竹田教区主教就任から退任まで[略年表]
- 一九八七年
- 9月15日
- 第71(臨時)教区会での教区主教選挙で、竹田眞司祭(当時教区常置委員長、聖公会神学院校長。57歳)が投票三回目で当選。その後被選主教に。
- 12月
- 月末をもって山田襄教区主教が定年退職。
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- 一九八八年
- 1月6日(顕現日)
- カトリック東京カテドラル聖マリア大聖堂で行われた主教就任式で主教に、また第七代東京教区主教に就任・着座。司式者は木川田首座主教、説教者李天煥師父(前大韓聖公会ソウル教区主教)。日本聖公会初の改正祈祷書(口語)による主教按手・着座式でもあった。
- 3月21日
- 竹田主教、初の議長となる教区会(第72定期)。「主教は会議の上に立って支配する者ではない」と、また「一年間は教区を理解するための準備に」と挨拶。
- 5月
- 先年から審議、制作を続けていた「東京教区の宣教体制の確立と各教会前進のために」の副題をもつ小冊子『しんせい』が発刊された。
- 7月〜8月
- カンタベリー大主教招集の全聖公会教区主教会議「ランベス会議」(十年おきに開かれ第一二回目)に出席。担当分科会は「エキュメニズム」で、他教派代表団も陪席するなか変動・多様化する課題と取り組んだ。
- 9月23日
- 教区フェステバル(立教女学院)。主教は「東アジアに視点を向け呼びかけ、テーマは「『時が来た さあ行こう』と主は言われた」。
- 11月
- 米国聖公会メリーランド(MD)教区の交流プログラムとして信徒代表二人が訪日。
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- 一九八九年
- 1月15日
- 教区新年礼拝で説教。
- 3月21日
- 教区会(第73定期)では「いと小さき者」に言及して開会演説。「アパルトヘイトに反対しツツ大主教に連帯のメッセージを送る」議案が採択され、書簡を託す。
- 4月
- フィリピン独立教会ルセナ教区主教の招きでルバング島を訪問。また女性宣教師招聘について協議。
- 7月・8月
- MD教区へ中高生および大学生らの二つの訪問団を送る。
- 9月
- 管区・日本聖公会センター建設に協力(聖バルナバ教会敷地内)。
- 9月24日
- 教区フェスティバルで信徒の分餐奉仕を認可。こども聖歌隊も登場。
- 10月
- MD教区を訪問。ロンゲスト補佐主教按手式参列。
- フィリピンからナンシー・サブク氏が女性宣教師として派遣されることが決定(MRI委員会・滞日フィリピン人宣教プロジェクトリーダーとして勤務予定)。
- 一九九〇年
- 3月21日
- 教区会開催(第74定期)。社会・宣教両委員会提案の「人権委員会」設置が採択された(人権問題の啓発、差別事象との取組みなどを目的)。また「東京教区規則」に「収益事業」項目を加入する一部変更を可決。
- 4月
- フィリピン・ルバング島の聖ヴィンセント祭に参加(独立教会ルセナ教区主教同伴)。
- 5月
- MD教区会に出席。3月にはMD教区から代表団が来京、また4月にMRI委員会内に協働小委員会を発足するなど、次第に両教区・教会間交流が深まりを見せる。
- 6月
- 小笠原聖ジョージ教会を訪問。
- 8月
- 東京・MD教区ユースカンファレンスを清里・清泉寮で開催。
- 9月24日
- 香蘭女学校で教区フェスティバル「福音伝道の十年に向けて」を開催。
- 大韓聖公会宣教百年礼拝(一万人参加)に参列。東京からは約百人が参加。
- 10月
- MRIフィリピン委員会では「タガログ語教室」を開始。
- 11月
- MD教区から訪問団、女性聖職五人を含む二十八人が来京。懇談分科会では「福音伝道の十年」を共通課題に。
- 一九九一年
- 1月
- 中東湾岸戦争開始にともない難民救援活動を含めた代祷、祈祷会、紙上(『時報』)大キャンペーンを実施。
- 2月11日
- 組織成立記念礼拝で説教、「福音宣教十年の開始に当って」を基調とする宣教課題を指摘。
- 3月21日
- 第75(定期)教区会。主教は「福音十年」の第一年目の原則方針で「社会における神の愛・正義・平和の実現への奉仕」を強調。
- 9月
- 中東キリスト教協議会議長S・カフィティ主教(エルサレム・中東管区首座主教)が来京。
- 9月23日
- 教区フェスティバル。呼び掛けテーマ「『立て、さあ行こう』と主は言われた」を掲示し、シンボルマークを制定した。
- 10月
- ソウルでの日韓合同主教会のため訪韓。
- 聖公会神学院八十周年記念礼拝。
- 11月
- 常置・常設委員会会議を開き(日野 ラ・サール研究所)教区組織改編の継続審議を確認し合った。
- 一九九二年
- 3月21日
- 第76(定期)教区会。教区機構改革を検討する「宣教方策会議」設置案が承認され、次回教区会に改革案を提出することになった。また常置委員選挙で東京教区初の女性信徒代議員が選出された。
- 8月
- ユース・カンファレンス(清里)と全国青年大会(伊豆)の二大会。
- 9月23日
- 教区フェスティバル、立教女学院。
- 11月
- フィリピン聖公会中央教区、聖ルカミッション(ハンセン病治療者の社会復帰支援施設)起工式へ参加。
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- 一九九三年
- この年より『教区時報』が週刊化。
- 巻頭頁のショートメッセージを翌年1月までの長期間、主教が健筆で飾った。
- 1月3日
- 教区新年礼拝(聖バルナバ教会で)。
- 3月20日
- 教区会(第77定期)。信徒代議員七五人中、女性が一六人となり二〇%を越えた。
- 末日、津田昌男司祭が定年退職。
- 3月25日
- ナザレ修女会、三鷹市牟礼の移転地で上棟式。
- 6月
- 皇太子の結婚をめぐる「奉祝」ムードに対し身分差別、宗教行事などの面で警告。
- 米国バーモンド教区で米国聖公会初の女性主教が選出された。
- 教区会館。三〇年ぶりに改装工事。各教会グループで「教区機構改革」について協議会が活発化。
- 7月
- 中高生中心のMD教区が訪問団。
- 9月23日
- 教区フェスティバル、香蘭女学校で。
- 10月9日
- 前教区主教山田襄教父逝去。12日に教区葬(司式=竹田主教)。
- 10月
- 女性教役者のための産休制度が実施された。
- 小笠原聖ジョージ教会へ公式訪問。
- 12月
- 台湾聖公会へ親善訪問。
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