第十五編 紀念

第十五編 紀念

一、紀念禮拜 

 監督(かんとく)ウイリアムス師(し)就眠(しうみん)の報(はう)、我國(わがくに)に傳(つた)わるや、日本(にほん)聖公會(せいこうくわい)は悲痛(ひつう)哀悼(あいたう)を極(きは)めた。豫(かね)て歸國(きこく)の其時(そのとき)から、老衰(らうすゐ)の御身(おんみ)なれば、最早(もはや)餘命(よめい)も長(なが)かるまじと、人々(ひとびと)は私(ひそ)かに心配(しんぱい)し、早晩(さうばん)此事(このこと)あるべしとは期(き)したる事(こと)ながら、其(その)訃音(ふいん)に接(せつ)しては今更(いまさら)の如(ごと)く、驚愕(きやうがく)惜(お)く所(ところ)を知(し)らず、滋父(じふ)を喪(うしな)へる幾多(いくた)の信仰上(しんかうじやう)の子女(しぢよ)は、痛哭悲叫(つうこくひけう)するも尚(なほ)足(た)らざるを覺(おぼ)へた。同時(どうじ)に言(い)ひ知(し)れぬ嚴肅(げんしゆく)の感(かん)がした。就眠後(しうみんご)の第(だい)一の金曜日(きんえうび)或(あるひ)は第(だい)二の金曜日(きんえうび)には、北東京(きたとうきやう)地方(ちはう)及(および)京都地方(きやうとちはう)の諸敎會(しよけうくわい)は、何(いづ)れも紀念追悼(きねんついたう)禮拜式(れいはひしき)を擧行(きよかう)せられたるが、左(さ)に掲(か)ぐるものは、大阪(おほさか)、京都(きやうと)、東京(とうきやう)に於(お)ける追悼禮拜式(ついたうれいはひしき)の状況(じやうきやう)にして、基督敎(きりすとけう)週報(しうほう)及(およ)び惠(めぐみ)の音(おとづれ)紙上(しじやう)より、轉載(てんさい)したものである。
 大阪(おほさか)に於(お)ける追悼禮拜式(ついたうれいはいしき)『時(とき)は明治(めいぢ)四十三年(ねん)十二月(くわつ)九日(か)、故(こ)監督(かんとく)就眠後(しうみんご)第(だい)一週(しう)の金曜日(きんえうび)、茲(こゝ)に大阪西區(おほさかにしく)川口基督(かわぐちきりすと)敎會(けうくわい)に於(おい)て、最(もつと)も崇嚴(そうごん)なる追悼(つひたう)紀念(きねん)禮拜式(れいはひしき)執行(しつかう)せられたり。是(これ)より先(さき)堂内(だうない)は川口(かわぐち)約翰(よはね)保羅(ぱうる)贖主(しよくしゆ)四敎會(けうくわい)の姉妹等(しまいら)の手(て)に依(よ)り、敬愛追慕(けいあいついぼ)の眞情(しんじやう)を込(こ)めて美(うつく)しく而(し)かも嚴(おごそ)かに裝飾(さうしよく)せられ、入場者(にふぢやうしや)先(ま)づ肅然敬虔(しゆくぜんけいけん)の念(ねん)に打(う)たれぬ。と見(み)れば正面(しやうめん)聖壇上(せいだんじやう)の高(たか)き處(ところ)In his stepsと白菊(しらぎく)もて描(えが)ける額(がく)は掲(かゝ)げられ、此(この)聖徒(せいと)の全生(ぜんせい)こゝに在(あ)りと座(そゞ)ろに其(その)高風盛德(かうふうせいとく)を想(さう)はしめ壇上(だんじやう)を飾(かざ)れる白菊(しらぎく)、白花(はくくわ)の十字架(じか)、靑葉白花(あをばしらはな)打交(うちまじ)りたる花環等(はなわとう)、すべては此(この)高潔(かうけつ)なる人格(じんかく)に於(おい)て死(し)は眞(まこと)に是(こ)れ凱旋(がいせん)なり安息(あんそく)なり向上(かうじやう)なりと物語(ものがた)れるものゝ如(ごと)く感(かん)ぜられ、四方(よも)を蔽(おそ)へる黑(くろ)き幕(まく)に深痛(しんつう)なる悲哀(ひあい)は表現(ひやうげん)せられたり。聖書臺(せいしよだい)の右方(うほう)稍(や)や高(たか)く故監督(こかんとく)の肖像(しやうざう)、黑布(くろぬの)に包(つつ)まれ二の花環(はなわ)の閒(あひだ)に安置(あんち)せられて、其温容(そのおんやう)に接(せづ)せしめぬ。やがて午後(ごゞ)七時(じ)定刻(ていこく)至(いた)り、故人(こじん)愛吟(あいぎん)聖歌(せいか)三四九番(ばん)歌(うた)はるゝや、司式者(ししきしや)山田長老(やまだちやうらう)を先頭(せんとう)に、田中(たなか)、布施(ふせ)、織閒(おりま)三傳道師(でんだうし)、河合(かあひ)、森(もり)、松井(まつゐ)、木庭(こば)、チヤプマン、コレル、名出(ないで)、早川(はやかは)、山縣(やまがた)諸長老(しよちやうらう)、及(およ)びフオス監督等(かんとくとう)白衣(びやくい)の一列(れつ)は、牧師館(ぼくしくわん)より出(い)でゝ會堂(くわいだう)に入(い)り、肅々(しゆくしゆく)チヤンセルに進(すゝ)み居列(ゐなら)ぶ。その壯嚴(さうげん)なる光景(くわうけい)に、會衆(くわいしう)は畏敬(ゐけい)の念(ねん)に打(う)たれ、靈氣(れいき)堂内(だうない)に滿(み)ちぬ。
 コレル長老(ちやうらう)の聖語朗讀(せいごらうどく)、咏歌隊(えいかたい)の詩(し)九十篇(ぺん)交唱(かうしやう)、松井長老(まつゐちやうらう)の聖書朗讀(せいしよらうどく)、渡壁孃(わたかべぢやう)の「天(てん)より聲(こゑ)ありて」以下(いか)の唱咏(しやうえい)あり。五十餘年(よねん)日本傳道(にほんでんだう)に奉獻(ほうけん)したる高貴(かうき)なる生涯(しやうがい)は、今更(いまさら)の如(ごと)く深(ふか)く會衆(くわいしゆふ)の心裡(しんり)に響(ひゞ)けり。チヤプマン長老(ちやうらう)宣敎師(せんけうし)を代表(だいへう)し弔辭(てうじ)を述(の)べらる。凡(およ)そ人類(じんるゐ)に偉大(ゐだい)なる感動(かんどう)を及(およ)ぼす人物(じんぶつ)に三種(しゆ)あり。一は偉大(ゐだい)の功績(かうせき)を建(た)て大事業(だいじげふ)を後世(こうせ)に遺(のこ)せるもの、二は深遠(しんゑん)なる思想(しさう)と該博(がいはく)なる學識(がくしき)とにより人智(じんち)を進(すゝ)め世代(せだい)を益(えき)せしもの、三は高潔(かうけつ)なる品性(ひんせい)により大(だい)なる感化(かんくわ)を後世(こうせ)に貽(のこ)すものなり。監督(かんとく)は一二の資格(しかく)なきにあらず、然(しか)れども特(とく)に第(だい)三の高潔(かうけつ)なる品性(ひんせい)と謙遜(けんそん)柔和(にうわ)服從(ふくじゆふ)犧牲(ぎせい)獻身(けんしん)の模範(もはん)により偉大(ゐだい)の感化(かんくわ)を與(あた)へ、神前(しんぜん)に多(おほ)くの收穫(しうくわく)を爲(な)したる人(ひと)なりと説(と)き、病(やまひ)を冒(をか)して列席(れつせき)せられたる早川(はやかは)長老(ちやうらう)は門下生(もんかせい)を代表(だいへう)して、一昨年(さくねん)京都(きやうと)に於(お)ける最後(さいご)の會見(くわいけん)の模樣(もやう)、當時(たうじ)の感想(かんさう)、故人(こじん)が遂(つひ)に鄕里(きやうり)に歸(かへ)られし理由(りゆう)、門下生(もんかせい)に對(たい)する慈愛(じあい)、終生(しゆふせい)忘(わす)れ難(がた)き聖(きよ)き感化(かんくわ)、門生(もんせい)の敬愛追慕(けいあいついぼ)の眞情(しんじやう)をば語(かた)らる、言々(げんげん)句々(くゝ)悲壯沈痛(ひさうちんつう)、會衆(くわいしゆふ)は涙(なみだ)にかき暮(く)れぬ。信徒代表(しんとだいへう)並河氏(なみかはし)の懷舊談(くわいきうだん)、博愛社(はくあいしや)小橋氏(こばしし)の弔辭(てうじ)、何(いづ)れも聖者(せいしや)の面影(おもかげ)を偲(しの)ばしめぬ。それより獨唱(どくしやう)の名人(めいじん)コレル夫人(ふじん)の聖歌(せいか)一五三番(ばん)の獨吟(どくぎん)あり、瀏喨(りうりやう)たる妙音(めうおん)は或(あるひ)は高(たか)く或(あるひ)は低(ひく)く、喞々(そくそく)として心(こゝろ)を動(うごか)し、恰(あたか)も天上(てんじやう)の凱歌(がいか)に接(せつ)するの概(がい)ありき。次(つい)で名出長老(ないでちやうらう)の説敎(せつけう)、彼前二○廿一の聖語(せいご)は、故監督(こかんとく)が終生(しゆふせい)從(したが)はんと務(つと)められし事(こと)なりとて、故人(こじん)が其(その)使命(しめい)を重(おもん)じ終生(しゆふせい)を日本(にほん)に獻(さゝ)げたりしこと、其(その)貧生活(ひんせいくわつ)は日本(にほん)敎役者(けうえきしや)を思(おも)ふ至情(しじやう)より出(い)でしものなること、質素儉節(しつそけんせつ)なりしこと、獨立(どくりつ)の人(ひと)なりしこと、意志(いし)の強固(きようこ)たりしこと、良心(りやうしん)の命(めい)に從(したが)ひしこと、而(し)かもなほ謙遜(けんそん)にして自(みづか)らを虚(むなし)うしたること等(とう)、其他(そのた)聖(きよ)き美(うつく)しき品性(ひんせい)の模範(もはん)を述(の)べられ、終(つひ)に莊重(そうちやう)の語(ご)を以(もつ)て我等(われら)は此(こ)の聖徒(せいと)を記念(きねん)し其(その)足跡(そくせき)を踏(ふ)むべきことを勸(すゝ)められ、深刻(しんこく)なる印象(いんしやう)を與(あた)へ各自(かくじ)の責任(せきにん)を感(かん)ぜしめたり。斯(か)くてフオス監督(かんとく)の最終(さいしゆふ)の祈禱(きたう)と祝禱(しゆくたう)を以(もつ)て、此(この)嚴肅(げんしゆく)なる記念(きねん)の式(しき)は終(おは)り、會衆(くわいしふ)一同(いちどう)の聖歌(せいか)九一番(ばん)「たゝかひをはりていくさよりかへるきみをほめうたふ」合唱(がつしやう)は、天(てん)の榮冠(えいくわん)、師(し)の頭上(とうじやう)に輝(かゞや)くを思(おも)はしめつゝ、日本聖公會(にほんせいこうくわい)の永遠(えいえん)に記念(きねん)すべき忠誠敬虔(ちゆうせいけいけん)の聖徒(せいと)のゆへに、ハレルヤ主(しゆ)の聖名(せいな)を賛美(さんび)しつゝ、監督(かんとく)長老(ちやうらう)傳道師(でんだうし)の一隊(たい)は、しづしづと堂(だう)を退(しりぞ)きぬ。時(とき)に九時(じ)四十五分(ふん)なりき」。
 京都(きやうと)に於(お)ける追悼(つひたう)禮拜式(れいはいしき)『ウイリアムス老監督(らうかんとく)が、故鄕(こきやう)リツチモンドに於(おい)て永眠(えいみん)せられてより七日(か)を經(へ)たる、明治(めいぢ)四十三年(ねん)十二月(ぐわつ)九日(か)午後(ごゞ)七時(じ)、老監督(らうかんとく)が最後(さいご)の事業(じげふ)として我(わが)日本(にほん)に捧(さゝ)げられたる京都(きやうと)聖約翰(せいよはね)敎會(けうくわい)に於(おい)て、三敎會(けうくわい)即(すなは)ち聖約翰(せいよはね)、聖(せい)三一、聖(せい)マリア聯合(れんがふ)し、パートリツチ監督(かんとく)司式(ししき)の下(もと)に追悼禮拜式(つひたうれいはひしき)は擧行(きよかう)せられたり、今(いま)其順序(そのじゆんじよ)を左(さ)に。

奏樂裡に安倍傳道師、カスパート、曾根、山邊の三長老、セシル、パートリツチの二監督は聖壇に進む。

一 聖語 パートリツチ監督
一 勸告 同
一 懺悔 會衆一同
一 赦罪 パートリツチ監督
一 主禱 會衆一同
一 詩篇(九一、一三〇、一四五) カスパート長老
一 聖書朗讀(申命記三四) 安倍傳道師
一 聖マリアの頌 會衆一同
一 聖書朗讀(默示録二一) 山邊長老
一 シメオンの頌 會衆一同
一 使徒信經 同
一 祈禱 セシル監督
一 聖歌九十一 會衆一同
一 吊辭感話 安倍傳道師
一 同 山邊長老
一 同 曾根長老
一 聖歌二九三前半 會衆一同
一 吊辭勸告 セシル監督
一 同 パートリツチ監督
一 聖歌二九三後半 會衆一同
一 祈禱 パートリツチ監督
一 祝禱 同
一 聖歌一二五 會衆一同

 右(みぎ)にて式(しき)を終(をは)る時(とき)に午後(ごゞ)九時(じ)、本日(ほんじつ)特(とく)に聖壇(せいだん)は黑布(こくふ)を以(もつ)て淸楚(せいそ)に飾(かざ)られ、其(その)禮拜式(れいはひしき)は最(もつと)も嚴肅(げんしゆく)に執行(しつかう)せられたり、諸師(しよし)の熱烈(ねつれつ)なる感話(かんわ)には思(おも)はず袖(そで)を濕(ぬら)さしめし、又(また)セシル監督(かんとく)は特(とく)に本(ほん)禮拜式(れいはひしき)のために東京地方(とうきやうちはう)を代表(だいへう)し、 且(かつ)英國側(えいこくがわ)を代表(だいへう)して出席(しゆつせき)せられたり、老監督(らうかんとく)は今(いま)や亡(な)しあゝ、現世(げんせ)に於(おい)ては再(ふたゝ)び其(その)温容(をんやう)に接(せつ)する能(あた)はず、其(その)最後(さいご)の地(ち)たる京都(きやうと)にある吾人(ごじん)特(とく)に其(その)感(かん)を深(ふか)くす。因(ちなみ)に記(しる)す聖歌(せいか)二九三は老監督(らうかんとく)の愛吟(あいぎん)にして、特(とく)に三三八の譜(ふ)を附(ふ)して會衆(くわいしう)一同(どう)唱和(しやうわ)せり。會(くわい)するもの百五十名(めい)』。
 東京(とうきやう)に於(お)ける追悼禮拜式(ついたうれいはいしき)『十二月(ぐわつ)十六日(にち)(金(きん))午前(ごぜん)八時(じ)紀念聖餐式(きねんせいさんしき)執行(しつかう)、司式(ししき)スヰート長老(ちやうらう)、補式(ほしき)多川長老(たがはちやうらう)、當日(たうじつ)の特禱(とくたう)として埋葬式中(まいさうしきちう)の一つの禱(いのり)を用(もち)ひ、使徒書(しとしよ)帖前四○十三十八迄(まで)、福音書(ふくおんしよ)は約五○二四-二九迄(まで)を特用(とくよう)せられたり。陪餐者(ばいさんしや)は三十二名(めい)なりしが、此中(このうち)には遠(とほ)き地方(ちはう)より態々(わざわざ)來會(らいくわい)せられたる方(かた)も多(おほ)かりき。午後(ごご)六時(じ)より左(さ)の順序(じゆんじよ)に從(したが)ひ紀念禮拜(きねんれいはひ)を行(おこな)はれ、杉浦長老(すぎうらちやうらう)の質直(しつちよく)なる追懷辭(ついくわいじ)は、故監督(こかんとく)を偲(しの)ぶと共(とも)に大(おほひ)に自己(じこ)の責任(せきにん)を感(かん)ぜしめ、田井長老(たゐちやうらう)が追慕(ついぼ)の涙(なみだ)の中(うち)に監督(かんとく)の平素(へいそ)を語(かた)られしには、滿場(まんぢやう)二百五十の會衆(くわいしゆふ)一人(にん)として流涕(りゆうてい)を禁(きん)ずる能(あた)はざると共(とも)に大(だい)なる敎訓(けうくん)を與(あた)へられ、終(をは)りにスヰート長老(ちやうらう)は莊重(さうちやう)な英語(えいご)を以(もつ)て追想(ついさう)を述(の)べられ、嚴肅(げんしゆく)にして情愛(じやうあい)に充(みち)たる好禮拜式(かうれいはいしき)にてありき。散會前(さんくわいぜん)司會者(しくわいしや)より奬學金(しやうがくきん)の件(けん)に付(つき)報告(はうこく)ありたり。同會(どうくわい)の所期(しよき)を全(まつた)ふせしめ、有意(いうゐ)の敎役者(けうえきしや)を養成(やうせい)したきものなり。因(ちなみに)云(い)ふ當夜(たうや)用(もち)ひられし諸聖歌(しよせいか)は故監督(こかんとく)の愛用(あいよう)せられたるものゝ由(よし)。

聖歌 第七
晩禱 司會 長老 多川幾造
詩篇 十五、七十二 長老 小林彦五郞
第一日課賽(イザヤ)四○ 長老 皆川晃雄
第二日課約(ヨハネ)十四 長老 今井壽道
聖歌 三五五
追懷辭 長老 杉浦義道
Hymn No. 342 The Hymnal
同 長老 田井正一
聖歌 三二三
追懷辭 長老 スヰート
Hymn No. 667 The Hymnal
祈禱 長老 キング
祝禱 長老 スヰート
聖歌 二九三

 式服着用(しきふくちやくよう)列席(れつせき)せられしは前記諸聖職(ぜんきしよせいしよく)の外(ほか)は、アーチデヤコノ、キング、ワレス、ウエブ、クツク、タツカー、メードレー、ウエルボン、ロイド、片田(かたた)、大藤(だいとう)、小川(おがわ)の諸聖職(しよせいしよく)にして、會衆席(くわいしゆふせき)には南北(なんぼく)兩地方(りやうちはう)の聖職(せいしよく)、傳道師(でんだうし)、敎會委員(けうくわいゐゐん)、其他(そのた)老監督(らうかんとく)に關係(くわんけい)ありし古(ふる)き信徒(しんと)諸兄姉(しよけいし)を見受(みう)けたり』。

二、監督ウイリアムス師奬學金

 監督(かんとく)が歸國(きこく)の後(のち)、東京北地方(とうきやうきたちはう)及(および)京都地方(きやうとちはう)の師(し)を敬愛追慕(けいあいついぼ)する人々(ひとびと)の閒(あひだ)に、何(なん)とかして師(し)を永(なが)く記念(きねん)したしといふ思考(かんがへ)か、期(き)せずして起(をこ)つた。而(そ)して東京北地方(とうきやうきたちはう)の有志者(いうししや)は、師(し)の歸國後(きこくご)直(たゞち)に相談(さうだん)の結果(けつくわ)、師(し)の最(もつと)も喜(よろこ)ばるべき記念方法(きねんはうはふ)の一として、師(し)が日本(にほん)に遺(のこ)しゆかれたる事業(じげふ)の一なる、東京(とうきやう)三一神學校(しんかくかう)に神學生(しんかくせい)奬學金(しやうがくきん)を置(お)く事(こと)に決(けつ)し、左(さ)の趣意書(しゆいしよ)及(およ)び規則(きそく)を發表(はつぺう)された。監督(かんとく)シー・エム・ウイリアムス奬學金(しやうがくきん)募集(ぼしふ)主意(しゆい)並(ならびに)規則(きそく)
過去(くわこ)五十年閒(ねんかん)日本(にほん)の爲(た)めに獻身(けんしん)されたる監督(かんとく)ウイリアムス師(し)、餘命(よめい)を鄕里(きやうり)に養(やしな)はんとして今回(こんくわい)長(なが)く我國(わがくに)を辭去(じきよ)されたるにつきては、同師(どうし)の薰陶(くんとう)を受(う)け若(もし)くは其(その)高風(かうふう)を景慕(けいぼ)する同人(どうにん)相謀(あひはか)り、「監督(かんとく)シー・エム・ウイリアムス奬學金(しやうがくきん)」を私立(しりつ)專門學校(せんもんかくかう)東京(とうきやう)三一神學校(しんがくかう)に設置(せつち)し、以(もつ)て長(なが)く同師(どうし)を紀念(きねん)せんと欲(ほつ)す、此主意(このしゆうい)を賛成(さんせい)せらるゝ諸氏(しよし)は左(さ)の規則(きそく)に準(じゆん)じて出金(しゆつきん)あらんことを希望(きぼう)す。

規則(きそく)

(一)本會(ほんくわい)を監督(かんとく)シー・エム・ウイリアムス紀念(きねん)奬學會(しやうがくくわい)と稱(しよう)す。
(二)本會(ほんくわい)の假事務所(かりじむしよ)を東京府(とうきやうふ)北豐島郡(きたとしまぐん)巣鴨村(すがもむら)字庚申塚(あざこうしんづか)一二六番地(ばんち)瀧乃川(たきのがは)學園(がくゑん)内(ない)に置(を)く
(三)奬學金(しやうがくきん)を受(う)くべきものは必(かなら)ず三一神學校(しんがくかう)敎授會(きやうじゆくわい)に於(おい)て推薦(すいせん)せし優等生(いうとうせい)とす。
(四)會員(くわいゐん)の出金(しゆつきん)年額(ねんがく)一株(かぶ)を金(きん)二圓(ゑん)五拾錢(せん)とし一人(にん)にして一株(かぶ)以上(いじやう)を出金(しゆつきん)することを得(う)。
(五)送金(そうきん)は瀧乃川(たきのがは)學園(がくゑん)會計部(くわいけいぶ)振替(ふりかへ)貯金口座(ちよきんこうざ)第(だい)三四一四番(ばん)に拂込(はらひこ)むことを得(う)。
(六)有志者(いうししや)より臨時(りんじ)に寄附(きふ)ある時(とき)はこれを受(う)け會員(くわいゐん)の出金(しゆつきん)に合(がつ)して奬學金(しやうがくきん)に充(あ)つるものとす。
(七)本會(ほんくわい)に理事(りじ)五名(めい)(理事長(りじちやう)一名(めい)、書記(しよき)二名(めい)、會計(くわいけい)二名(めい))を置(を)き毎年(まいねん)一月(げつ)總會(そうくわい)を開(ひら)きこれを撰擧(せんきよ)す。
(八)本會(ほんくわい)は毎年(まいねん)一月(げつ)前年度(ぜんねんど)の會計(くわいけい)收支決算(しうしけつさん)を會員(くわいゐん)に報告(ほうこく)すべし。

 發起人

元田作之進 杉浦義道  落合吉之助
山縣雄杜三 大藤鑄三郞 阪井德太耶
多川幾造  長田重雄  小林彦五郞
小宮珠子  戸塚録三郞 石井亮一 

 本規則(ほんきそく)は來年(らいねん)一月(げつ)總會(そうくわい)開會(かいくわい)まで假(かり)にこれを用(もち)ひ又(また)役員(やくゐん)は來(きたる)總會(そうくわい)に於(おい)て撰擧(せんきよ)するまで發起人(はつきにん)に於(おい)て其(その)事務(じむ)を處理(しより)す。

三 故監督追墓碑並に傳記出版 

 師(し)の永眠後(えいみんご)京都地方(きやうとちはう)に於(おい)ては、大正(たいしやう)二年(ねん)四月(ぐわつ)開會(かいくわい)の第(だい)十六回(くわい)地方會(ちはうくわい)に於(おい)て故監督(こかんとく)紀念(きねん)の事(こと)を決議(けつぎ)し、之(これ)が實行委員(じつかういゐん)を擧(あ)けた。實行委員(じつかういゐん)は、追慕碑(つゐぼひ)建設(けんせつ)並(ならび)に傳記(でんき)出版(しゆつぱん)の計畫(けいくわく)をなし、左(さ)の趣意書(しゆいしよ)を發表(はつぺう)した。

 
故監督シー・エム・ウイリアムス師追墓碑建設費並に傳記出版費募集趣意書

 昨年(さくねん)一月(がつ)、日本聖公會(にほんせいこうくわい)の一長老(ちやうらう)は、故監督(こかんとく)ウイリアムス師(し)の鄕里(きやうり)にして、亦其(またその)終焉(しゆふえん)の地(ち)なる米國(べいこく)ヴアージニア州(しう)リツチモンドに至(いた)り、ホーリウツド墓地事務所(ぼちじむしよ)を訪(とひ)て、故日本監督(こにほんかんとく)ウイリアムス師(し)の墓所(はかしよ)は那適(なへん)に在(あり)やと尋(たづ)ねしに、事務員等(じむゐんら)は日本監督(にほんかんとく)などの墓(はか)は此所(こゝ)に無(なし)と答(こた)ふ、長老(ちやうらう)は押(お)して、確(たしか)に其(その)親族(しんぞく)なるハリソン家(け)の墓地(ぼち)に在(あ)るを聞(き)けりと曰(い)ひしに、彼等(かれら)は始(はじめ)て心付(こころづ)き、さては其監督(そのかんとく)と言(いは)るゝは、曾(かつ)てハリソン氏方(しかた)に寄寓(きぐう)せし彼(か)の老翁(らうおう)のことなるか、我等(われら)は斯(かゝ)る榮職(えいしよく)に在(あ)りし人(ひと)なるを知(し)らざりしなりと、乃(すなは)ち事務員(じむゐん)に導(みちび)かれてハリソン家(け)の墓所(はかしよ)に至(いた)れば、彼(かれ)、其中央(そのちうおう)なる墳墓(ふんぼ)の僅(わづか)に寸土(すんど)を盛(も)り、之(これ)に鬼蔓(おにかづら)を植付(うえつけ)たるものを指(さ)して曰(いは)く、是(こ)れ其墓(そのはか)なりと、寒墳寂寞(かんふんせきばく)、當時(とうじ)は認識(にんしき)すべき一基(き)の墓標(ぼへう)すらもなかりき、長老(ちやうらう)先師(せんし)の高風(かうふう)と目前(もくぜん)の光景(くわうふう)を聯想(れんさう)して感懷(かんくわい)轉(う)た切(せつ)に、低徊(ていくわい)去(さる)に忍(しの)びざるの情(じやう)ありしと云(い)ふ、聞(き)く處(ところ)に依(よれ)ば其後(そのご)遺言(ゆいごん)に從(したが)ひ御影石(みかげいし)の小十字架(せうじうじか)一基(き)其上(そのうへ)に建(た)てられしと。近(ちか)く彼地(かのち)より歸任(きにん)せし某(ばう)宣敎師(せんけうし)曰(いは)く、予(よ)は老監督(らうかんとく)の墓所(はかしよ)を尋(たづね)しも遂(つひ)に見出(みいだ)し能(あた)はず空(むな)しく去(さ)れりと。嗚呼(あゝ)吾(わ)が先師(せんし)は五十年(ねん)の公生涯(こうしやうがい)を擧(あげ)て日本(にほん)の爲(ため)に獻(さゝ)げ了(おは)り、高齡老病(かうれいらうびやう)にして歸(かへ)り至(いた)りし時(とき)には、既(すで)に其(その)鄕人(きやうじん)にも將(は)た其敎會(そのきやうくわい)にも忘(わす)れられ、今(いま)は其墓所(そのはかしよ)すらも易(たやす)く人(ひと)の認(みとむ)る者(もの)無(な)からんとす、思(おも)ふに斯(かく)の如(ごと)きは謙德厚(けんとくあつ)き吾(わ)が先師(せんし)に取(とり)てや寧(むし)ろ會心(くわいしん)のことなるべきも、抑(そもそ)も亦(ま)た其靈(そのれい)の子孫(しそん)たる我等(われら)の情(じやう)として、不幸(ふかう)、先師(せんし)の遺骸(ゐがい)を此國土(このこくど)に留(とゞ)むる能(あた)はざりしに加(くは)ふるに、其鄕土(そのきやうど)終焉(しうえん)の地(ち)に於(お)ける遺蹟(ゐせき)までも斯(かく)の如(ごと)く將(まさ)に堙滅(えんめつ)に歸(き)せんとするを知(し)るに於(おい)て、誰(たれ)か痛惜(つうせき)の情(じやう)に堪(た)へんや。本年(ほんねん)四月(がつ)第(だい)十六回(くわい)京都地方會(きやうとちほうくわい)は故(こ)ウイリアムス監督(かんとく)紀念(きねん)の事(こと)を決議(けつぎ)し之(これ)が實行委員(じつかういゐん)を擧(あ)げたり、依(よつ)て該委員(がいいゐん)は東京北地方部(とうきやうきたちはうぶ)の有志者(いうししや)と相謀(あいはか)りて、此爲(このた)めに二個(こ)の方法(はうはふ)を取(と)らんとす。一には我國(わがくに)の名石(めいせき)御影石(みかげいし)を以(もつ)て、故老監督(こらうかんとく)の追墓碑(ついぼひ)を作(つく)り、之(これ)を日本(にほん)聖公會(せいこうくわい)有志者(いうししや)の名(な)を以(もつ)て米國(べいこく)に贈(おく)り、本年(ほんねん)歸國(きこく)せらるゝマキム・タツカー兩監督(りやうかんとく)に乞(こ)ひて、りツチモンド市(し)ホーリーウツドの墓上(ぼじやう)に建設(けんせつ)の式(しき)を執行(しつかう)し、聊(いさゝ)か以(もつ)て先師(せんし)に對(たい)する我等(われら)の追慕(ついぼ)の赤心(せきしん)を表(へう)し、亦(ま)た彼(か)の鄕里(きやうり)と敎會(けうくわい)に向(むか)ひて彼等(かれら)が此偉人(このゐじん)を吾等(われら)に與(あた)へし恩澤(おんたく)を感謝(かんしや)するの微意(びい)を致(いた)さんと欲(ほつ)す。二には故監督(こかんとく)の傳記(でんき)を編纂(へんさん)して師(し)の盛德(せいとく)の紀念(きねん)を止(と)めんと欲(ほつ)す、蓋(けだ)し故監督(こかんとく)の生涯(せうがい)は神(かみ)の特(とく)に我(わが)聖公會(せいこうくわい)に給(たま)ひし聖徒(せいと)の模範(もはん)にして、其行蹟(そのかうせき)を文獻(ぶんけん)に保存(ほぞん)するは獨(ひと)り吾人(ごじん)の信德修養(しとくしうよう)の指針(ししん)たるのみならず、亦(また)以(もつ)て後至(こうし)の子孫(しそん)の爲(ため)に永(なが)く靈的(れいてき)生活(せいくわつ)の範(はん)を示(しめ)す所以(ゆえん)なり。唯(た)だ先師(せんし)の德(とく)の隱(かく)れたるもの餘(あま)りに多(おほ)くして、吾人(ごじん)の知(し)る所(ところ)少(すくな)きを遺憾(ゐかん)とす。幸(さいはひ)に元田博士(もとだはかせ)其他(そのた)の諸氏(しよし)數年來(すうねんらい)意(い)を茲(こゝ)に致(いた)して其資料(そのしれう)を蒐集(しうしふ)せらるゝあり、之(これ)に加(くは)ふるに編輯上(へんしうじやう)一層(そう)の努力(どりよく)を以(もつ)てせば庶希(こいねがは)くば先師(せんし)の面目(めんぼく)の一端(たん)を知(し)るに足(た)る可(べ)き傳記(でんき)を成(な)し、以(もつ)て其高風(そのかうふう)の感化(かんくわ)をして彌(いよいよ)廣(ひろ)く久(ひさ)しからしむるを得(う)べき乎(か)。思(おも)ふに此(この)二者(しや)は神學生(しんがくせい)養成(やうせい)の目的(もくてき)を以(もつ)て、既(すで)に設(もう)けられしウイリアムス監督(かんとく)奬學資金(しやうかくしきん)並(ならび)に老監督(ろうかんとく)最初(さいしよ)傳道所(でんだうしよ)なる大阪(おほさか)川口(かはぐち)基督敎會(きりすとけうくわい)紀念(きねん)會堂(くわいだう)建築(けんちく)の計畫(けいくわく)と共(とも)に、吾人(ごじん)が先師(せんし)追慕(ついぼ)の丹心(たんしん)を表(へう)するに相應(ふさは)しき事(こと)なりと信(しん)ず。追慕碑(ついぼひ)の建設(けんせつ)及(およ)び傳記出版(でんきしゆつぱん)に要(えう)する費用概略(ひようがいりやく)左(さ)の如(ごと)し、願(ねがは)くば汎(あまね)く同感(どうかん)の士(し)の賛助(さんじよ)に倚(よ)りて其目的(そのもくてき)を達(たつ)せんことを。

  追慕碑建設費豫算

一金百貳拾圓  御影石碑製作費
一金八拾圓   米國まで運賃其他雜費
 計金貳百圓也
一金參百圓   傳記編纂出版費
 合計金五百圓也
  通信及事務費  外に金貳拾圓
 傳記は醵金者に配布す

一寄附金募集(きふきんぼしふ)期日(きじつ)は本年(ほんねん)六月(がつ)三十日(にち)限(かぎり)とす。
一寄附金(きふきん)は一人(にん)五十錢(せん)以上(いじやう)とす。
一會計事務(くわいけいじむ)は凡(すべ)て大阪府(おほさかふ)西成郡(にしなりぐん)神津村(かみつむら)博愛社(はくあいしや)小橋(こばし)實之助(じつのすけ)氏(し)宛(あて)の事(こと)(振替(ふりかへ)貯金(ちよきん)口座(こうざ)大阪(おほさか)六七六番(ばん))
一其他(そのた)の事務(じむ)に關(くわん)しては大阪市(おほさかし)東區(ひがしく)南新町(みなみしんまち)二丁目(ちやうめ)三十四番地(ばんち)早川(はやかは)喜(き)四郞(らう)へ御照會(ごせうくわい)を乞(こ)ふ。

大正二年五月

京都地方部故ウイリアムス監督記念實行委員
  長老  ゼ・ゼ・チヤプマン
  同   菅 寅吉
  同   吉村大治郞
  同   早川喜四郞
  執事  阿倍 謄

北東京地方部有志者
  長老  田井正一
  同   元田作之進
  同   小林彦五郞

四、献碑式

 京都(きやうと)地方部(ちはうぶ)故(こ)監督(かんとく)紀念(きねん)實行(じつかう)委員(いゐん)の計畫(けいくわく)は、意外(いぐわい)の同情(どうじやう)と賛助(さんじよ)を得(え)て、忽(たちま)ちにして豫定(よてい)の資金(しきん)を得(う)るに至(いた)つた。追墓碑(ついぼひ)は大坂(おほさか)にて竣功(しゆんこう)し、米國(べいこく)聖公會(せいこうくわい)傳道(でんだう)會社(くわいしや)に託(たく)して、ヴアヂニヤ州(しう)リチモンド市(し)に送(おく)り、 紀元(きげん)千九百十三年(ねん)(大正(たいしやう)二年(ねん))十一月(ぐわつ)七日(か)午後(ごゞ)三時(じ)三十分(ぷん)、折(をり)から歸國中(きこくちう)の北東京(きたとうきやう)地方(ちはう)監督(かんとく)マキム、京都地方(きやうとちはう)監督(かんとく)タッカー兩師(りやうし)、及(およ)び在米(ざいべい)の小林(こばやし)長老(ちやうらう)列席(れつせき)して、最(もつと)も嚴肅(げんしゆく)に献碑式(けんぴしき)を執行(しつかう)した。左(さ)に掲(かゝ)ぐるものは、當日列席(とうじつれつせき)したる小林長老(こばやしちやうろう)の通信(つうしん)である。

『マキム監督(かんとく)の着市(ちやくし)の日取(ひどり)兔角(とかく)都合亞敷(つがうあし)く献碑(けんぴ)の式日(しきじつ)定(さだ)まりかねし由(よし)にて、余(よ)は更(さら)に献碑式(けんぴしき)について聞(き)かざりしが、突然(とつぜん)十一月(げつ)五日(か)南(みなみ)の方(かた)ワシントン市(し)(滯在(たいざい))タッカー監督(かんとく)より通信(つうしん)ありて、十一月(げつ)七日(か)(金曜(きんよう))リツチモンドに於(おい)てウィリアムス師(し)記念碑(きねんひ)献碑式(けんぴしき)ある故(ゆへ)直(たゞち)に來(きた)れとの事(こと)なり、翌(よく)木曜日(もくえうび)直(たゞち)に夜汽車(よきしや)にて南行(なんかう)、金曜日(きんようび)即(すなは)ち七日(か)朝(あさ)リツチモンドに着(つ)く、ヴアジニヤ監督(かんとく)キブソン師宅(したく)に赴(おもむ)きぬ。師(し)は其(その)兩孃(りやうじやう)と共(とも)に歡迎(かんげい)、南方州(なんぽうしう)特有(とくいう)の歡待(くわんたい)の至情(しじやう)を傾(かたむ)けられぬ。今(いま)に始(はじ)めずヴアジニア人(じん)の温情(おんじやう)快(こゝろよ)しとも快(こゝろよ)し。トイスラー氏(し)は同家(どうけ)の親戚(しんせき)にて而(し)かも半町(はんちやう)の近隣(きんりん)に住(ぢゆう)せらる。式(しき)は午後(ごご)なれば朝餐(てうさん)の後(のち)同氏宅(どうしたく)を訪(と)ふ。ト氏(し)夫妻(ふさい)及(およ)び看護婦(かんごふ)ジママン孃(じやう)及(およ)び四人(にん)の小兒(せうに)一同(どう)歡迎(くわんげい)、數日(すうじつ)の後(のち)日本(にほん)に歸(かへ)るとて祖先傳來(そせんでんらい)なる同夫人(どうふじん)の家宅(かたく)を疊(たゝ)まんと家財道具(かざいだうぐ)を函詰(はこづめ)にする最中(さいちう)なり。兔角(とかく)する中(うち)タッカー監督(かんとく)はヴアジニヤ大學(だいがく)にての演説(えんぜつ)を了(れう)して倉皇(さうくわう)として着市(ちやくし)。午餐迄(ごさんまで)暫時(ざんじ)の暇(ひま)あればとてトイスラー氏(し)は親族所有(しんぞくしよいう)の自動車(じどうしや)に我等(われら)二人(にん)を乘(の)せて市中見物(しちゆうけんぶつ)の幸(さち)を與(あた)へらる。悲哉(かなしひかな)實業主義(じつげふしゆぎ)の魔力(まりよく)今(いま)や南部(なんぶ)をも昧(ま)して、古雅閑靜(こがかんせい)なる南方紳士(なんぽうしんし)の邸宅(ていたく)市(し)なりしリツチモンドも、今(いま)や漸(やうや)くに變(へん)じて魔空(まくう)の峻屋(しゆんをく)及(およ)び煙突林立(えんとつりんりつ)の近代市(きんだいし)とはならんとす。されど舊態依然(きうたいいぜん)たる古(ふる)きリツチモンドの部分(ぶぶん)も無(な)きには非(あら)ず。トイスラー氏(し)は左視右盻(さしうへん)或(あるひ)はリー將軍(しやうぐん)が敗兵(はいへい)を率(ひき)ひて後進(こうしん)せし舊道(きうだう)を指(さ)し、或(あるひ)は奴隸時代(どれいじだい)の煙草(たばこ)の市場(しじやう)を示(しめ)し、或(あるひ)はゼームス河(かは)を渡(わた)りつゝ我等(われら)をして此(この)古河(ふるかは)に纏綿(てんめん)せる千百の歴史(れきし)を回顧(くわいこ)せしむ。 ト氏(し)が醫學校(いがくかう)卒業後(そつげふこ)開業(かいげふ)せし家(いへ)は今(いま)や主人(しゆじん)を知(し)らぬ商店(しやうてん)とは化(くわ)しぬ。歸(かへ)りて午餐(ごさん)を倶(とも)にしト氏(し)の集金(しふきん)苦心談(くしんだん)を聞(き)き、又(また)夫人(ふじん)が百年傳來(ねんでんらい)の祖先(そせん)の家(いへ)を人手(ひとで)に渡(わた)す感慨(かんがい)を耳(みみ)にして左(さ)こそと同情(どうじやう)しぬ。程(ほど)なく式場(しきじやう)出發(しゆつぱつ)の時刻(じこく)も迫(せま)ればタッカー監督(かんとく)と共(とも)にキブソン師宅(したく)に赴(おもむ)く、至(いた)ればマキム監督(かんとく)も他(た)の要務(えうむ)を了して僅(わづ)かに少時(せうじ)前(ぜん)着(ちやく)されたりとなり、馬車(ばしや)に三監督(かんとく)及(および)余(よ)の四人(にん)同乘(どうじやう)してホーリーウツド墓地(ぼち)に向(むか)ふ、先(ま)づ墓地(ぼち)チヤペルに着(ちやく)し一同(どう)法衣(はふゐ)を纏(まと)ふ。是(これ)より先(さき)キブソン監督(かんとく)は別掲(べつけい)の執行順序(しつかうじゆんじよ)を印刷(いんさつ)して之(これ)を携(たづさ)へ、チヤペルにて市(し)のボーイスカウツに與(あた)へらる(因(ちなみ)に云(い)ふ此(これ)は近來(きんらい)米國(べいこく)の諸市(しよし)に組織(そしき)さるゝ少年男子(せうねんだんし)の會(くわい)にして惡少年團(あくせうねんだん)に反(はん)して公衆(こうしゆふ)の利益(りえき)となるべき少年相應(せうねんさうおう)の善事(ぜんじ)を爲(な)すもの橫濱市(よこはまし)にも此會(このくわい)あり)數人(すうにん)の少年(せうねん)カーキー色(いろ)の會服(くわいふく)を着(ちやく)して甲斐(かひがひ)しく我等(われら)の馬車(ばしや)に隨行(づゐかう)す、チヤペルより二町餘(ちようよ)を行(ゆ)きて墓地(ぼち)に達(たつ)す。

献(けん)碑(ぴ)式(しき)  

 老師(らうし)逝き(ゆ)ましゝより春秋(しゆんしう)早(はや)くも三たび來去(らいきよ)しぬ。舊知(きうち)も既(すで)に謝(しや)し去(さ)つて殘(のこ)れる者(もの)はた幾千人(いくばくにん)ぞ。況(いはん)や師(し)の終生(しゆふせい)己(おのれ)を抹殺(まさつ)して其(その)高德密(かうとくひそ)かに尊骸(そんがい)と草葉(くさば)の下(した)に隱(かく)るゝをや。余(よ)は來會者(らいくわいしや)の極(きは)めて少數(せうすう)なるべきを豫期(よき)しぬ、圖(はか)らざりき。墓(はか)を圍(めぐ)りて立(た)てる男女(なんによ)實(じつ)に二百を數(かぞ)へ、しかも多(おほ)くはリツチモンド市(し)の代表的(だいへうてき)士女(しぢよ)ならんとは、中(なか)に老師(らうし)の令甥(れいせい)にして終(をは)り迄(まで)溢(あふ)るゝの温情(おんじやう)を以(もつ)て師(し)を看護(かんご)せしハリソン氏(し)及(および)夫人(ふじん)、令姪(れいし)ダニエル夫人(ふじん)及其(およびその)一兒(し)の外(ほか)同市(どうし)聖公會(せいこうくわい)の諸牧師(しよぼくし)十數人(すうにん)、トイスラー氏(し)キブソン監督(かんとく)の兩孃等(れうじやうとう)ありき。老師(らうし)の遺芳(ゐはう)隱(かく)れんとして能(あた)はず、早(はや)くも既(すで)に其(その)感化(かんくわ)顯(あら)はならんとしつゝあり。
 徐(おもむ)ろに傾斜(けいしや)せる芝生(しばふ)約(やく)五十坪(つぼ)ばかり、繞(めぐ)らすに枳穀(きこく)を以(もつ)てす、柏(かしは)の老樹(らうじゆ)楓(かへで)の巨幹(きよかん)生垣(いけがき)の外(そと)に散在(ざんざい)して立(た)つ、内(うち)に數個(すうこ)の墓(はか)あり、皆(みな)土(つち)を盛(も)りて長(なが)さ六尺(しやく)幅(はば)二尺(しやく)計(ばか)りなり、此(こ)れぞハリソン家(け)の先瑩(せんえい)なりける。下(した)より視(み)て左(ひだり)手(て)の高(たか)き所(ところ)の隅(すみ)なる墓(はか)こそは即(すなは)ち老師(らうし)の其(それ)なり、懷(なつ)かしき哉(かな)親愛(しんあい)なるウイリアムス師(し)此下(このした)に眠(ねむ)り給(たま)ふ余(よ)は一目(め)視(み)るより胸躍(むねをど)りぬ、胸塞(むねふさが)りぬせき來(く)る涙(なみだ)を奈何(いか)にせん。じつと忍(しの)びて打眺(うちなが)むれば今日(けふ)は白菊黄菊(しらぎくきぎく)打混(うちま)ぜて其上(そのうへ)を飾(かざ)り、前面(ぜんめん)の長(なが)さ三尺(じやく)幅(はば)二尺(しやく)厚(あつ)さ一尺(しやく)五寸(すん)計(ばか)りなる石碑(せきひ)橫(よこた)はり、冠(かむ)らすに高(たか)さ二尺(しやく)計(ばかり)なる石(いし)の十字(じ)を以(もつ)てし、碑(ひ)に老師(らうし)の姓名(せいめい)職名(しよくめい)在任(ざいにん)年月(ねんげつ)及(および)生死(せいし)の年月(ねんげつ)を刻(こく)したり。更(さら)に其(その)前面(ぜんめん)には日本(にほん)より寄贈(きそう)の石碑(せきひ)白布(はくふ)に蔽(お)はれて立(た)つ、司會者(しくわいしや)ヴアジニヤ監督(かんとく)キブソン師(し)碑(ひ)を右(みぎ)にして高所(かうしよ)より下(した)に面(めん)して立(た)ち、北東京(きたとうきやう)監督(かんとく)マキム師(し)其右(そのみぎ)に、京都(きやうと)監督(かんとく)タツカー師(し)其左(そのひだり)に余(よ)は師(し)の左(ひだり)に立(た)てり、婦人(ふじん)のクワイアー十數人(すうにん)は余等(よら)の背後(はいご)に並(なら)びぬ、ボーイスカウツ靜(しづ)かに巡(めぐ)りて、生垣(いけがき)の三方(ぱう)に立並(たちなら)べる來會者(らいくわいしや)にプログラムを配(くば)る。來會者(らいくわいしや)は言(い)ふ迄(まで)もなく黑衣(こくゐ)黑帽(こくぼう)なり。
 此日(このひ)天晴(てんは)れて雲(くも)甚(はなは)だ稀(まれ)なり、秋(あき)巳(すで)に晩(おそ)くして午下(ごか)の風(かぜ)凜(りん)たりといへども、吹(ふ)く事(こと)徐(をもむ)ろにして此(この)嚴肅(げんしゆく)の聖式(せいしき)に副(そ)ふ。散(ち)り殘(のこ)れる楓葉(ふうえふ)を漏(も)れて射(さ)し來(く)る夕日(ゆふひ)は雪(ゆき)の如(ごと)き法衣(はふゐ)に落(お)ちて眩(まぶし)きばかりなり。
 定(さだま)れる三時半(じはん)は來(きた)りぬ。キブソン師(し)嚴(おごそ)かに開會(かいくわい)の趣意(しゆい)を短(みじ)かく述(の)べて式(しき)は始(はじ)まりぬ。先(ま)づ米國(べいこく)聖公會(せいこうくわい)讃美歌(さんびか)百七十六を歌(うた)ふ(古今(ここん)聖歌集(せいかしう)百二十五)、婦人(ふじん)クワイアーの發聲(はつせい)悲愴(ひさう)にして余(よ)は唯(た)だ默(もく)しぬ。友(とも)よ我(わ)が塞(ふさ)がる胸(むね)を奈何(いか)にせん、湧(わ)き來(く)る萬斛(ばんこく)の涙(なみだ)を奈何(いか)にすべき、抑(をさ)へ抑(をさ)へて暗涙(あんるい)眼鏡(がんきやう)の裏(うら)に忍(しの)びたりとも咎(とが)め給(たま)ふまじ。讃美歌(さんびか)了(をは)りてギブソン師(し)は特(とく)に此(この)偉聖徒(ゐせいと)の模範(もはん)の爲(た)めに神(かみ)を讃(ほ)め、其聖(そのとうと)き跡(あと)を履(ふ)み得(え)ん爲(た)めに祈(いの)りぬ。恭(うやうや)しく垂(た)れたる會衆(くわいしゆ)の頭(かしら)は上(あが)りぬ。又(また)百七十九番(ばん)の讃美歌(さんびか)は歌(うた)はれぬ(古今(ここん)聖歌集(せいかしう))、司會者(しくわいしや)の適當(てきたう)なる紹介(せうかい)に次(つい)で、タッカー師(し)は日本(にほん)有志(いうし)信徒(しんと)の代表者(だいへうしや)として大略(たいりやく)左(さ)の如(ごと)く語(かた)りぬ。

タッカー監督(かんとく)の演説(えんぜつ)

 此(この)記念碑(きねんひ)は日本(にほん)聖公會(せいこうくわい)の有志(いうし)信徒(しんとう)によりて送(おく)られたり、ウイリアムス師(し)は日本(にほん)の第(だい)一監督(かんとく)にてありき。
 師(し)が初(はじ)めて日本(にほん)に傳道(でんだう)されたる時(とき)は困難(こんなん)百出(しゆつ)手(て)のくだすべきなかりしが、師(し)は言語(げんご)よりも其高尚(そのかうせう)なる生涯(せうがい)によりて之(これ)に當(あた)り、以(もつ)て基督敎(きりすとけう)の意味(いみ)を證明(しやうめい)したり。數(すう)十年(ねん)に亘(わた)れる献身(けんしん)至誠(しせい)の傳道(でんだう)の後(のち)、師(し)は實(じつ)に基督敎(きりすとけう)の反對(はんたい)大(おほひ)に減(げん)じ、却(かへつ)て日本人(にほんじん)の歡迎(くわんげい)を受(う)け、終(つひ)に日本敎會(にほんけうくわい)の設立(せつりつ)を見(み)たり、師(し)は監督(かんとく)と云(い)ふ公人(こうじん)としてよりも、個人(こじん)として日本人(にほんじん)に愛慕(あいぼ)されたる人(ひと)なり。其(その)自己(じこ)犧牲(ぎせい)其(その)聖行(せいかう)其(その)温風(をんふう)其(その)高德(かうとく)眞(しん)に欽慕(きんぼ)を禁(きん)ずる能(あた)はざらしめぬ。基督敎(きりすとけう)を知(し)る日本人(にほんじん)は皆(みな)師(し)を知(し)る、此愛(このあい)と感謝(かんしや)の意(い)を表(へう)したしとの至情(しじやう)より紀念碑(きねんひ)寄贈(きそう)を企(くはだつ)るや、幾(いく)百人(にん)の信徒(しんと)は爭(あらそ)ふて之(これ)に加(くは)はりぬ、故(ゆへ)に此碑(このひ)は啻(たゞ)に師(し)の働(はたら)きのみならず個人(こじん)の愛(あい)の徴(しるし)にして、また基督敎(きりすとけう)の活(い)ける註解(ちうかい)なり。余(よ)は其(その)代表者(だいへうしや)として此式(このしき)に列席(れつせき)を依賴(いらい)されたり云々(うんぬん)
 再(ふたた)び百七十七番(ばん)は歌(うた)はれぬ。次(つぎ)にマキム監督(かんとく)はギブソン師(し)の紹介(せうかい)によりて感慨(かんがい)無限(むげん)の口氣(こうき)もて此(か)く語(かた)られぬ。

マキム監督(かんとく)の演説(えんぜつ)

 一九一○年(ねん)此(この)リツチモンド市(し)に高尚(こうしやう)にして謙遜(けんそん)極(きはま)りなき一人(にん)の聖徒(せいと)は逝(ゆ)きぬ。靑春(せいしゆん)外國(ぐわいこく)傳道(でんだう)に志(こゝろざ)し一八五五年(ねん)ヴアジニア神學校(しんがくかう)に入(い)り、卒業後(そつげふご)支那(しな)に赴(おもむき)ぬ、其(その)四年間(ねんかん)の傳道(でんだう)は磐根(はんこん)錯節(さくせつ)の裡(り)にありき。ペレーの條約(てうやく)日本(にほん)と結(むす)ばるゝや、日本最初(にほんさいしよ)の宣敎師(せんけうし)は聖公會員(せいこうくわいゐん)にして、實(じつ)にリギンス氏(し)とウイリアムス氏(し)なりき。開國(かいこく)と稱(しやう)すと雖(いへど)も實際(じつさい)は鎖國(さこく)の樣(さま)にして宣敎(せんけう)の途(みち)は容易(やうい)に開(ひら)かれざりき。軈(やが)てリギンス氏(し)は病(やまひ)を以(もつ)て歸國(きこく)しウイリアムス氏(し)獨(ひと)り居殘(ゐのこ)りぬ。氏(し)は此(かく)て七年間(ねんかん)淋(さび)しき生涯(しやうがい)を絶東(ぜつとう)に送(おく)られぬ、其間(そのかん)或(あるひ)は米國(べいこく)の間牒(かんてふ)とまで疑(うたが)はれし事(こと)もありき、語(かた)るべき友(とも)なきのみか、日本語(にほんご)を學(まな)ぶべき良書(りやうしよ)もなく、其困難(そのこんなん)察(さつ)するだに涙(なみだ)の種(たね)なり。七年(ねん)の苦衷(くちう)奮鬪(ふんたう)氏(し)は實(じつ)に一人(にん)の改宗者(かいしうしや)を得(え)ざりしなり、此(この)七年間(ねんかん)は師(し)のゲツセマネと謂(い)うべき歟(か)。一八六六年(ねん)米國(べいこく)に歸(かへ)り支那監督(しなかんとく)に任(にん)ぜられて、揚子江(やうすかう)沿岸(えんがん)の監督(かんとく)となりしが、日本(にほん)を忘(わす)るゝこと能(あた)はず自(みづか)ら謂(こ)ふて江戸監督(えどかんとく)となれり。爾來(じらい)奮鬪(ふんとう)献身(けんしん)の働(はたら)きの結果(けつくわ)として、一人(にん)の改宗者(かいしうしや)なかりし初(はじめ)よりして、退職(たいしよく)の當時(たうじ)には堂々(だうだう)たる日本(にほん)聖公會(せいこうくわい)の建設(けんせつ)を見(み)るに至(いた)りぬ。其同情(そのどうじやう)其愛(そのあい)其温顏(そのをんがん)其献身(そのけんしん)宣(むべ)なり日本人(にほんじん)が彼(かれ)を一種(しゆ)の超人(ちやうじん)の如(ごと)くに仰(あふ)ぎし事(こと)。 余(よ)は親(した)しく悲嘆(ひたん)絶望(ぜつばう)の時(とき)に師(し)の慰籍(ゐせき)を受(う)けてギレアデの甘露(かんろ)の如(ごと)くに感(かん)じたることありき。師(し)は今(いま)や逝(ゆ)けりと雖(いへど)も數(すう)百人(にん)の活(い)ける碑文(ひぶん)を遺(のこ)しぬ、師(し)や死(し)せりと雖(いへど)も尚(な)ほ言(ものい)ふと謂(ゐ)ふべし。日米兩敎會(にちべいれうけうくわい)は日本(にほん)第(だい)一監督(かんとく)チヤンニング、ムーアー、ウイリヤムス師(し)の紀念(きねん)を永(とこし)へに尊重(そんてう)して措(を)かざるべし。此(か)くて一同(どう)使徒信經(しとしんきやう)を唱(とな)へ六百七十二(古今(ここん)聖歌集(せいかしふ)二一○)を歌(うた)ひ、ギブソン師(し)の祝福(しゆくふく)を以(もつ)て式(しき)を畢(をは)りぬ。
 式終(しきをは)るや司會者(しくわいしや)はボーイスカウツを呼(よ)んで白布(はくふ)を除(のぞ)かしむ。卷物形(まきものがた)の御影(みかげ)石碑(せきひ)は茲(ここ)に衆目(しゆふもく)の注射點(ちゆうしやてん)となりぬ。金字(きんじ)の日本文(にほんぶん)の碑銘(ひめい)は夕日(ゆうひ)に映(えい)じて眩(まばゆ)くも亦(ま)た鮮(あざや)かなり。「アヽ美(うつく)し」と人々(ひとびと)の咳(しはぶ)きは初(はじ)めて嚴(おごそ)かなる沈靜(ちんせい)を破(やぶ)りぬ。ダニエル夫人(ふじん)、リツチモンド新聞(しんぶん)及(および)サヾンチヤーマン通信社(つうしんしや)を初(はじ)め、數(すう)十人余(にんよ)を要(えう)して反譯(はんやく)を迫(せま)る、余(よ)は先(ま)づ日本語(にほんご)にて之(これ)を讀(よ)み次(つい)で能(あた)ふ丈(だ)け之(これ)を英譯(えいやく)す、突差(とつさ)の業(わざ)原文(げんぶん)に公平(こうへい)ならざりしを憾(うらみ)とす。「道(みち)を傳(つた)へて己(おのれ)を傳(つた)へず」の一節(せつ)尤(もつと)も人(ひと)を滿足(まんぞく)せしめ且(か)つ感嘆(かんたん)せしめたり。
 斯(か)くて一同(どう)は老師(らうし)の生涯(しやうがい)によりて大(だい)なる敎訓(けうくん)を受(う)けしのみならず、日本信徒(にほんしんと)の至情(しじやう)に深(ふか)く感動(かんどう)し「何等(なんら)美(うつく)しき事(こと)ぞ」と口々(くちぐち)に余(よ)に語(かた)りつゝ歸途(きと)に就(つ)きぬ。
 此時(このとき)日(ひ)は西山(せいざん)の頂(いたゞき)を摩(ま)して、殘照(ざんせう)頗(すこぶ)る明(あきらか)にはらはらと落(お)つる楓葉(もみぢ)の色(いろ)一入(しほ)紅(くれない)なりき。

式後

 式後(しきご)會衆中(くわいしゆふちゆう)より進(すす)み來(きた)りて堅(かた)く握手(あくしゆ)する者(もの)二人(にん)あり。共(とも)に二十年前(ねんぜん)ヴアジニヤ神學校(しんがくかう)に道(みち)を學(まな)びし友(とも)にして、何(いづ)れもリツチモンド市(し)の敎會(けうくわい)を牧(ぼく)す、驚喜(きやうき)禁(きん)じ難(がた)く少時(しばし)昔物語(むかしものがた)りに耽(ふけ)りぬ。歸路(きろ)ハリソン氏(し)の請(こひ)により、三監督(かんとく)と同邸(どうてい)を訪(と)ひ老師(らうし)の舊室(きうしつ)に入(い)り、師(し)が日夕(につせき)腰(こし)かけられしといふ椅子(いす)に坐(ざ)しぬ、左(さ)の肘掛(ひぢか)けには丸形(まるがた)の小(ちい)さき板(いた)を附(つ)けたり、此(これ)は師(し)が書(しよ)を載(の)せて讀(よ)まれるものなりといふ感慨(かんがい)限(かぎ)りなし。今(いま)は玉突室(たまつきしつ)となり居(を)れるこそ憾(うら)みなれ。
 ギブソン師邸(してい)に歸(かへ)れば、墓地(ぼち)にて語(かたり)し舊友(きういう)の一人(にん)スコストは來(きた)りて余(よ)を待居(まちを)れり、再(ふたゝ)び一時間(じかん)も問(と)ひつ問(と)はれつゝ一別(べつ)以來(いらい)の身(み)の上(うへ)を語(かた)り、舊友(きういう)の歴史(れきし)近状(きんじやう)をも聞(き)きぬ。余(よ)はギブソン師宅(したく)にて兩監督(りやうかんとく)と丁重(てうてう)なる饗應(けうおう)を受(う)け、マキム監督(かんとく)と同(おな)じ汽車(きしや)にて翌朝(よくてう)ニウヨークに歸(かへ)りぬ。此(こ)はマセチユセツツ州(しう)ホリヨークなるヘーウツド氏(し)の故鄕(ふるさと)にて、翌日(よくじつ)日曜日(にちえうび)セントポール敎會(けうくわい)に説敎(せつけう)の先約(せんやく)ありしが爲(ため)なり、同(どう)敎會(けうくわい)牧師(ぼくし)は早川氏(はやかはし)の同窓生(どうさうせい)なり。
 献碑式(けんひしき)に就(つい)てはギブソン監督(かんとく)の盡力(じゆんりよく)一方(かた)ならず、寄贈者(きさうしや)は深(ふか)き感謝(かんしや)の義務(ぎむ)を同師(どうし)に負(お)ふと謂(いふ)べし、同師(どうし)には余(よ)も深(ふか)く謝辭(しやじ)を述(の)べしに、「否(いな)とよ此(これ)は我等(われら)の盡(つく)すべき本分(ほんぶん)又(また)特權(とくけん)なり」との挨拶(あいさつ)ありたり。
 只(たゞ)遺憾(ゐか)なるは大藤(だいとう)長老(ちやうらう)の列席(れつせき)なかりしと、式(しき)の實況(じつきやう)の撮影(さつえい)なかりし事(こと)なり、されど墓地(ぼち)の寫眞(しやしん)は後日(ごじつ)タツカー監督(かんとく)より送(おく)らるゝなるべし。
 附言(ふげん)リツチモンドに着(ちやく)して暫時後(ざんじご)、ギブソン監督(かんとく)より式場(しきぢやう)にて何(なぬ)か言(い)ふかとありしが、プログラム既(すで)に出來上(できあが)り、且(か)つ兩監督(りやうかんとく)の演説(えんぜつ)ある事(こと)にもあり、突差(とつさ)に適當(てきたう)の辭(じ)を纏(まと)め得(う)べくもあらず故(ゆゑ)に辭(じ)しぬ』。

五、傳記編出版

京都(きやうと)地方部(ちはうぶ)故(こ)監督(かんとく)紀念(きねん)實行(じつかう)委員(ゐゐん)は、師(し)の人格(じんかく)及(および)其(その)事業(じげふ)の一端(たん)を知(し)るに足(た)る可(べ)き傳記(でんき)を出版(しゆつぱん)すべく、地方會(ちはうくわい)後(ご)直(たゞち)に此(この)事業(じげふ)に着手(ちやくしゆ)し、織間(おりま)小太郞(こたらう)氏(し)は頗(もつぱ)ら資料(しれう)蒐集(しうしふ)の任(にん)に當(あた)り、吉村(よしむら)大次郞(だいじらう)氏(し)は重要(ぢゆうえう)なる文書(ぶんしよ)飜譯(ほんやく)の勞(らう)を執(と)られ、元田(もとだ)作之進(さくのしん)氏(し)を主任(しゆにん)として、編輯(へんしふ)に力(ちから)を盡(つく)されたるが漸(やうや)く大正(たいしやう)三年(ねん)六月(ぐわつ)に至(いた)り稿成(かうな)り、こゝに本書(ほんしよ)の出版(しゆつぱん)を見(み)ることゝなつた。

 

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監督ウイリアムス師傳  終