日本聖公会 東京教区

聖マーガレット教会

〒167-0054
東京都 杉並区
松庵1-12-29
TEL 03-3334-2812

 
 


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2018年8月26日(日)

聖霊降臨後第14主日

み言葉と勧話

ヨハネによる福音書 6章60-69

聖マーガレット教会の
「み言葉の礼拝」

毎月第3日曜日午前7時半
/司祭不在の日曜日礼拝

み言葉の礼拝紹介
最近の「み言葉の礼拝」
2017年
8/20 聖霊降臨後第11主日
2018年
8/12 聖霊降臨後第12主日
8/26 聖霊降臨後第14主日
12/16 降臨節第3主日
2019年
1/20 顕現後第2主日
2/17 顕現後第6主日
3/17 大斎節第2主日
5/19 復活節第5主日
6/9 聖霊降臨日
6/16 三位一体主日
7/21 聖霊降臨後第6主日
8/4 聖霊降臨後第8主日
8/18 聖霊降臨後第10主日
9/15 聖霊降臨後第14主日
11/17 聖霊降臨後第23主日
12/15 降臨節第3主日

 

永遠(えいえん)の命(でいのち)の言葉(ことば)
60ところで、弟子(でし)たちの多(おお)くの者(もの)はこれを聞(き)いて言(い)った。「実(じつ)にひどい話(はなし)だ。だれが、こんな話(はなし)を聞(き)いていられようか。」 61イエスは、弟子(でし)たちがこのことについてつぶやいているのに気(き)づいて言(い)われた。「あなたがたはこのことにつまずくのか。 62それでは、人(ひと)の子(こ)がもといた所(ところ)に上(のぼ)るのを見(み)るならば……。 63命(いのち)を与(あた)えるのは“霊(れい)”である。肉(にく)は何(なん)の役(やく)にも立(た)たない。わたしがあなたがたに話(はな)した言葉(ことば)は霊(れい)であり、命(いのち)である。 64しかし、あなたがたのうちには信(しん)じない者(もの)たちもいる。」イエスは最初(さいしょ)から、信(しん)じない者(もの)たちがだれであるか、また、御自分(ごじぶん)を裏切(うらぎ)る者(もの)がだれであるかを知(し)っておられたのである。 65そして、言(い)われた。「こういうわけで、わたしはあなたがたに、『父(ちち)からお許(ゆる)しがなければ、だれもわたしのもとに来(く)ることはできない』と言(い)ったのだ。」 66このために、弟子(でし)たちの多(おお)くが離(はな)れ去(さ)り、もはやイエスと共(とも)に歩(あゆ)まなくなった。 67そこで、イエスは十二人(じゅうににん)に、「あなたがたも離(はな)れて行(い)きたいか」と言(い)われた。 68シモン・ペトロが答(こた)えた。「主(しゅ)よ、わたしたちはだれのところへ行(い)きましょうか。あなたは永遠(えいえん)の命(いのち)の言葉(ことば)を持(も)っておられます。 69あなたこそ神(かみ)の聖者(せいじゃ)であると、わたしたちは信(しん)じ、また知(し)っています。」

日本聖書協会 新共同訳聖書

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勧話

「はじめに」
みなさん、おはようございます。今日は塚田司祭がお休みを取られ、私たち信徒だけで礼拝を守る「み言葉の礼拝」をささげております。8月12日にも福永澄さんによる大変含蓄のある「勧話」が語られましたが、今日、私が皆様に語る「勧話」はもっと気楽なものになります。 皆様もご存じの通り、私は日曜学校に期間だけは長くかかわっており、日曜学校の礼拝において当番の日曜学校教師が子供たちの前で「教話」を話すことになっています。私は今日の「勧話」を日曜学校の「教話」にちなんだスタイルで行おうと思いますので、その旨をあらかじめお断りしておきます。

 

福音記者聖ヨハネの絵画
エル・グレコ、1594-1604年制作「福音記者聖ヨハネ」プラド美術館蔵。ヨハネによる福音書は「永遠の命」を得る救済を主イエスの教えの中心におく。

「キーワード」
 初めに今日の福音書のキーワードを言います。ヨハネによる福音書第6章67~69節をもう一度読みます。 『67そこで、イエスは十二人に「あなたがたも離れてゆきたいか」と言われた。68シモン・ペトロが答えた「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。69あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています。」
ペトロさんのかっこいい決め台詞ですね!イエス様にどこまでもついていきますという気持ちが表れています。
 
 今日の福音書は、8月5日から読み続けているヨハネによる福音書6章の続きなので、いきなり『ところで、弟子たちの多くのものはこれを聞いて言った。「実にひどい話だ。~」』とはじまるのでいったい何の話だと思ってしまいますね。
 
先週の福音書ではイエス様がカファルナウムの会堂でユダヤ人たちに「48わたしは命のパンである。51わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。53イエスは言われた。はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。54私の肉を食べ、私の血を飲むものは、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。」と語っておられます。
 
 5つのパンと2匹の魚で5千人の給食を行った奇跡を目の当たりにしているユダヤ人たちやイエス様のお弟子さんたちは、きっと「イエス様についてゆけばパンに困ることはない。」と思っていたでしょう。こんな不思議な力を持っている方なら、きっとついてゆけばいいことがあるとも思っていたにちがいありません。ところがイエス様は「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲まなければあなたたちの内に命はない」と言うのです。それじゃ話が違うよと思った人がたくさんいた。無理もないですが、だから多くの人々がこんな危ない人についていけないと離れて行ったのです。
 
「父からのお許し」
 イエス様はお弟子さんたちに向けて「63命を与えるのは霊である。~私があなたがたに話した言葉は霊であり、命である。64しかしあなた方の内には信じない者たちもいる。~65こういうわけで、わたしはあなたがたに父からお許しがなければ、誰もわたしのもとに来ることはできないと言ったのだ。」とお話しなったことを聞いて、イエス様のお弟子さんたちの大半も「実にひどい話だ」と言ってイエス様の許を離れて行ったのです。  こうしてイエス様のもとには、イエス様自身が選んだ12人の使徒と呼ばれるお弟子さんたちが残りました。でもその中には後でイエス様を裏切るイスカリオテのユダも含まれているのです。12使徒も全員がイエス様のもとに行くお許しが出ていたわけではなかったし、あれだけの決め台詞を言ったペトロさんも鶏が鳴く前に3度「あの男のことは知らない」と言ってしまうのです。
 
 私たちはイエス様から68「永遠の命の言葉」を受けてそれを信じて洗礼を受けたのだと思っています。いつも聖餐式でイエス様の肉と血に変化したパンとワインをいただいていますが、今日のこの福音書を読んで、こう感じるのです。クリスチャンって、いつもイエス様から尋ねられているのではないでしょうか「67~あなたがたも離れてゆきたいか」と。みなさんはこの問いにどう答えますか?
 

シメオン 元津 毅

参考文献
スタディバイブル 日本聖書協会 2014年
キーワードでたどるキリスト教の歴史 林信孝 日本基督教団出版局 2008年

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