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管区事務所だより
2005年12月25日 第202号
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□クリスマス平和メッセージ □世界聖公会エキュメニカル関係常置委員会・マルタ会議報告 


◆ クリスマス平和メッセージ ◆


いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。 ルカ 2:14

** クリスマスは平和の主であるイエス・キリストの御降誕をお祝いする日。この最も大切な時に、正義と平和委員会では三人の方からの平和メッセージを用意しました。さまざまに平和の危機が叫ばれる今日の状況の中で、今こそ主の平和の実現を心を合わせて祈りましょう! ぜひ、クリスマス礼拝や各プログラムの中で皆さんとお読みください。 **


□□ 戦中世代からのメッセージ □□

正義と平和委員 中村 陽三
戦争は人の心を狂気にする

 「陽三、空襲警報だ!急いで防空壕に入れ!」いつもなら落ち着いて命令をしていた父の声が、この夜は甲高く中学1年の少年の耳を捉え、私は筋向いの石垣の下の大防空壕に入った。時は今から60年前の3月9日の深夜、所は東京港区赤坂。壕内の裸電球の下で読書していた私だったが、壕の扉の外での大人達の声が気になり外へ出た。いきなり私の視野に入ったのは真っ赤な東の空だった。生温かい風が肌を過る。そして深夜というのに明るい。そして耳を澄ますと、何か遠くで騒めく人々の声が風に乗って聞こえてくる。翌朝、友を誘い焼野原を見に行った。人の姿がない。焼けビルのみが視野に入り、“死の街”そのものだった。後年、社会科教師となった私はこの東京大空襲のことを調べ、伝えてきた。
 私と同年の作家早乙女勝元氏の著書で「当夜は約3百機のB29重爆撃機が飛来し午前0時15分から始まった僅か142分間の2千トンに及ぶ焼夷弾投下で少なくとも8万8千人の人々が焼き殺された無差別絨緞(じゅうたん)爆撃であった」ことを知った。そして米軍は火を煽るために上空からガソリンを撒き散らしたことを知り、「戦争は人の心を狂気にさせる」ことを知った。今も私の耳の奥に残る「騒めく人々の声」は、逃げ場を失ってあの隅田川に投身していった生き地獄の呻き声だったのだ。
 今、蘇る「騒めきの声」
 あの夜から58年が経った2003年1月18日の昼、米英軍によるイラクへの先制攻撃近しと感じた市民有志と共に、私は札幌大通公園の反戦デモに加わった。様々な人々に出会い市民集会に参加し多くの事を学んだ。3月20日の夜、米軍の巡航ミサイルが始めてバグダッドの街に撃ちこまれ、硝煙が夜空を焦がした映像をテレビで見た時、「これは他人事ではない」と直感した。硝煙の下で呻くイラクの人々の苦しみを思うと、あの東京大空襲の夜の「騒めきの声」が鮮明に蘇ってきたのだ。市民集会でフォトジャーナリストの森住卓さんから米軍が湾岸戦争に続き、放射能で大地を汚染する劣化ウラン弾をこのイラク戦争でも大量に使用していると聞いた時、私は垂れ幕に墨字で「私達はブッシュの戦争犯罪を告発する!」と大書し、札幌市内の目抜き通りを歩き市民に訴えた。反戦デモが17回目を迎えた11月15日、私のアピールは「自衛隊のイラク派兵阻止!派兵は憲法改悪を狙っている。日本国憲法改悪阻止!」に変わっていた。ビルの窓で拍手で連帯感を示してくれる市民を見た時、私は1人ではないと直感した。声をあげる事が大切だと思った。
 私は国家に嘘をつかれた
思えば、私は満州事変翌年の1932年に函館に生まれ、父の仕事で東京に移住し小学4年になった春、学校名が乃木国民学校と改名し、近くの乃木神社に祭られる乃木希典将軍を模範として生きよと育てられた。学校が皇居に近く、外出する昭和天皇を「最敬礼」の号令で送迎する教育を受け、神国日本が戦う戦争だから絶対負けぬと教えこまれて育った。しかし、勝つと教えた先生に嘘をつかれ最敬礼で拝した天皇にも「架空な観念に基づく現御神だった」と嘘をつかれたのである。
 今日、再び、教科書に歴史の真実を曲げた嘘が台頭している。私にとって真の平和を造り出す掟は「隣人を自分のように愛しなさい」(マタイ:22の39)といわれた主イエスの言葉をおいて他にない。国家よりも人を愛する大切さを彼に会って知ったからである。


□□ 辺野古から □□

辺野古現地コーディネーター 神崎 直子

 辺野古での新しい基地建設の計画が持ち上がって以来9年、「命を守る会」のおじい・おばあたちは毎年座り込みをしてクリスマスを過ごしてきたことでしょう。基地をつくるなら自分たちをどかしてからにしなさい。あなたたちも座って、基地をつくるってどういうことか、本当に必要なことか話し合いましょう??それが座り込みです。すぐ隣のキャンプ・シュワブの米兵たちがクリスマスの大騒ぎをしているのを横目に見るのも苦しいことです。彼らはここからイラクへ行くのだと知っているからです。また、8年前の12月、市民投票の結果を無視した市長が、基地受け入れの表明をした苦々しい記憶が毎年よみがえります。昨年は、海上でのボーリング調査阻止の闘いの真っ只中で、自分たちの代わりに海に出て行く人々を見守り、気が気でない日々だったでしょう。
 しかし、今年はちょっと違います。政府に一つの計画を断念させた今こそが正念場、辺野古から、沖縄から、「基地はいらない」という一つの声を届けようと、おじいとおばあは気力を振り絞っています。「海はいいものだよ」、戦後の焼け野原で唯一、命を支えたのは海の糧でした。しかし、それが基地建設のため、次の戦争の準備のために奪われようとしています。「米軍再編」案は、憲法9条を持ち平和を求めてきたはずの日本に、アメリカと一体となった戦争を求めるものです。同時に、沖縄の人々にまだ苦しみを押し付け続けようとするものです。私たちは、「これはおかしい」と、声に出したいと思います。沖縄の人たちは、戦争を知っているから、ずっと伝えてきました。「命どぅ宝」、命こそが宝だと。命を大切にしない戦争は二度としてはいけないと、私たちも心に刻み、今、誰と共に生きるのか考え、行動していきたいと思います。


□□ 対立から対話へ □□

正義と 平和委員 池住 圭

 インドネシア、香港、中国、シンガポール、タイ、マレーシア、フィリピン、ベトナム、・・・・、安い土地と労働力、そして資源を求めて世界中を駆け巡っている私たちの国。現地では、埋め立てのために漁場を奪われたり、道路拡幅のため田畑を奪われたり、或いは村ごとダムに沈められたりするなどして、生活の手段を失った人が大勢います。大規模な環境破壊も進んでいます。これらは、日本の経済侵略であり、また難民を生む原因とされ、大きな批判を浴びています。
 その一例です。フィリピンのセブ島で総合開発計画が進められています。その一環として、主に日本から企業誘致をするために工業団地を建設しようと、広大な海が埋め立てられました。埋め立て地を取り巻く海域で海流が滞ったために、ヘドロが堆積して悪臭を放っています。海岸線の集落に住む人たちが直接的な被害を蒙っていますが、行き場のない人たちはそこに住み続けるしかありません。「以前はこの海岸で貝がふんだんに獲れた。手漕ぎボートで少し沖に出れば、魚も十分獲れた。今はこの汚染で貝は全滅。手漕ぎボートでは沖に行くこともできず、生活の手段を失ってしまった。今は1日3食たべられない」。これは、環境調査をしていた時に聞いたある漁師の言葉です。この総合開発計画には日本からの大規模な政府開発援助(借款)が投入されていますが、地域住民を無視したこの計画には、早い段階からさまざまな批判が出され、抗議活動も続いています。しかし、何ら解決策が示されないまま現在に至っているのが現状です。
 世界資源の80%を世界人口の20%の人が消費している不公平、不均衡。私たちは確かに20%の中にいます。「平和」とは全ての人に「平らに禾(穀物)が口に入る状態」。他のどこかで食べ物の足りない人が一人でもいる限り、この国の平和はまやかしです。ましてや、資源を確保するために、或いは経済権益の獲得や既得権の保護のために軍事力を行使しようとするなら、或いはそのために憲法を改定しようとするなら、それこそアジア太平洋地域に対する侵略と植民地支配をした、あの暗黒の時代に逆戻りです。
 平和づくりは、政府や国連だけに責任を預けるのではなく、私たちの課題であり責任です。「誰の口にも平らに食物が入る状態」が現実になるまで、「対立」を「対話と和解」に変える努力を積み重ねることでしか平和への道はない、と叫び続けたいと思います。


*** この頁は、朗読用としてコピー、また週報への転載など、どうぞご活用ください。 ***





■世界聖公会エキュメニカル関係常置委員会 <<マルタ会議報告>>

司祭 西原 廉太

<はじめに>

 去る12月4日から一週間、地中海のマルタ共和国で、「世界聖公会エキュメニカル関係常置委員会」(IASCER)が開催された。この委員会は、1998年のランベス会議で設置が決議されたもので、世界聖公会(アングリカン・コミュニオン)の中で進展する教会間対話を中心とするエキュメニカル諸関係について、その可能性と諸課題を検討し、場合によってはアングリカニズムの基本的視座と齟齬が発生しないように調整する目的が与えられている。
 2000年にバハマで最初の委員会が招集され、以降、ケープタウン(南アフリカ)、ボセー(イタリア)、フロリダ(米国)、モンテゴベイ(ジャマイカ)と毎年末に開催され、今回のマルタ会議が6回目となる。
 委員は、世界各地から神学者を中心に15名で構成されている。アジア地域からは、韓国聖公会大学前総長の李在禎司祭が選ばれていたが多忙のため辞退され、私はその後任としてこの委員会に加えられた。
 マルタのカトリック聖ヨハネ大聖堂の聖餐式への参加、高等弁務官邸での晩餐会などのプログラム以外は、すべてが会議で、一時間半のセッションが25回に及んだ。用意された文書だけでも約700頁に及ぶ。これほど過密な会議を行わなければならないほどに、この委員会が扱うべき課題は多い。世界レヴェルでは、ローマ・カトリック教会、ルーテル世界連盟、正教会諸教会、バプテスト世界連盟などとの対話を中心に、メソジスト教会、改革派、長老派、メノナイト、ペンテコステ諸教会との関係に至るまでが協議の対象となる。中でも、復古カトリック教会との対話は歴史があり、聖公会がフル・コミュニオン(完全相互陪餐)の関係を最初に樹立したのもこの教会である。復古カトリック教会は、ヨーロッパ圏を中心に存在する教会で、第一ヴァティカン公会議の際に、教皇不可謬性等に反対して退場し、ローマ・カトリック教会から離脱したグループである。2006年は、このフル・コミュニオンを締結した「ボン合意」のちょうど、75周年にあたり、記念式典が予定されている。本委員会にも、復古カトリック教会のフリッツ・ミューラー大主教が正式メンバーとして参加されていた。


<メソジスト教会との対話>

 『聖公会新聞』において、聖公会とローマ・カトリック教会、聖公会とルーテル教会等の国際対話の現状について報告したので、本稿では、その他の主要教会間対話である聖公会とメソジスト教会の対話、および、聖公会とバプテスト教会の対話について記すことにしたい。
 ACC(全聖公会中央協議会)11において、聖公会?メソジスト国際委員会の報告書『使徒的交わりにおける分かち合い』が受理され、1998年のランベス会議では、新たな聖公会?メソジスト国際委員会の設置が決議された。マルタ会議では、聖公会側の動きが鈍かったこともあり、世界メソジスト協議会(World Methodist Council)とのコミュニケーションは必ずしも上手くいっていないという報告がされた。基本的に世界メソジスト協議会はあらゆるエキュメニカル対話に積極的なのであるが、近年の北米でのセクシュアルマイノリティをめぐる議論もあって、今すぐに聖公会とメソジストの新たな国際的枠組みを構成することに躊躇があるようである。
 しかし、同時に、地域レヴェルの対話ではこの間大きな進展を見せた。2003年11月1日、200年に及ぶ、聖公会とメソジストの分裂を再び紡ぎ合わせる歴史的な礼拝が行われた。この日、ウェストミンスターのメソジスト・セントラルホールで始まり、さらに道を隔てた向かい側にある聖公会のウェストミンスター・アビーに移動して続けられた両教会の合同礼拝の中で、「聖公会?メソジスト契約」が調印されたのである。
 英国教会の信徒の代表としてエリザベス女王が立ち合い、聖公会のカンタベリー、ヨーク両大主教、メソジスト教会の議長、副議長が署名したこの契約の確認された諸点は、以下の通りである。@双方の教会が、唯一で、聖なる公同の、使徒的教会であり、神の民全体のための使徒的宣教に参与している。A双方の教会において、神の言が正しく説教され、洗礼と聖餐のサクラメントが正しく執行されている。B双方の教会は、聖書に啓示され、エキュメニカル信条において述べられている使徒的信仰を言葉と行いにおいて告白している。C双方の教会の按手された聖職、および信徒奉仕職は、神の恵みの器として神によって与えられたものである。D双方の按手された聖職は、聖霊の招きと、教会を通して与えられたキリストの委託の両方を担っている。E双方の教会は、会議性を具現化しており、また、共同体的、団体的、人格的な監督性(エピスコぺー)が、それぞれの教会において、多様な形で働いている。F教会の交わりの可見的しるしと器としての監督性の原則についての基本的合意はすでに存在している。
 今後、両教会は、フル・コミュニオンの実現へ向けて具体的な歩みを始めることになった。最大の懸案であった主教職理解が、他の教会間対話と同様に包括的に共有されたことは画期的である。この礼拝で説教を行った、ローワン・ウィリアムズ、カンタベリー大主教は、ウェスレーの働きを称えながら、長年にわたる両教会の分離を、むしろ神に感謝した。両教会が再びまた一つになろうとする時に、この間の差異や違いは、偉大なる「多様性」の賜物となる。大主教は、折しも、同性愛をめぐる諸問題で分裂の危機にある聖公会にとっては、この合意は大きな励ましとなるとも語っている。両教会の対話は、今後、英国のみならず世界中のエキュメニカル対話に影響を与えるに違いない。


<バプテスト教会との対話>

 2000年以降、ACCは、世界各地における聖公会とバプテスト教会の地域対話をより促進させるためのサポート体制を、バプテスト世界連盟(Baptist World Alliance)と共同で設定している。完全な可見的一致を目指す公式的な神学対話のみならず、むしろいかにして聖公会とバプテストがキリスト教信仰についての互いの理解を共有できるのか、また、この世界における「神の宣教」の働きの中で、聖公会とバプテストに連なる者たちが、どのように協働できるのかが、対話のテーマとなっている。
 これら世界各地における聖公会とバプテストの対話の成果と課題がまとめられた報告書がつい最近、ACCとバプテスト世界連盟の共同編集で出版されたところである。世界バプテスト連盟は、最も大きい加盟教会である米国の南部バプテスト連盟が脱退するという問題に直面している。南部バプテスト連盟は近年、そのファンダメンタリズムの傾向をますます強めており、よりリベラルな世界バプテスト連盟への不満の表明であると見られている。
 私は、日本バプテスト連盟、日本バプテスト同盟のエキュメニカル運動における重要な働きについて報告した。先日も日本バプテスト連盟総会に、日本キリスト教協議会(NCC)副議長として挨拶と礼拝のメッセージをさせていただいたのだが、霊的なエネルギーと、日本バプテスト連盟の「平和宣言」に見られるような社会における証し、宣教の業が分離されずにダイナミックな動きに紡がれていることに、ある種の驚きを覚えた。この日本での経験から、私がマルタ会議で指摘したのは、バプテストとの対話を推進する上では、私たちは信仰職制レヴェルの議論のみならず、宣教奉仕、生活と実践の領域をめぐる諸課題をめぐってのエキュメニカル対話に、より重点を置く必要があるという点である。


<おわりに>

 今回、エキュメニカル対話のまさに最前線に触れ、どのようにして新たな動きが生み出されるのかを肌身で知らされた。言葉の一つひとつ、表現の一つひとつが丁寧に選ばれていく。教会間対話、エキュメニカル対話とは、結局のところ、私たち聖公会とは何なのかという、その自らのアイデンティティを明らかにしていく作業に他ならない。アングリカン・アイデンティティを厳密に定義していくということは、アングリカニズムの良い意味での「定義づけない」というスピリチュアリティと衝突する。その緊張感の中で、現実のエキュメニカル対話は紡がれているのである。
 また、ACCの幹事として、エキュメニカル関係、神学関係の事柄の一切を取りしきる、まだ若いグレゴリー・キャメロン司祭と、そのスタッフたちの会議運営や仕事の仕方も大いに参考になった。彼らの実に効率的な作業、段取りのおかげで、そうでなければ一ヶ月位かかりそうな議論が一週間の内に収まるのである。
 世界聖公会エキュメニカル関係常置委員会の会議は年一回であるが、その間も各委員は、それぞれ特定の課題を宿題としインターネット会議などを通して議論を継続する。私は、『ルーテル声明2002』に対する聖公会の応答を担当することになった。
次回の本会議は、2006年12月に開催される。場所は、エルサレム、香港、スリランカ、キューバの内から選ばれることになっている。

(中部教区司祭・立教大学教員)





 Merry Christmas and a Happy New Year!


管区事務所だより Dec. 03

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