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戦時中動物も犠牲になった

池袋聖公会 井上こみち


 中澤静江さん(六二歳、練馬区在住)が戦時中に愛犬を次々と奪われた体験です。

昭和十八年秋、全国の動物園の猛獣が空襲などで暴れるのを恐れ、殺された直後の事。

供出という名目で、一般家庭の飼い犬も殺されたのです。
<犬もりっぱにお国の役に立ちます。進んで納めましょう>
と隣組みの回覧板で呼びかけられました。
指定の日時に飼い主が連れて来いというものです。

中澤さんがこの命令を知ったのは十一歳でした。
中澤家には、<東亜>という名の柴犬がいました。
二頭のシャエパ−ドもいましたが、前年の冬に軍用犬として戦地に出征させました。

中澤さんが一つ蒲団で寝るくらい仲の良い犬でした。
「お国のために、犬が出征することは名誉なこと」
と近所の人は、たすきをかけた二頭を、日の丸の小旗で見送ってくれたのです。
寂しそうな中澤さんをみかねた父親が、戦争に行かなくていい柴犬を飼ってくれました。
それが<東亜>です。
その頃は食料難でしたから犬を飼える余裕のある家は少なかったのですが、中澤さんの家族は自分たちの分を削ってでも犬に食べさせる犬好きだったのです。
かわいい犬の供出を逃れようと、遠くまで連れて行った人もいましたが、中澤さんの父親は命令を守り、指定の警察署に、彼女を一人で行かせたのです。

 「愛するものを容赦なく奪うのが戦争だ、自分の目で<東亜>の運命を確かめてきなさい」。

供出の朝、<東亜>にはなけ無しの米で炊いた赤飯に、味噌汁をかけてやり、おなかいっぱい食べさせてやりました。
最後の食事でした。
警察署の中庭に集められた犬たちは、自分たちの運命を分っているのか、鳴き声ひとつ上げません。
<東亜>も同じでした。

 犬をどうするのか教えてと問い詰める中澤さんに、警官は黙って<東亜>の首輪を渡したのです。
犬は殺され、毛皮や缶詰肉になり戦地に送られるのだと、巷ではささやかれていました。
一人っ子の中澤さんには、兄弟の様なかけがえのない三頭でした。

 私はこの話をぜひ多くの人に知ってほしいと思い、中澤さんをモデルにした物語『犬の消えた日』(金の星社刊)を書きました。

本の中には、終戦直後まで都内の派出所で警官をしていたIさんの、犬の殺戮に立合った証言も書きました。
Iさんもまた犬好きで、
「立場上、供出命令を先に知り自分の犬は知人の家に隠しました。その事が分れば警察を辞めさせられたでしょう。非国民と非難もされたでしょう」
と声をつまらせたIさんもまた、戦争の犠牲者です。

 本が出るとたくさんの感想が寄せられましたが、なかでも、六十代の男性の
「子供のころ、田舎の山で見た犬の死体の謎が解けた。殺したものの、皮や肉をとる技がなかったのか。まさに犬死にではないか」
には、身震いする思いでした。
身近な動物の命を通じて、戦争の愚かさをいくらかでも語ることができ、ほっとしました。
十年前の取材時の事を思い出すと今でもつらくなります。

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