事務所だより一覧へ(旧)  事務所だより一覧へ(新)
前ページへ  次ページへ
 
管区事務所だより
2005年3月25日 第194号
Page4/5

□憲法改憲に関する学習協議会に出席して □聖公会国連女性会議の報告
□各教区報のなかから □自由貿易を考える週間



憲法改憲に関する学習協議会に出席して

管区正義と平和委員会委員 中村陽三
 昨年の第55(定期)総会で可決された「憲法第9条の改憲に反対する」決議を受けて、日本聖公会として今後の改憲の動きに、いかに対応していくかを検討するための学習協議会が3月12日、東京、神田キリスト教会で50人近くの聖職・信徒が出席して開かれた。

 はじめに、正義と平和委員会委員長谷昌二主教の挨拶と祈りがあり、講演として、近代日本思想史研究家佐治孝典兄(芦屋聖マルコ教会信徒)が「今日の憲法状況と日本聖公会」と題し語られた。戦後60年の日本の歩みについて、憲法に対し「倒錯(不正常な状態)の60年」とした上で、1999年以降は日本ネオ・ファシズムの動きが急激に強まっていると年表資料によって明言した。

 続いて、平和を実現するキリスト者ネット事務局員糸井玲子姉(小金井聖公会信徒)が「国会情報を知り平和を行う人々共に」と題し講演、今日の国会は改憲に向かって暴走を始めた、と述べ、改憲案発議の手続きをきめる国会法改正案やマスコミの改憲案論評を規制する狙いを含んだ国民投票法案に反対していこう、と訴えた。
 休憩後、協議に入り今後の日本聖公会の対応をめぐって発言が続いた。つまり、

加藤周一氏や大江健三郎氏ら「九条の会」のよびかけに連帯して、教区・教会で小グループを作り、仲間をふやしていこう。
戦争の時代、日本は被害国であったと共に加害国でもあった。再び、私たちの世代が加害者とならないという決意で関わろう。
自衛隊のイラク派兵違憲訴訟を闘う仲間のことを知ろう。改憲の向こう側に見えるものを知るために沖縄週間に参加していこう。
教会の使命は神の愛の宣教としての伝道にある。9条改憲反対というスローガンとの接点はどこにあるのか、知りたい。等々…

 多くの方々が発言し、おしまいに谷主教が「殺してはならない」(出エジプト20:1)の神の言葉を引用し、9条改憲反対の聖書的根拠を明示され、祈りをもって閉会した。

 私は司会の責任を与えられ、多くの方々の発言に学ぶ貴重な機会を与えられた。と同時に、憲法という国の最高法規に対する無関心が今日の日本聖公会の個々の教会に存在するという佐治氏の指摘に共感した。この無関心はどこから来るのか?

 それは1996年の戦争責任告白決議後、教区・教会という地域にあっていわば、“草の根の戦責告白”をしたか否か、9条改憲反対のエネルギーはそこから生まれるのではないかと思ったことである。

(※資料として、本号最終頁に1996年総会決議「日本聖公会の戦争責任に関する宣言」を掲載しています。)


 

聖公会国連女性会議の報告

 ─聖公会の信仰に生き、活動する女性たちと出会って─

東京教区司祭 マリア 山野 繁子
 去る2月23日(水)から3月10日(木)まで、京都教区和歌山聖救主教会大岡左代子さんとわたしは、聖公会国連事務所(Anglican United Nations Office)からの呼びかけに応え、日本聖公会から派遣されて、ニューヨークにおける第49回国連女性の地位委員会と、それと併行して行われた全聖公会協議会(ACC)のプログラムに参加した。

 国連は設立されてから60周年を迎えているが、女性の地位に関する取り組みは1975年(メキシコシティー)、1980年(コペンハーゲン)、1985年(ナイロビ)、1995年(北京)と4回にわたる世界女性会議を経て、大きく前進してきた。なかでも「すべての女性差別撤廃に関する条約」(1980年)と北京宣言・行動計画(1995年)という重要な国際的合意を作り出し、2000年にはミレニアム開発目標が191ヶ国の政府機関によって合意・調印された。日本でも「男女共同参画社会」という課題が各自治体レベルで取り上げられるようになり、行政・民間をとおして多くの施策が行われている。家庭内暴力や制度上の父権制的支配、女性に対する経済的不公正さ、女性に対する健康と教育のサービス欠如などの問題が、今日の世界と人間が直面しなければならない優先課題だという認識が、重ねて確認されなければならない。

 世界に広がる聖公会は、164ヶ国、7500万人に上る信徒の交わりとして、このような世界的な課題に無関心でいることはできない。1995年北京会議に50人以上の聖公会の女性が参加して以来、2000年「北京+5」、02年、03年、04年と毎年意識的に参加者を増やしてきた。今回の「北京+10」では「貧困の女性化」という言葉に加えて、「HIV/AIDSの女性化」という厳しい現実が、新たな焦点として据えられていた。これらの課題を意識化する上で、教会が重要な役割を果たさなければならないという自覚が生まれ、広く共有されてきている。

 今年は上記の期間、米国聖公会本部の会議室に21ヶ国・地域からの45名の女性たちが毎日集まり、交代で会期中の国連会議を傍聴し、サイドイベントに参加し、また各管区・地域での女性たちの課題を分かち合った。(地域別ではアフリカ地域から14人、アジア12人、オセアニア6人、ラテンアメリカ4人、その他は北米、英国から。)貧困、教育、健康、女性への暴力という課題がとくに取り上げられ、またアフリカの女性たちが国作りに果たしている大きな力がクローズアップされる場面もあった。毎朝の礼拝、聖餐式、グループ討論、交流、公開集会などを含めて、多様なプログラムが用意されていた。

 最後に、世界の聖公会のあらゆる場所で、すべての意思決定機関に女性たちが少なくとも30%は含まれるようにすることが緊急の課題であるという声明が採択された。(2005年3月22日)




日本聖公会各教区報のなかから ■■■

 
 ☆毎月、管区事務所また広報主事宛に送っていただく各教区報等のなかからご紹介しております。

開拓者たちのおもかげ  『沖縄教区時報』(第469号・2005年イースター号)

 沖縄教区の草創期から3年前まで司祭として働かれた新城喬司祭による『開拓者たちのおもかげ』が刊行された。ケネディ主教、ブラウニング主教、ヘフナー司祭、ハイオ司祭、青木恵哉執事そして徳田祐弼司祭ら六名の先達の歩みを辿る「沖縄聖公会初期の人物史」である。
 著者は「資料もないままに」と記されておられるが、それぞれのエピソードが随所に鏤められていて物語として読んでもなかなか愉しい一冊である。
 グラウンド・ゼロだったこの地からの開拓伝道のご苦労はどんなものだったろう。「先達が残された足跡を私たちの信仰の糧」にするために一読をお薦めする。また、既に読まれた人からは早くも続編を、との期待が寄せられ好評のようだ。

東海大地震に耐える聖堂建築を ─ 静岡聖ペテロ教会 ─  『横浜教区報』(第479号・2005年3月25日発行)

 静岡聖ペテロ教会は今年で宣教111年の歴史を持つ教会です。現在の聖堂は1900年に建てられ、すでに106年の時を経過しており、その間1955年に現在地に移築されたものであり、老朽化がかなり進んでいます。
 また、当教会は予想されております東海大地震の真ん中に位置する教会ですので、昨年公的機関による耐震診断を受けましたが、その結果、聖堂、会館、牧師館すべての建物に関する診断書は「倒壊、もしくは大破壊の危険あり」というものでありました。
 教会内ではここ十年来、建築計画をたて建築資金の積み立てを続けてきまして、その額が約4千万円に達しました。そこで、ここに来てようやく「2005年のクリスマスは新教会で」という具体的な目標を立てるに至りました。
 国の内外で大きな災害が続発し、募金活動の困難なときでありますが、災害等で破壊され人命に関わることになれば、取り返しのつかないことであること、また万一の場合、地域社会と信徒に対して教会の施設のすべてが避難、救助活動の拠点として活用されるものでありたいとの思いから、経済的不安を抱えつつも総工費1億1千万円で聖堂・会館・牧師館とも新築を決意いたしました。特に聖堂は堅固な建物にしたいと考えています。
 現在、約7千万円程度の融資活動を進めており、4月からは募金活動も始めます。建築業者も地元の業者で決定し4月5日解体開始、起工式は4月27日です。
 従いまして3月27日の復活日の礼拝が現在の教会使用の最終主日となります。主のご復活を心からお祝いするとともに、これまでの教会に感謝し、新しい教会が主のみ心に適うものでありますことを切に願っております。(静岡聖ペテロ教会建築委員会)


第15回聖公会歴史研究者の集い(案内)
2005年5月30日〜6月1日 北海道岩見沢市毛陽、スパ・イン・メープルロッジが会場
当初は日本聖公会の各教区の歴史編集委員の集まりでしたが、次第に聖公会の聖職信徒以外の、キリスト教史研究者や一般の歴史学者など広い範囲からの参加を得て発展してきました。今年は北海道開拓の最前線で、実り多い集いを企画しています。参加についての問い合わせは、日本聖公会歴史研究会(会長 大江真道司祭)電話:075-501-3646まで。




■自由貿易を考える週間:2005年4月10日─16日


WCC(World Council of Churches)が提唱する「自由貿易を考える週間(4月10日〜16日):Global Week of Action on Trade」の資料が管区事務所に来ています。興味の有る方は連絡ください。これはFair Tradeを推奨する運動です。(管区渉外主事 八幡眞也)


資料 ─ 1996年第49(定期)総会 決議第34号 日本聖公会の戦争責任に関する宣言を決議する件

日本聖公会の戦争責任に関する下記の宣言を決議する。
日本聖公会の戦争責任に関する宣言

1) 日本聖公会は、戦後50年を経た今、戦前、戦中に日本国家による植民地支配と侵略戦争を支持・黙認した責任を認め、その罪を告白します。
1945年、日本聖公会は日本によるアジア太平洋諸地域に対する侵略と植民地支配の終焉という歴史的転機に立ちました。その年の臨時総会告示で、佐々木鎮次主教は戦時下の教会の反省を述べ、「国策への迎合」「教会の使命の忘却」を指摘しました。このとき、総会も主教会も教区も各個教会も預言者的働きをなしえなかったことを深く反省し、日本が侵略・支配した隣人へ心から謝罪し、真実に和解の関係を公会として求めるべきでありました。
日本聖公会は、設立以来、福音に反する天皇制国家の国体思想や軍国主義に対し、妥協をつづけ、強く抵抗し拒むことができませんでした。日本聖公会が英国、米国、カナダなどの聖公会と繋がりを持つゆえに、官憲の圧迫を受け、信仰の戦いを経験した牧師、信徒もいましたが、その苦汁の経験にもかかわらず、わたしたちの教会は、抑圧され苦しむ人々と共に立つ姿勢を持ちえませんでした。また、国際的な交わりを持つ教会であるにもかかわらず、侵略戦争による加害者としての国家の姿に目を開くことができませんでした。むしろ「支那事変特別祈願式」「大東亜戦争特別祈祷」などを用い、他民族支配や戦争協力をキリスト教の名において肯定し、教勢の拡張や体制の維持のみをめざす閉ざされた教会にとどまり、主の福音が示す「地の塩」としての役割を果たすことができませんでした。
2) 日本聖公会は、敗戦後、すみやかにこの過ちを認めなかったこと、また戦後の50年も自らの責任を自覚せず、和解と補償のため積極的に働くことなく今日にいたったことを、神の前に告白し、アジア・太平洋の人々に謝罪します。
戦後、日本聖公会は1947年第22総会において、1938年版の祈祷書をそのまま正本として採用しました。その祈祷書には、天皇の支配を神の御旨とみなす「天皇のため」「紀元節祈祷」などの祈祷文がありました。さらに1959年祈祷書改正まで、公会問答において「隣に対してなすべきこと如何」の答えとして「…天皇陛下とその有司(つかさ)に従い…」と教え、聖餐式の中では「すべて主権を持つもの殊にわが今上天皇を祝し」と司祭が祈りました。このように戦後もなお、戦争責任においてもっとも問われるべき天皇やその国家体制を肯定する祈祷書を用い続け、自らの姿勢を自覚的に正すことを怠ってきました。
皇国臣民化政策の結果、引き起こされた沖縄戦の住民虐殺や強制集団自決、さらに戦後における米軍基地の脅威などの沖縄の経験は、沖縄教区を通して語られつづけ、1972年の日本聖公会への移管に向けて「歴史と現状を理解してほしい」との沖縄教区からの問いかけがありました。しかし、その後も日本聖公会として応答することを怠ってきたことを、反省しなければなりません。
3) 日本聖公会は、差別体質を戦後も克服できないでいることを告白します。神の民として正義を行うことへと召されていることを自覚し、平和の器として、世界の分裂と痛み、叫びと苦しみの声を聴き取ることのできる教会へと変えられることを祈り求めます。

以上わたしたちの悔い改めの徴として次のことをすすめていきます。

(1) 日本聖公会の戦争責任の告白を全教会が共有すること。
(2) 日本が侵略した諸国の教会に対し、日本聖公会としての謝罪の意志を伝えること。
(3) 歴史的事実の認識と福音理解を問い直し深めるための取組みを、各教区・教会の中で継続してすすめること。


管区事務所だより Mar. 04

Page1 ...□聖公会首座主教会議に出席して □首座主教会議声明、そしてイースターへ
Page2 ...□会議・プログラム等予定 □主事会議  □各教区・神学校他
Page3 ...□人事 □新刊紹介  □代祷表訂正
Page5 ...□首座主教会議声明