大会参加者一同




■日本聖公会の対外援助と現地の情況

 1. 重債務国開発協力資金 ── ダニエル総合農村指導者育成センター(ミャンマー)
 2. モニカ久野奨学金 ── パヤオYMCA(タイ)
 
管区渉外主事 八幡 眞也

1.重債務国開発協力資金
ダニエル総合農村指導者センターを訪ねる (ミャンマー)
ミャンマー聖公会タウングー教区訪問 2004年8月18日〜22日(東京教区植田仁太郎主教と同行)

 タウングー教区ライコウという町の聖パウロ教会が計画しているDaniel Integrated Farming Training Center(ダニエル総合農村指導者育成センター)の詳細計画のヒアリングをし、質疑応答を通してこのプロジェクトが日本聖公会管区の「重債務国開発協力資金」の使用に適していることを確認するために訪問した。

 ライコウの町はミャンマー政府の規制のために訪問できなかったために、タウングーの教区事務所で会議を持った。タウングーはミャンマー連邦国の首都ヤンゴンから車で6時間、距離にして約250kmの所にあるが、車で移動するにも途中で洪水地帯を通過し、また、道路事情が悪い所が多く、移動に殆ど1日かかった。

 会議にはタウングー教区常置委員数名(教区主教ジョーン・ウィルメ主教を含む)、聖パウロ教会牧師スタイロ司祭をはじめ本プロジェクト推進委員数名、植田主教、八幡渉外主事が参加した。養魚・養豚・養鶏、野菜・果物の栽培などを約40エーカーの敷地内でやっていて、既にしっかりした基盤を持っていると判断した。現地を訪問できなかったので、活動紹介のためのビデオを数本見せてもらった。ここに1期間15名の研修生に、年間2回のトレーニングを実施するための建物を新たに建設し、育成プログラムを実行する。当初はタウングー近辺の農村出身者を対象にするが、将来は管区全体に広げる計画を持っている。このプロジェクトで教育を受けた指導者が指導的立場で地域の農村のレベルの向上に貢献し、ミャンマー連邦国全体のレベル向上に繋がることを期待している。中心になるスタイロ司祭は2002年に栃木県のアジア学院で農村指導者のトレーニングを受けている。

 聖パウロ教会は、周りの農村の児童・生徒に寄宿舎を提供していて、現在約50名を預かっている。ミャンマーでは義務教育は5年生までであるが、これ以降の教育を受けるためには近隣の農村の生徒はライコウのような町に出て来て生活する必要がある。通常、農村の家庭ではこのことが不可能なので、教会が彼らを受け入れ、宿舎を提供し、公立校に通学させている。聖パウロ教会の規模は52家族、約200名の受洗信徒がいるという話を聞いた。

 タウングー教区には農村にある教会が多く1教会で10から15の農村の人々に宣教活動を行なっている。信徒家庭の訪問は徒歩でしか行けない所が多く、若い司祭でなければ勤まらないであろう。タウングー教区は、ミャンマー聖公会(6教区・約60,000名信徒)で最大の教区で信徒数約20,000名。タウングーの町で幾つかの教会を訪問したが、幼稚園を経営したり、児童・生徒の寄宿舎を提供している例が多く見られた。

 首都のヤンゴンでは首座主教のサムエル主教にお目にかかった。時間が無くて挨拶のみであったが、とても静かではあるが意思の強そうな方という印象を持った。

今回の訪問の結果をおり込んで9月開催の常議員会でこの支援プロジェクトが承認されたことは非常に喜ばしいと思っています。現地のプロジェクトが成功することを皆様も祈ってください。

2.モニカ久野奨学金
パヤオYMCA (タイ)
パヤオYMCAセンター(タイ)訪問:8月22日〜25日

 タイの看護学校で勉強する女子高校生・大学生を対象にして2001年に設定され、奨学金の支給が始まったモニカ久野奨学金制度を管理・実行しているのは、バンコクYMCAである。現在の奨学生はバンコクから空路で1時間10分、更に車で1時間の所にあるパヤオ近辺の人達である。ここで現在看護学校在学中の3名の奨学生(パッチャリーさん、大学3年生、ジラポーンさん、アンポンさん共に大学1年生、ちなみにタイの大学新学期は6月開始、3月末終了)と面会して、現状を把握した。3名ともにこの奨学金が無ければ大学進学が不可能だそうで、奨学金に対して非常に感謝していた。とても真面目そうな学生である印象を受けた。奨学金の支給者としての日本聖公会の彼らに対する希望を聞かれたので、看護学生として良い成績を上げタイ国民のためになることをしていただきたいと伝えた。彼らは卒業後は医療関係者の立場でYMCAの活動に何らかの関りを持ちたいと言っていた。

 タイにあるYMCAの活動は、英語学校や各種専門学校の運営と社会奉仕活動(たとえばバンコクのスラム街における地位向上のための各種活動)に大きく分けられるが、民間の機関が参加を始めた前者の活動からは徐々に手を引き、後者に対しては活発に活動しているようである。この活動の一環として、パヤオYMCAはこの地域の農村の女性地位向上のための活動を推進している。ミャンマーと同様高等教育を受けるためには農村ではなくパヤオのような町に出て来て生活することが必要である。

 このような理由で主に女子生徒を農村から受け入れて食と住を提供している。現在約50名を預かっていて、近隣の公立学校に通学させている。彼らは寄宿舎の施設で生活し、食事の用意は当番制で対応し、年長者が全体をまとめたり年少者の世話を見たりしている。また、別の活動として就学前の子どものために幼稚園を運営している。これは朝親が幼児を連れてきて、午後に迎えに来る通園タイプである。この他に女性の社会的地位向上のためのプログラムとしてミシン教室(勿論手動ミシン使用)、育児相談、等も行なっている。

 日本各地のYMCAとの交流が盛んなようで、複数の建物(寄宿舎、集会所等)が横浜YMCA、山梨YMCA、仙台YMCA、東京YMCAなどの支援で建設された。私の滞在期間中に横浜YMCAの青年がワークキャンプをしていた。これは毎年開催されていて、今年は6名の青年と2名のスタッフが参加していた。日本の青年が数は少ないけれども、このような農村地域に出かけてきて奉仕活動をしていることを見て、大層気持ち良く思えた。

 モニカ久野奨学生からは1年に1度は必ず現状報告を受けているが、卒業後どのような道を歩むのかトレースを継続することが重要である。




■NCC中国訪問代表団参加報告 − 中国のキリスト教会(2)


阪田 隆一(日本聖公会管区事務所・総務主事)

4.教会が経営する社会事業

 訪問団が見学したのは、上海の基督教協会が経営する老人ホーム「恩光敬老院」である。建物、スタッフから受ける印象は日本の施設とまったく同じである。入居者は80名、定員が120名なので、まだ余裕がある、とのことであった。日本の社会福祉法人のように国や省からの補助金は一切ない、まったく教会だけの力で経営しているとのことである。従って、入居者はキリスト教関係者が多いということであった。
 伺ったときは、集会室で入居者たちによる聖書研究会・祈祷会が行われていた。また、私たちは退職された二人の牧師さんのお部屋をお訪ねした。
教会の経営する老人ホームは、江蘇省の13市に13あるという。


5.神学校

上海、南京の神学校を訪問。
文化大革命の空白期間の関係と、世代交代のときにあたっているためか、どの神学校も学生かと思うくらいに若い先生が多かった。

 牧師が足らないので、信徒の働きが期待されており、神学校には牧師の養成コースの他に、長老(日本聖公会の執事にあたる)の育成コース、信徒の奉仕者の育成コースがある。

 課題は、三自愛国運動のもと、中国独自の神学思想の強化と、人材の育成、牧師の質的な向上であるという。神学校関係者、神学生が行けば、たとえ短い時間ではあっても内容のある意見交換、情報交換ができたのではないかと感じた。


6.愛徳基金

 1985年、世界聖書協会と愛徳基金会の共同出資で、南京で現代的な設備を備えた聖書印刷工場が建設された。そのとき、日本聖書協会も1億円を寄附している。この20年間に印刷した聖書は3千6百万冊、1年間に印刷する聖書は300万冊で世界一という。私たちは実際に聖書が印刷されている工場を見学した。

 愛徳基金会は、中国人キリスト者の呼びかけで創立された福祉団体である。社会における具体的な奉仕活動を通してキリスト教への理解が育まれることを狙いとしている。はじめ洋教(西洋の宗教)の先入観があり、良くない印象があったようであるが、やがて働きを通して、客観的な評価が得られるようになった。

 愛徳基金会は、聖書印刷事業の他、教育活動?学校への語学教師派遣、障がい者の支援、孤児・高齢者への援助、農村の医療奉事者育成、農業指導、AIDS予防事業、貧困家庭の自立援助…等の社会事業を行ってきた。語学教師の派遣事業では、かつては日本聖公から木俣茂世神父(聖使修士会)が、現在は堀江咲夫氏(東京教区)が、日本語教師としてNCCJを通して派遣されている。


7.国家と教会との関係

 鈴木団長は、各訪問先で必ず、旧日本軍が中国で行った略奪、殺戮について謝罪し、かつて日本の教会が神以外のものを神としていたことを反省し、現在の日本における首相の靖国神社参拝、日の丸・君が代の問題に象徴される日本の右傾化に対して、NCCJは常に抗議、反対運動を展開していることを伝えた。中国側(教会、また国家宗教事務局)からも、現在の日本の右傾化について、軍国主義に再び戻るようなことがないように心配している、との意が述べられた。

 NCCJは、国家、為政者に対して、たとえ十分に相手にされなくとも、ともかく抗議する自由がある。中国基督教協会は、信教の自由は認められているものの、国家が行うことに対して抗議・反対することは一切できないのではないか。従って中国側(中国基督教協会、また国家宗教事務局)にとっては、NCCJ(教会)の政府に対する抗議、声明の内容については賛成ではあっても、教会が国家に抗議すること自体については、複雑な思いがあるのではないだろうか。

 国家宗教事務局の事務所として、ラストエンペラーとして知られる愛親覚羅薄儀の生まれた建物(文化財)が使われていた。国家宗教事務局が、外国から来訪の宗教者たちを接待することは、中国の宗教(者たち)と外国の宗教(者たち)の交流を重んじていることとして考えられよう。私たち一行も、北京で国家宗教事務局による午餐のもてなしを受けた。それまで各地でご馳走になった賑やかな中華料理とは一寸趣きを異にした上質な感じの料理であった。確かに日本から来たNCCJの一行は日本のプロテスタント教会を代表する訪問団ではある。しかし、日本の文化庁宗務部が、教会同士の交流の中で来日する他国の宗教者たちを招き、もてなすようなことは考えられない・・・、と国家宗教事務局の若い官僚たちとともにする美味しい料理を味わう中で、私は、それぞれの国で宗教が置かれている違いを感じていた。それはそれとして、NCCJの国家宗教事務局への訪問が、中国基督教会およびキリスト教への理解を深めることに、また中国の信教の自由をますます確かなものとすることに、僅かでも役に立つことを願うものである。

 中国に上陸して、最初に訪問した上海の両会本部で、中国基督教協会会長の曹 聖潔牧師は、お話の中で台湾の問題に触れられた。「台湾の教会と日本の教会の交流があることはよいことではあるが、私たちは祖国の統一を願っている。ひとつの中国の原則を理解していただきたい。中国の人民感情を刺戟しないでいただきたい。中国の教会の思いも同じである。」と。はじめに引用させていただいた 彩紅氏の「苦難と復活」の文中で「…中国の教会は困難な状況に耐えながら残っていく形となった」と述べられていることを思い、そうだろうな、やっぱりな、とダメ押しされたような思いにさせられた印象的なことであった。

 前述したように、1982年に制定された新憲法のもとで、中国では信教の自由が認められている。しかし、完全に、とはいい難い。中国の宗教は「中国基督教会宣言」(宣言の題は「新中国建設における中国基督教の努力すべき道」)の2つの方針にあるように、中国共産党政府の指導のもとにあり管理下にある。

 (因みに日本の宗教法人法は、宗教法人を保護するためにあるものとされており、教会=宗教法人は、宗教法人法のもとに一定の法的な義務は伴うものの、国家の管理下にはない、…と私は信じる。)


8.エピソードおよび感想

(1)南京大虐殺記念館で

 記念館入口で先ず、正面の壁に大きく「300000」と書かれた数字が目に入る。この数字の意味はあらためていうまでもあるまい。

 私たち訪問団は記念の石碑の前で花束をささげ、鈴木団長が祈祷をささげた後それぞれ黙祷のときを持った。それを見つめる若い男の人の射すような目と私の目が一瞬あって、私の方から目を逸らせた。同年輩の男の方が、祈りの輪の外、私の正面あたりで祈りに加わっているように思われた。祈りが終わるとその方から「どちらの方たちなのですか」と声をかけられた。かくかくしかじかで東京から来ましたと伝えると、「私は愛媛から、中国の軍事産業の技術指導をしています。一度来ようと思っていました」とのことであった。記念館を巡っている間、同行の人と日本語を交わしているとき、日本人が来ているぞ、というような中国人の視線を感じて、気持ちと体がこわばった。心身ともにとても疲れた時であった。しかし、仕事であれ観光であれ中国に行く日本人がぜひ訪ねるべき場所である、と強く思った。


(2) 兵馬傭抗博物館で

 1974年、兵馬傭(秦の始皇帝の墓を守る実物大の兵と馬の埴輪群。西安市郊外の西楊村で、井戸を掘っていた農民たちがの破片を見つけたのがきっかけで、これまでに、等身大の兵士や馬の陶製人形8000体が発見されている)が発掘されて、一躍有名な観光地となった。

 観光地であるところからみやげ物売りがへばりついてくる。小・中学生くらいの少年少女が兵馬傭のミニチュアセットを売りつけてくる。始めはゲームを楽しむような感覚で値切るのを面白がっていたのだが、相手は真剣さが違う。初め50元(円に換算すると750円程度だが、実際の貨幣価値は、その3〜4倍ほどである)といっていたのが、20元となり、やがて10元(150円)となる。帰りのバスの中では、いくらで買った、買わされた、という報告会。1つ10元で商談がまとまったはずなのに20元札を出したら、2つで20元なのだ、と2つ買わされそうになって、中国人の牧師さんに助けを求めた方、40分も囲まれて結局20元で買わされて・・・、でも始めは50元だったのだから、とあきらめていたら、他の人から私は5元で買ったよ、と聞かされてがっくりした方。しかし、もしかするとあの子たちは売れないと、親や親方から折檻されるのではないか、という話になって、私の気持は萎んだ。

 ホテルに戻ってロビーで休んでいると、従業員からコーヒーをすすめられた。そこにいた4人は値段も聞かずに注文した。代金を請求されて驚いた。1杯35元(525円)という。高い!おそろしく高い。上海のホテルの朝食代は25元(370円)だったし、タクシーの初乗り区間は10元(150円)だった。そして思った。コーヒー1杯に35元も使うのだったら、5元、10元のみやげ物を売るために必死に食い下がってきたあの子達の埴輪を買うのだった。ただ苦いだけのコーヒーとなった。

 上海市に立っている高層ビルだけで日本中の高層ビルの数を超えるという。上海の町には高層ビルが林立している。そしてなおも建設中のビルがここかしこに見られる。経済の自由化が進み、中国の経済の発展には目覚しいものがある。そして垣間見た人々の生活は、経済発展の成り行きとして、貧富の差が拡がっていくように感じられた。




管区事務所だより Oct. 03

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