パトリックニュース168号

聖パトリック教会1957年伝道開始
2006年1月22日発行 第168号

これからもよろしく(その9)

牧師 司祭 ミカエル 加藤俊彦

私が聖職候補生に認可されたのは1985年3月14日、23歳のことでした。東京教区では他の教

区とは違って志願後少なくとも一年間は聖職への召命観を固めまた再確認するために見守り

期間が設けられていたので、聖職候補生志願を出したのは、その一年前のことでした。その間

は出身教会で信徒としての教会生活を続けていましたが、認可後は教籍も教会から教区へ送

られ、立場が変わったことを実感しました。同時に、生まれて初めて教籍が移るということも体

験し、それほど教会へは通っていなかったものの、何か寂しく、不安な気持ちにもなりました。

認可後の4月から文京区の東京諸聖徒教会への勤務が命ぜられました。幼児洗礼を受け、そ

のまま出身教会で生活し続け、すべての信徒が私のことを知っていてくれているという環境に

あって、温かい着包みに包まれた中でホンワカと過してきた私にとって、聖職候補生としての

勤務を兼ねた他の教会での信仰生活は、非常に緊張を強いるものでした。自己紹介から始ま

ってまったく新しい信徒との関係作りには、能動性が求められました。祭壇奉仕の務めや日曜

学校での司式とお話などには教会の先生としての専門性が要求されました。いずれにしても、

自分をアッピールし表現していくという、まったく自分の性格的に合わない、そして不得意なこと

をしていくはめになりました。そのような中にあって、体型も人柄も気さくでホノボノとした指導司

祭と、いつもニコニコとしていた奥様と、シャキシャキと闊達であった長女と、ヌボーとして大器

晩成型の長男と、いつも泣かされて甘えたがりの次女に囲まれていたことが、私にとっては何

よりも救いとなりました。

主日は朝7時半の聖餐式からの勤務なので、6時過ぎに神学院を出ていました。冬場に護国寺

駅から千石まで寒風の吹きすさぶ中歩いて通った道のりは、ひたすら遠く冷たかったことを今

でも覚えています。夏場には夏季実習と称して牧師一家が里帰りをしている期間、牧師館で寝

泊りをしながら指導する聖職のいない中過していた日々を思い出します。またその間、教会の

面前では高層マンション建設反対のためにピケが張られ、日差しが照りつける酷暑の中、業

者を追い返すためにしつらえられたパイプ椅子に昼日中座り続けるように、また夕方には教会

で行われる近隣住民の反対集会のための給仕をするようにとの指導司祭の命令に従って夏

季勤務をしたことは、地元に生きる教会を学ぶ良い機会となり、また住民と一緒に業者と詰め

寄るという貴重な経験を持つことができました。

翌年の4月からは清瀬聖母教会勤務が命ぜられました。この異動は、私が始めて人事を意識

的に経験できた時でした。聖職候補生の勤務は1年限りであったので、3月時点で次はどこの

教会の勤務になるか不安と期待が渦巻いていました。そのような中、あの厳しく怖いという噂

の司祭がいる清瀬の勤務だけはいやだなと思っていたところが、まさに的中してしまいました。

しかし、主日勤務を午前9時からの日曜学校からにしてくださったことは、用賀からの旅路を考

えるととてもありがたいことでした。また、勤務が終わった後には牧師館に招いてくださり、スコ

ッチのグレンフィディックで労をねぎらってくださったり、1年の勤務が終わる時には早々とストー

ルをプレゼントしてくださったりするほどに、とても優しい方でした。その他、毎主日香を焚いて

いた礼拝に出席できたことや主日礼拝後にご聖体を持って病床を訪問する牧師について行っ

たことなど、様々な牧会の経験を積むことができました。

一般的な認識として聖職候補生は神学院の授業において色々な牧会者としての学びをするも

のと考えられがちですが、実際神学院では主に学問的な勉強をするのであって、聖職者として

の実践的な事柄はほとんど主日勤務や卒業後の教会勤務で先輩聖職から学んでいくのが実

情でした。


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