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■管区事務所だより第201号もくじ■

Page1 □今までにない働きの始まり □ハンセン病療養所教会信徒交流会 □モニカ久野奨学金 □ダニエル農村指導者育成センター落成(ミャンマー) □教区制改革委員会から □宣教についての提案
Page2 □会議・プログラム等予定 □主事会議 □人事・移動


 
管区事務所だより
2005年11月25日 第201号
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□今までにない働きの始まり □ハンセン病療養所教会信徒交流会 □モニカ久野奨学金
□ダニエル農村指導者育成センター落成(ミャンマー) □教区制改革委員会から □宣教についての提案


今までにない働きの始まり

管区事務所総主事 司祭 ローレンス 三鍋 裕
   本当に自然災害が続きますね。イラン・バムの大地震からまだ2年も経っていませんのに、スマトラ沖大津波、そして今回のパキスタン大地震。国内だって中越の水害、地震。函館の教会も台風被害で、結局は司祭館を建て直さなければならなくなりました。天災ではありませんが、横浜の山手聖公会の火災からの復興。三宅島だってまだまだ大変。尼崎での列車事故もありましたし、建築物の強度計算の偽造事件まであります。

 どの場合にも皆さんにお祈りいただき、さらに募金をお願いしたりしています。いろいろとお願いをしておきながら恐縮な言い方ですが、忘れないようにしましょうね。わたしたちが忘れてしまっても、多くの人々はいまだに困難の中におられることを。バムの地震被害者とはWCRP(世界宗教者平和会議)をとおして辛うじて交わりが続いています。スマトラ沖大津波はあまり報じられなくなりましたが、復興への困難は続いています。募金を集めながら何をしているのかとのご指摘もありますが、緊急支援のためにお送りした献金の残りは、長期に渡る復興支援のためにと考えています。技術的な問題で写真を掲載できないのが残念ですが、北インド教会からは立派な中間報告書をいただきました。とにかく、やっとここまで来たという感じの報告です。

 わたしたちは、お預かりした献金を主に北インドとスリランカにお送りしました。不幸な出来事ではありましたが、これを機会に新しい交流が持てないかとの願いでパートナーを絞りました。阪神淡路大震災も大きな悲劇でしたが、日韓青年交流が生まれましたし、お互いを大切に思う何かが生まれないかと願っているのです。スリランカにスタッフを常駐させるほどの力はありませんが、信頼できるNGOと協力しながら支援を続けたいと思います。現在、次のステップのための連絡を取っている段階です。

 今回のパキスタン大地震には、今までにない働きが始まりました。11月18日に聖路加国際病院の医療支援チームが病院チャペルでの派遣礼拝の後、現地に出発しました。ペシャワル教区との連携で実現が可能になった働きです。同教区の主教は、最近までUSPGの責任者であられたマノ主教さまです。管区事務所からは、計画の当初から連絡・交渉に当たった八幡渉外主事がコーディネーターとして同行しています。今回は第1陣というより先遣隊の性格もあり、実際の医療支援だけではなく、今後も交代で派遣される後続チームのための現地活動の調整の役目もありました。(第1班は11月28日に無事帰国。第2班は11月25日に出発し、12月5日に帰国の予定です。)まだ詳しい報告はありませんが、現地に人材を送るというのは今までになかった働きです。聖路加チームの皆さんにも、それを支援する皆さんにも最初から大きな働きではなく、経験を積み重ねながら育っていただきたいと願っています。厳しい冬を前にしていますが、初期の救援グループの多くが引き上げ始めているこの時期にこそ、被災地に取り残される被災者への復興支援が大きな意味を持つと思うのです。しかし簡単ではありません。聖路加チームが入ったバラコットの避難者キャンプの状況はかなり好転しているけれども、奥地への巡回診療を行うにはまだ体制が整っていない。道路の破壊もありましょうし、家畜を捨てて避難者キャンプに移れば今後の生活が成り立たないという事情で奥地にとどまったままの人々もいるようです。このような状況で第3班以降は今後の方策が定まるまで日本で待機ということになりました。

 いろいろな働き方があります。それぞれの状況によって働き方が違います。初期救援にしろ中・長期の復興支援にしろ「一緒にいてあげたい」と思います。いつも現実にその場にいることは可能ではないかもしれません。でも目には見えないけれども、イエス様が一緒にいてくださることによって、わたしたちはどんなに大きな慰めと励ましをいただいていることでしょう。困難の中にある人々を忘れないようにいたしましょう。言葉の遊びかもしれませんが、憶えている・忘れないはrememberというではありませんか。これはre-memberではないでしょうか。再びメンバーとなる、再び仲間となる、いつまでも仲間であり続けるということではありませんか。天上と地上に別れた人々ともです。

 お祈りの中に憶えるとは、一緒に生きることではありませんか。どうか報道さえされない多くの困難の中にある人々をも忘れませんように、いやrememberいたしましょう。遠くの人々だけではなく身近な人々をも改めて憶えましょう。良き降臨節を経て、ご一緒に平和の主をお迎えいたしましょう。私どもも皆様を憶えます。


パキスタン北部地震被災地支援チーム派遣祈りの集い
パキスタン北部地震被災地支援チーム派遣祈りの集い
(撮影・聖路加国際病院 広報室 山岡春菜)




ハンセン病療養所教会信徒交流会/宣教協議会(報告)
管区宣教主事 司祭 武藤 謙一
 10月25日(火)?26日(水)に福岡にてハンセン病療養所教会の信徒交流・協議会が開催されました。ハンセン病療養所の入所者の平均年齢が80歳に近づこうとしている現在、信徒の皆さん、また牧師・チャプレンの方々から、どのような課題を抱え、また日本聖公会に対してどのような要望があるのかを、直接伺うために実施されました。

 事前のアンケートでも参加することが困難であるという療養所教会が幾つかありましたが、沖縄愛楽園祈りの家教会、菊池楓風園黎明教会、草津栗生楽泉園聖慰主教会より信徒・聖職が参加され、また人権担当主教五十嵐正司主教や人権担当濱生司祭、また個人参加も含め15名が参加しました。25日(火)はホテルで夕食を共にしながら自己紹介と交流会が行なわれ、翌26日は福岡教会にて昼食をはさんで夕方まで熱心な懇談がおこなわれました。

 日本聖公会は第49(定期)総会において『「らい予防法」廃止とそれに伴う十全な措置を求める宣言』を決議しましたが、具体的な謝罪や啓発活動などは必ずしも十分に行なわれてこなかったとの指摘がなされ、今回の協議会では(1) ハンセン病についてのパンフレットの作成と配布、(2) 各教区また聖公会関係学校等での啓発活動の推進の要請、(3) 代祷・祈りの作成、療養所教会との交流の促進、(4) 日本聖公会ホームページとハンセン病関係ホームページとのリンク、(5) 歴史の検証、などの要望が出されました。

 また今後もより多くの療養所教会の皆さんやハンセン病の関係者が集まって交流・協議会を続けていくことを確認して協議を終えました。

 ハンセン病に対する謂われない差別・偏見は今もなくなってはいません。ハンセン病の正しい知識を伝える啓発活動、そして何より療養所教会の皆さんとの顔と顔の見える交流は、単にハンセン病だけでなく、HIVなどさまざまな差別・偏見からの解放にもつながるものでしょう。

 なお第55(定期)総会において「ハンセン病問題啓発の日」を設けることが決議されています(2006年は2月12日・顕現後第6主日)。その意図が活かされますようにお覚えください。




モニカ久野奨学金

タイ人奨学生からの手紙

管区渉外主事 八幡眞也

 現在、3名のタイ人学生がモニカ久野奨学金を受領して大学の看護科で勉強しています。今年5月末に送付して頂いた彼らからの感謝の手紙を下記に紹介します。この内1名(パッチャリさん)は今の時点では大学4年生、2名(アンポンさん、ジラポンさん)は2年生です。タイの学期は3月末に終了し、4月5月が夏休みで、新学期が6月初旬に始まります。

パッチャリ・ジャツマさんからの手紙

皆さま
今大学が夏休みなので私はパートタイムの仕事をしています。この休みの間は帰郷せずに、学資を稼ぐためにずっと働いています。勤務時間は午前10時から午後10時までで、日給は150バーツです。(注:1バーツは約3円)
次年度は大学4年生になるので、授業の内容は更に難しくなり、それに応じてもっとがんばって勉強しなければなりません。そのために友人とグループで勉強するようにしています。各人が各々別の学科を良く勉強し、学んだことをみんなと共有することで勉強の効率を高めています。
この最後の学年は、教室の授業は最初の1か月だけで、それ以降は複数の病院で臨床トレーニングを受けます。精神医学に関してはノコルンスワン病院で研修を受けます。
入学以来、もう3年が経過しました。アッと言う間の気がします。1年後に看護師として働き出すことを考えると、まだ自分が充分な研修を受けていない様に感じ、また、そのために心配になることもあります。友人達も同じ様に感じているようです。但し病院における研修が役に立つと思います。
モニカ久野奨学金制度のおかげで大学に進学できてとても喜んでいます。自分のベストを尽くし勉強するように努力します。
パッチャリ

アンポン・シリワッタナパヤさんからの手紙

皆さま
私はアンポン・シリワッタナパヤです。現在看護大学の2年生です。前学期の成績は4点満点で3.16でした。
この夏休みには大学の様々な活動に参加しました。例えば指導者育成プログラム、新入生歓迎のためのプログラムの一部である応援歌の練習など。この練習はとてもきつく、新入生に教えられるようになるまで、何回も練習し、その後に試験を受けて始めて資格を貰いました。
大学は6月6日に新学期が始まります。今学期は3科目に関してピサヌロック病院で勉強します。この病院に行く理由は、地元の病院にはこの授業に必要な医療機器がそろっていないからです。その他の授業は土曜日・日曜日にあることがあります。その理由は忙しい教授のスケジュールにあわせなければならないからです。
また、臨床実習もあり、注射や血圧測定などの実習をします。また、小さな村を訪問して彼らの実状を学ぶ科目もあります。彼らには衛生に関する基本知識を教えたり、安全や病気の予防に関する知識を教えます。このようにして、病気になり入院する確率を少なくして、患者数が限度を超えている病院医療を和らげます。
学業が進むにつれて、自分が看護師らしくなって行くのが分かります。ますますしっかりと勉学に励み、皆さまの期待にこたえたいと思っています。
アンポン

ジラポン・ナータさんからの手紙

皆さま
私はジラポーン・ナータです。年齢は19歳で、ナレスアン国際大学の看護科の2年生です。先学期の成績は2.30でした(注:満点が幾つかはわかりません)。また、夏季休暇中にも科目を取りましたが、その成績はまだ受け取っていません。
授業はとても高度で、殊に英語を使って物理や化学を勉強することが困難です。このために気力を失ったり、一人ぼっちに感じることがあります。英語ではなくタイ語で授業が受けられる環境に変更をすることを考えて、指導教授に相談をしましたが、変更すると新入生として再出発しなければならないし、また、今の成績は良いほうなので、もう少しがんばるようにと助言を受けました。
同級生はいろんな家庭環境から来ています。とても裕福な家庭の人、政府高官の子女の人達がいて、この人達は私と友人関係を作るつもりが無いようです。従って私は家庭環境の同じような人達と本当の友人を作りたいと思っています。夏季講習中にタイ北部から来ている2名の学生と友人になることが出来ました。私達3人は貧しい家庭から来ていて、同じような考え方が出来ます。
先学期の授業を通じて沢山の知識を習得し、生活にも慣れました。前述の友人達と図書館で一緒に勉強することが多いです。モニカ久野奨学金を頂かなければ、私が大学で学ぶことは不可能です。従って私はとても感謝しています。
ジラポン





■ダニエル農村指導者育成センター落成(ミャンマー)


 2004年から日本聖公会が支援しているダニエル農村指導者育成 センター(Daniel Integrated Farm Training Center)の建物の建設が完了し、タウングー教区ウィルメ主教の司式で関係者が集まり、去る10月5日に落成式が行われました。ミャンマー聖公会の首座主教サムエル・テイ主教は当初出席の予定でしたが、どうしても都合が付かずに欠席されました。10月中旬に東京で開催されたCCEA主教会に出席された際、プロジェクトの進捗状況の報告と日本聖公会に対するお礼を頂きました。写真にある様に予想以上のすばらしい建物が完成したようです。

 現地では2006年初頭から泊り込みのトレーニングを年間少なくとも2回開催する予定を立てています。このトレーニングセンターはタウングー教区にありますが、何れミャンマー聖公会全体に拡張して、農村指導者を育成する計画を持っています。
 この建物は木造2階建、延べ床面積が360平米で、宿泊室、教室、事務室、図書室、コンピューター室などがあります。


落成式の様子 建物全景

(日本聖公会は、2004年から2008年まで、毎年100万円を、重債務国開発協力資金の中からこの事業支援のためにおささげいたします。)



■教区制改革委員会から


 教区間の協働
 こんな事例、こんなアイディア



 教区制改革委員会では、管区事務所だより10月号で、教区同士が互いに知り合い、将来の教会共同体のあり方を探るために、より豊かな教区間協働を進めようと呼びかけました。今後、教区間協働が行われている事例を、この紙面でできる限りご紹介いたしますので、参考にしていただければ幸いです。

@ 沖縄・九州・京都教区合同中高生キャンプ 3月28日〜4月1日、長崎 参加者それぞれ15名、27名、22名
A 京都教区教役者会に大阪教区教役者の参加を呼びかけ、大阪から12名参加。6月21〜23日、吉野
B 京都教区礼拝セミナーに大阪教区から5名参加  7月2日
C 大阪教区礼拝セミナーに京都教区から19名参加  9月19日
D 北海道教区、東北教区合同教役者会(計30名)  9月27〜29日、八甲田山
E 大阪教区から呼びかけを受け、大阪教区礼拝に京都教区から数名参加  10月16日
F 九州教区は、再来年の教区間協働に向けて調整中




■日本聖公会各教区報のなかから ■■■

 ☆毎月、管区事務所また広報主事宛に送っていただく各教区報等のなかからご紹介しております。

宣教についての提案 ─日本聖公会について考える─
京都教区報『つのぶえ』 (第599号・2005年10月20日発行)

 日本聖公会はどうなるのでしょうか? 近年日本聖公会は重大な危機に向かっているようです。はっきりと言うとメンバーシップの危機に陥っています。聖公会の信者や牧師は減っています。ですがこの重大な危機は、メンバーシップというよりも宣教の問題だと思います。

 このまま行けば、20年後の日本聖公会はどのようになっているでしょう? 今、皆一生懸命に考えたり、祈ったりしています。何を変えたら良くなるかと考えています。そして変わったら、どんな教会になるでしょうか。

 私は皆さんと一緒に悩んでいますが、答は見つかっていません。でも日本聖公会の外にいる立場の目で見ると、一つ気づいたことがあります。教会がもっと外部の人々を受け入れる(welcoming)場所になったら、それが元気な教会になるのではないでしょうか。外部の人々を受け入れるのはその教会以外の人達だけではなくて、教会の信者達にも意味があると思っています。でも、どうやってもっと受け入れる教会になるのでしょうか。一つは教会のいわゆる会員資格です。メンバーになるためには、どのような必要条件がいるのでしょうか。洗礼とはどういう条件でしょうか? 今、日本聖公会は色々なことを考えています。その中に洗礼、堅信、そして陪餐のこともよく討論して欲しいと思います。

 主な点だけを提案します。ここで書いた洗礼と陪餐について言えば。私は子供達のことを考えます。自分の教会の子供達をどの程度受け入れていますか? なぜ教会にもっと子供達(とその親達)が来ないのですか。子供達が日曜日の礼拝に参加しても陪餐が出来ません。洗礼を受けた子供が陪餐をしているのを見たら、本当に教会が皆を受け入れようとしている姿勢を表すことが出来るのではないでしょうか? なぜ子供達は陪餐が出来ないのでしょうか? 子供は理解が出来ないからですか? 理解することは恵みを受けることと関係ありません。ふさわしくないとも言われています。でもイエスの行いによって誰にでもふさわしいはずです。受け入れることをまず最初に自分の家族の中から始めるべきではないでしょうか? そして家族の一員である子供達も一緒に食事するのは当たり前のことです。神様の食卓につくには、どのような条件が必要でしょう。イエスのたとえ話の中では、天の国の宴会には誰でも招かれます、入場条件は「はい、参加します」というだけです。教会がこのような姿勢を持つことによって、オープンな教会となるのではないでしょうか?

 もう一つ提案をします。もしもっと人々を受け入れる教会になったら、礼拝はどのような形になるべきでしょうか? もし聖餐式が先に述べた天国の宴会と同じこととしたら、どうなりますか? イエスは元々誰でも一緒に食事をされました。これは「オープンテーブル」ということです。イエスが座られた食卓には、誰でも受け入れたのです。誰でも参加することが出来るのです。このようなことを考えられますか? オープンテーブルをしたら、なにが起こるでしょうか? 自分の教会の食卓を誰にでも開けば、聖餐式はどのような意味になるでしょうか? オープンテーブルをしたら、教会のメンバーシップは、一体どうなるのでしょう? メンバーじゃない人達の心は私たちとどう違うのでしょうか。礼拝に来た人達もイエスの足元に座って救いのことばを一緒に聞きたいのではないでしょうか? イエスはメンバーシップなんて全く考えませんでした。イエスは「わたしの母とはだれか。わたしの兄弟とはだれか…誰でも、私の天の父の御心を行う人が、私の兄弟、姉妹、また母である」と言った。

 宣教の初めの一歩は、私達が多くの人達を私達の心の中に受け入れることから始まると私は考えます。一つ皆さんと、色々な視点から、日本聖公会について考えてみたいと思います。

司祭 スコット・マーレー
(聖アグネス教会英語会衆担当)




■管区事務所だよりにご寄稿をお待ちします──!

意見・提案・所感・報告など、自由なご意見を、1000字程度にまとめて、管区事務所だより編集部宛にお送りください。(広報主事)


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