日本聖公会
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■管区事務所だより第206号もくじ■

Page1 □日本聖公会第56(定期)総会に向けて □信仰生活から湧き上がるものを大切に □第5回人権担当者協議会を終えて □第3回新任研修会を開催 □辺野古基地建設阻止活動 □アジアの中の日本を考える ─パキスタン支援活動と立教小学生の反響─
Page2 □会議・プログラム等予定 □常議員会 □主事会議 □各教区 □人事・移動 


 
管区事務所だより
2006年5月10日 第206号
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日本聖公会第56(定期)総会に向けて
 信仰生活から湧き上がるものを大切に
第5回人権担当者協議会を終えて □第3回新任研修会を開催 辺野古基地建設阻止活動
□アジアの中の日本を考える ─パキスタン支援活動と立教小学生の反響─


日本聖公会第56(定期)総会に向けて

首座主教 ヤコブ 宇野 徹
   今総会の中で最も重要な議案は「聖歌集改訂」の議案であると言えます。1992年に開催された日本聖公会第45(定期)総会において、「古今聖歌集」(1959年度版)の全体的改正を目指して古今聖歌集改正研究委員会が設置され、14年間という長い年月をかけて研究がなされ、このたび、議案として提出されることになりました。この間、1994年の第46(定期)総会で「新しい聖歌集作成のため全教会の参加協力を促す件」が決議され、1996年3月には「古今聖歌集増補版 ’95」が、2001年11月には「改訂古今聖歌集・試用版」が出版され、それらを試用する決議がなされて来ました。

 このように、今回の「古今聖歌集改訂」に当っては、聖歌集改訂委員の方々が日本聖公会の全教会が参画できるように配慮し、また、研究にご尽力くださったことに心から感謝を致します。だからといって、すべての方々の考えや意見を集約し、完璧なものを作ることができたかと言えば、そうではないと思います。完璧なものを作り出すことは不可能でありますし、この「聖歌集」が決議されても、今後も、研究を積み重ねていかなくてはならないでありましょう。

 次に、日本聖公会第53(定期)総会後に、主教会より提案され、常議員会において設置されました「主教選挙等に関する検討委員会」によって検討された議案が提出されます。殊に、この議案には、後継主教や主教選挙候補者推薦管理委員等の新たな提案が含まれており、現行の主教選挙などに関する法規の不備を補う提案がなされております。

 この他には、第55(定期)総会において設置を決議されました「教区制改革を推進する機関(教区制改革委員会)」よりの中間報告、「年金の将来を検討する特別委員会」よりの報告がなされますが、これらの報告は各人、各教会、各教区の問題として真剣に受けとめていただきたいと思います。管区全体にかかわる問題は管区に関係する人達に任せておけばよいのではなくて、管区を構成する各教役者、信徒にかかわる問題であり、各教会及び各教区にかかわる問題として受けとめ、考えていただきたいと思います。

 また、11教区の信徒が年々、減少傾向をたどっていることは各教会の宣教のあり方、活動が問われているのだと思います。従って、私達はこの状況に失望するのではなく、より素晴らしい働きをするチャンスが到来しているのだと考え、謙虚に祈り求め、神の求めておられることや神がなされている御業に気付き、参与していくことが出来るようにしていきたいものであります。今総会のために皆様のご加祷をお願い申し上げます。




信仰生活から湧き上がるものを大切に


管区事務所総主事 司祭 ローレンス 三鍋 裕

 少し遅くなりましたがイースターおめでとうございます。地球温暖化が問題になっているのに、雪の多い冬でした。やっと春になった感じです。クリスマスは富山にお邪魔し存分に雪景色を味わいました。飛行機も欠航が出るほどの雪でしたから。もう十分でした。雪国の大変さを思い知りました。中越の雪も大変でしたし。屋根の雪降ろしだって若いときには自分で降ろしたのでしょうが、高齢化で人を雇うのですから費用も負担になったことでしょう。管区で少しは考えられないかとのお声もありましたが、雪国で雪が降ったからって緊急援助の対象にするのは無理と、雪のように冷たく考えていました。

 イースターは東北の米沢にお邪魔しました。総主事を務めている間に、地方の教会の小さな群れが、小さくても生き生きとすごしておられる信仰生活に触れることが出来れば今後の励ましになるはずとの願いで出かけました。山形新幹線、福島までは美しい日本の春でした。しかし福島から西の内陸部に入ると雪が残っているというより、ほぼ雪景色。米沢の教会も庭には雪の山。屋根から降ろした雪が溶けないのです。都会の子供なら大喜びするはずの雪の大きな山が残ったまま。冬場には除雪しても捨てるところがないので困ったそうです。スキーと温泉が半分、お手伝いが半分でも良いから、応援できる方法はないかと考えています。

 教会にはお世話になった宅間信基司祭や與賀田千秋司祭の写真もあり、すでに世を去った先輩たちと一緒に礼拝している気持ちになりました。定住司祭がいないのに、手入れの行き届いている教会でした。ベストリーも聖堂も毎日使われているかのようにお掃除が行き届いています。イースターの陪餐者が11名という小さな群れが礼拝生活と建物を守っているのです。それだけでなく、空いている司祭館にベトナムと中国の留学生を住まわせて世話をしています。愛餐会にはお仲間の留学生が7人くらい加わって祝ってくれました。高齢化はしています。しかし皆さん実に優しくて明るいのです。信仰の群れの不思議さでしょうか。大きな教会には別な悩みがあるのは承知していますが、日本聖公会はこのような小さな群れによって励まされ支えられているのです。出来ることを忠実に果たしているお姿でした。この教区の若い司祭の収入はご夫妻で手取り月8万円だそうです。日本聖公会が立ち向かっていかなければならない大切な課題は多くあります。同時に多くの小さい群れが取り残されることなく、いつも私たち日本聖公会全体の中で大切な役目を忠実に果たしていることをも忘れたくないのです。

 それにしても教会の方は明るくお元気ですね。日野原先生が朝日新聞のエッセイに引用しておられる研究発表「寿命の長さからみた職業別のライフスタイル」によれば、一番長寿は宗教家。やせ形多く、節制した生活を送り、ストレスが少ないことが長寿の原因と思われるそうです。米沢の教会の人々をはじめ多くの信徒もそうなのですよ。聖職はといえば、昔の先輩たちはともかく、今はどうなのでしょうか。でも長寿であることは確かです。一般論ですが小説家は運動不足で、飲酒や喫煙量が多く生活も不規則だからか短命だそうです。私を含めて小説家タイプの聖職も多いように思いますが。

 雪もほぼ溶けました。新しい生命を楽しむ時期です。古いものが過ぎ去り、見よすべてのものが新しくされたのです。大きな群れも小さな群れも、信仰から湧き上がる明るさと元気さを保ちながら励ましあって心新たに進もうではありませんか。




第5回人権担当者協議会を終えて

管区人権担当者 司祭 三浦恒久

 「教会は差別する」、ある先輩教役者が語ったこの言葉を、今も時々思い起こします。

 1983年、日本聖公会総会において、総会代議員の部落差別意識に基づく結婚差別発言が起こりました。その後13年を経て、総括報告書が出されました。この報告書の今後の取り組みについての決意の中で、「『中川差別発言』の事実認識を深め、聖公会の差別体質克服の研修を実施する」とうたわれています。わたしたちは繰り返し、この決意を想起しなければなりません。『中川差別発言』の事実認識を深めることによって、わたしたちの差別体質があらわにされ、その克服への道筋が明らかにされるのです。

 さる4月3日(月)、4日(火)、京都教区センター及びザ・パレスサイドホテルにおいて、各教区人権担当者と主催者、計10教区15名の参加を得て、人権担当者協議会が開催されました。
1日目は開会礼拝後、井田泉司祭による聖書の学びが行なわれました。井田司祭は「母マリアによるイエスの物語」と題して、能動的なマリアのあり方を説き明かしてくださいました。
その後、各教区から現状報告がなされ、特に、京都教区で起こった牧師による性的虐待について、高地敬主教より少し、詳しい説明がありました。

2日目は2004年に実施された人権アンケートの分析と今後の活用について、意見を交換しました。今回のアンケートで教会に連なる多くの方々が、多岐にわたって、人権に関する活動に関わっておられることがわかりました。このことに対して、教会が祝福と励ましを与えることができるかが、一つの大きな課題でしょう。

また、ハンセン病に関する取り組みへの関心が、かなり高いこともわかりました。今後の活動のテーマの一つとして取り上げる必要があると思います。
今回のアンケートが、人権意識を高め、人権に対する関心を促したことは評価されてよいでしょう。将来的に、近隣の教区が共通の課題について、協働していくことが可能であるという感触も持ちました。各教区の人権担当者の今後のお働きに、期待したいと思います。




第3回新任研修会を開催


管区人権問題担当者 鈴木 慰

 第3回新任研修会は2006年3月28日〜30日、九州教区センター(福岡)を会場に開催された。

 神様からの召しに応じた方々が、ウィリアムス神学館、聖公会神学院と違う神学教育の場で学びながらも、4月からは、同じ主の働き人として、それぞれの働きの場へ散らされようとしている仲間として、共に同じ課題を感じあう機会になることを期待してこの研修会が企画されている。参加者はウィリアムス神学館2名と聖公会神学院2名、昨年参加できなかった1名の計5人であった。

 今回は、熊本のハンセン病療養所・恵楓園にある菊池黎明教会と筑豊を訪ねて人権について共に考えた。
昨年、各教区で行われた人権に関するアンケートで、ハンセン病に対する関心が強かったこともあって、まず菊池黎明教会を訪ねた。春先の冷たい風が強く吹くなかで菊池黎明教会メンバーの中山弥弘さんは玄関先で待っていてくださった。参加者に、菊池黎明教会での交わり、学びについてお話をしてくださった。ことに日本キリスト教団・福吉伝道所の犬養光博牧師との詩篇の学びは、集う人たちに心から充実したものとなっていると、話された。時間が少なくなったので、恵楓園内は車の中からほんの一部分を見るだけにとどまったことが心残りである。

 二日目は犬養牧師を講師に、筑豊を案内していただいた。石炭が盛んに掘られていたころ、日本に行けばよい労働の場があるとの甘い言葉に乗ったり、あるいは強制的に朝鮮・韓国からつれてこられたりした人々が、人としての誇りを否定される、ひどい仕打ちにあいながら働いていた。犬養師はこれら朝鮮半島からの働き人たち(人権を無視された人々)について目を向けるよう誘ってくださった。

 炭鉱に於ける身分差別、中国、韓国朝鮮人に対する民族差別が、お墓や記念碑に露骨に表現されている。亡くなっても弔ってくれないのみならず、墓に入ることができず、日本人の墓地の裏に仲間によってひっそり埋められていった労働者たち。その墓は教えられなければ判らない石くれであり、一方その近くには今やペットの、名前まで入った墓がある。そのような現場を案内し、このように扱われた炭鉱労働者の尊厳を回復することの大切さを示された。

 同時にこういった炭鉱労働者の姿を伝えた上野英信の働きを紹介し、この地で炭鉱労働者の人権回復のために命を献げた老牧師、服部団次郎師の働きを示し、これから牧師としての働きをしようとしている若い人々にエールを送ってくださった。
最終日は、日本聖公会で起きた「中川差別発言」、なぜ「人権担当」が置かれているのか、について説明し、福音理解についての話し合いのときを持った。

 神学教育を終えられた方々にとって、この研修が、これからの働きの糧になることをお祈りする。



人権新任研修会に参加して

聖職候補生 大森 明彦
(東京教区 八王子復活教会)

 福岡に着くと雨になっていた。東京では桜が満開という季節に北九州はまだ五分咲き。福岡教会に集合する時間には雨はあがったとはいえ、春とは思えない寒い日となった。ウイリアムズ神学館を卒業した2人と聖公会神学院を卒業した2人、そして昨年参加できなかった1人を加え5人が参加した。簡単な自己紹介と研修の概要の説明が終わると、濱生正直司祭(管区人権問題担当者)の案内で熊本の菊池黎明教会へと向かった。田原坂、植木など西南戦争の激戦地を通過し、目的地に到着したのは午後4時を回る頃だった。黎明教会信徒の中山さんから、過去にハンセン病患者として経験した苦しみ、そして完全に視力を失ってしまった今も聖書の学びの会を通して教会の宣教に生きる逞しさを学んだ。

 2日目は犬飼光博牧師の案内で、筑豊の炭坑の町を巡り、1945年まで続いた朝鮮・韓国からの強制連行により犠牲となった人々に焦点が当てられた。三井鉱山田川炭坑の跡地が石炭資料館となり、そこには火力発電のための巨大な煙突が2基、往時のまま聳え立っている。これを建設するのに213,000枚(国産32,000枚、他ドイツ製)の耐火レンガを要したという。この数字には「約」とか「余」とかという修飾語は一切付加されていない。レンガの枚数・製造元は正確にわかっても強制連行の犠牲者の数がわからないという理不尽に胸を衝かれる思いだった。レンガにも及ばない価値観の中で強制労働を強いられた人たちがいた。

 そして各地に残るアリラン峠のひとつ、日向墓地を私たちは訪ねた。ほんの目印として片手で持てるくらいの石を墓標に、犠牲となった人たちが葬られているという。その同じ場所に「釈ポクの墓」と刻まれた小さな墓石にハッとさせられた。現代日本人がペット動物の墓地としている。ペットの名前を付して墓地としている光景に身が凍りつくような気がした。生前も差別と抑圧の下で過酷な労働を強いられた犠牲者たちは、名もない墓標の下で死後60年以上を経た今もペット墓地に侵食されるに任せている。歴史的事実と向き合おうとしない日本人の態度を象徴していると同時に、炭層の中に散在する鶴嘴をもはじき返す「ゲッテン」のように、「お前たち日本人は俺たちに何をしたのか?」と問い続けている。韓国政府は、植民地時代に強制労働で倒れた朝鮮半島出身者の遺骨実態の調査を日本政府に要求している。この要求に日本政府がまともに取り組むことを回避している証拠を見せつけられたようだった。




辺野古基地建設阻止活動 - 日本聖公会の取り組み -


正義と平和委員会委員 司祭 マルコ 柴本孝夫

 辺野古での基地建設阻止座り込みをしているところに、防衛施設局の職員たちが交渉にやってきた。すると辺野古の82歳のおじいは、まだ若い職員に静かに言った。「私は、あなたたち青年を二度と戦場に送ってはならないと思っている。だから、ここに戦争を準備する基地を作ることに反対するんだよ」。また、海岸で座り込みをしていたおばあは、海をじっと見つめながら言った。「戦後、何も食べ物がなかった時、海の幸で子どもを育てたさー、この宝の海を次の世代へ渡すのは、おばあたちの役目さー」。

 今、沖縄・辺野古は米軍基地建設問題に揺れている。発端はちょうど10年前。1996年9月、米兵3名による少女暴行事件が起き、相次ぐ基地被害に沖縄の人々の積もりつもった怒りがついに爆発。10月、8万5千人が集まっての県民総決起大会が開かれた。日米両政府がこの事態を沈静化させようと打ち出したのが「米軍基地整理・縮小」案、具体的には「普天間基地返還」だった。しかしこれが代替基地を沖縄本島東海岸沖へ、つまり辺野古に設けようという動きにつながっていく。

 1997年1月、辺野古の人々は立ち上がり「命を守る会」を結成。後に結成される「ヘリ基地建設反対協議会」、徐々に全国からの有志も集い、以来、10年に及ぶ辺野古での基地建設阻止活動に取り組んでいる。そしてこの活動は、海岸への座り込み、海上での阻止行動も完全非暴力を貫いている。形勢は常に圧倒的に不利な状況にありながら、そこから発せられる言葉の数々にはずしんとした重みがある。それは、彼らは決して自分のためにと主張していないことにある。

 日本聖公会は、そもそも1986年に沖縄の歴史と現実を重要な切り口として「日本聖公会全体として、正義と平和の課題に取り組むため」に委員会(旧「正義と平和」委員会)を設置。1995年からは、沖縄の正義と平和の課題を日本聖公会全体の重要な宣教的課題として広く共有しようと、計12年にわたり「『沖縄週間』の設置」を決議し、「沖縄の旅」を実施してきた。

 これらの経験を基礎とし、昨年2005年7月からは辺野古での基地建設阻止活動と協働することとした。これまで各教区から青年たちを主におよそ30名が座り込みに参加。沖縄の旅参加者も加えれば80名以上がこの現場に関わったことになる。最近の動向から、状況はますます過酷になることが予想される。しかしこの出来事は辺野古の、あるいは沖縄の問題ではなく、憲法改憲や米軍基地再編と連動しており、まさに日本全体の平和の問題である。そして信仰者としても、命を選ぶのか滅びを選ぶのかが厳しく問われているのだと思う。私たちはぜひ命のために、辺野古の人々と共に粘り強く闘っていきたい。




■アジアの中の日本を考える
─パキスタン支援活動と立教小学生の反響─


パキスタン北部地震被災者支援のために、日本聖公会管区渉外主事(八幡眞也)は聖路加国際病院医療チームと共に、再度にわたり現地を訪ねて支援活動に従事した。帰国後、八幡主事は立教小学校に招かれて、現地の 実情と支援の体験を6年生3クラスの児童に語ることで、国際理解を深める教育に貢献した。
以下に紹介するのは、学校と子どもたちから寄せられた反響からの抜粋である。



八幡眞也様
先日はお忙しい中を、わざわざ足をお運びくださり、貴重なお話をしていただいたこと、心より感謝申し上げます。子ども達の感想をコピーして送らせていただきます。
当日は、たくさんの写真を用意していただき、子ども達ちも初めて見る被災地の様子、パキスタンの暮らしに興味をもって聞いていたようです。
募金をしたり、アジアのことを勉強したりしてはいますが、なかなか自分達の生活とつなげて身近に感じることは難しいように思います。今後、日本の将来を担っていく子ども達が、さらに広い視野で世界を見ることができるよう育ってくれることを教育現場から切に願っています。また機会がありましたら、是非このような勉強の場を提供していただきたいと思います。
(6年国語科 松谷教諭)


日本はよく「金しか送れない」と言われます。しかしパキスタンの地震では、病院の医師が送られ、教材、暮らしに必要な皿、なべなどを送りました。このような助けがこれからもいろんな場合に色んな所に送られ続けてほしいです。地震は色々なものをこわして、人々の暮らしもだめにしてしまうのだと思いました。けれどこんな中で、生きていくために店を開いたりしている人はすごいと思いました。早く復こうして、テントからぬけ出し、あのにぎやかなパキスタンの街なみが再び帰って来てほしいです。同じアジアの国として、助け合いながら暮らしていることがよく分かりました。
(A組 N.K)


いつもボランティアのぼ金活動で「めぐまれない人にお金をあげてください。」と言ってるけど、困っている地域の状態まで教えてくれないと分からない、と思っていました。
でも、八幡さんの話を聞いて、とてもひどい状きょうだということが分かりました。同じアジアに暮らしているのにここまでちがうとは思いもしませんでした。
どんなにつらくてもパキスタンの人々は明るく笑いあって暮らしているのだからすごいと思いました。人間とはすごいものだなと改めて実感しました。
こうしてみるとぼくらのぼ金も全体の少しだけだけど、役に立っているということが分かりました。また、八幡さんのようにパキスタン現地に行って情報を日本に伝える人や、パキスタン側の人の要望をかなえようとする人の役割も大切だと思った。
(A組 H.K)


ぼくは今まで自分達の国日本以外の国にはたいして興味がありません。しかし今日八幡さんから聞いたパキスタンはどうでしょう。まず日本と違う所がたくさんあっておどろきました。まず周囲が砂ばく、山という所です。日本では都心では周囲はビル、ビル、ビルです。そして次に興味があった事は家が粘土でできているという所です。日本では木、鉄のどちらかが主流です。粘土だから地震の時とてもくずれやすいのでパキスタンの被害がどれくらいかわかりました。ぼくもこういう被害が起きている場所に何ができるか考えてみたくなりました。
(B組 S.M)


この授業で、スライドと八幡さんの説明で、パキスタンの今のじょうきょうがよく分かりました。今、日本は、幸せな国ですが、世界には、ぼくの想像を超えた大変な国があるのがわかりました。「ぼく達の少しの協力でたくさんの人々が救われる。ぼくも、協力をし、世界の人々を楽にしてあげよう!!」と思いました。八幡さんこれからも頑張ってお体に気をつけてください。それと、パキスタンの大変さが八幡さんの上手なお話でわかりました。これからはその事をよく考えもっともっと協力していきたいと思います。お話をしてくださってありがとうございました。
(B組 S.K)

この授業はとても分かりやすくて楽しかったです。ぼくにはぼ金をするくらいしかできませんが八幡さんは外国でがんばってください。それと、体に気を付けてください。このおかげでボランティアなどに関心を持ちました。またお会いしたいです。向こうの人達は日本人よりずっと強くてすごいと思いました。一番弱いのは先進国で少しの事でつらいつらいと言っている人達なので、ぼくは向こうの人達を見習いたいです。
(C組 S.Y)


苦しんでいる人がこんなにいるとは、びっくりしました。日本にも、ホームレスの人がたくさんいるけど、ホームレスの人がパキスタンにいて、しかも、小学生や小さなこたちもホームレスになってしまってかわいそうだと思いました。日本からパキスタンまで約12時間もかかるのでアジアの一員のことがわからなかったのかもしれません。
(C組 N.K)


  




◇郵便振替払込料金(送金手数料)改定にともなうお願い


2006年4月3日(月)より、日本郵政公社は郵便振替サービスの各種料金を改定します。
これにより、諸献金等のご送金に利用いただいている通常払込は、窓口での手数料(払込料金)がこれまでより30円引き上げられることになりました。

管区へのご送金には多くの場合、払込料金加入者負担(赤で印刷の用紙)で郵便振替をご利用いただいておりますため、手数料の引き上げにより管区の負担額が大きく増加することになります。
ただし、郵便局のATM機械をご利用になった場合の手数料は4月以降も据置かれますので、なるべく窓口に持ち込まず、ATM機械のご利用をお願いします。

〈参考〉
郵便振替通常払込
取扱額 手数料(窓口) ATM
a 現行 改定後 (据置)
〜1万円 70円 100円 60円
10万円 120円 150円 110円
100万円 220円 250円 210円

*100万円を超える場合は100万円ごと及びその端数について、上記料金を合計した額。
なお、一般振替口座をお持ちの場合、送金額に拘わらず手数料一律15円(送金者負担)というサービスがあります。そちらを、ご利用になれる場合は、どうぞその方法もご考慮ください。以上よろしくお願いいたします。


管区事務所だより May. 01

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