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第30回「お話を聴く会」聖歌

この音楽ビデオ及びその内容(音楽・写真/映像・文章)を、通常の再生・視聴以外の用途(複製・レンタル・サンプリング・放送・再配布・インターネットへのアップロード等)に無断使用することを固く禁じます。

第30回お話を聴く会

2021年9月4日(土)

オンライン開催

お話:岩浅紀久氏

多くの障がい者を生み出している、中東・パレスチナ問題について

主催・ビデオ制作:
日本聖公会 東京教区 「障がい者」関連活動連絡会(障関連)


聖歌「いつくしみ深き 友なるイェスは」

原詞 What a friend we have in Jesus

作詞 Joseph Medlicott Scriven (1819-1896)

原曲 Erie

作曲 Charles Crozat Converse (1834-1918)

編曲・演奏 執事 日高馨輔

日本聖公会 聖歌集 聖歌482番

補足

この聖歌/讃美歌は世界中で、"What a friend we have in Jesus"として広く知られています。
国内では日本聖公会以外でも、日本基督教団『讃美歌』312番、日本バプテスト教会『新生讃美歌』431番、『カトリック聖歌集』672番など、多数のキリスト教派・教会で聖歌・讃美歌として歌われています。


この音楽ビデオについて

2021年9月4日、障関連主催の第30回お話を聴く会がオンライン開催された際に、この日のテーマ「多くの障がい者を生み出している、中東・パレスチナ問題について」にふさわしい曲としてこの聖歌を選び、伴奏用に、この音楽ビデオを制作しました。当日、皆で歌い、パレスチナの痛み悲しむ人たちの上に、主が慈しみと愛をもって寄り添い、慰めと癒しとをお与えくださいと祈りました。是非ご視聴ください。

音楽は、ご自身視覚障がい者でもある日高馨輔執事(障関連の元代表・チャプレン)が編曲・演奏されたものです。

映像は前奏・後奏部はガリラヤ湖、一番ではパレスチナの聖地、二番・三番部分には東エルサレム及びヨルダン川西岸地区で撮影された現代のパレスチナ問題に関連するものを用いました

この聖歌について

作詞者は、1819年9月10日にアイルランドで生まれ、カナダのオンタリオ州で活動した教師・宗教者・詩人のJoseph Medlicott Scriven(ジョセフ・M・スクライヴン)です。
1955年ごろ、カナダから遠く離れた故郷アイルランドのダブリンで暮らす母親の苦しみを癒すために、この詩を書いたと紹介されることが多いのですが、創作の経緯や年代ははっきりしていません。この詩は、一度に書かれたものではなく、母親への詩作以前に原詩があり、おそらくその後も手が加えられ、現在の詩になったと考えられています。

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スクライブンは婚約者を2度亡くし、悲しみや苦しみを抱えながらも、主イエスにすべてを委ねて清貧・奉仕・伝道の生活を送ります。彼は、教派や聖職制度を否定し、聖書に基づく福音主義的なキリスト教運動であるプリマス・ブレズレンの熱心なメンバーでした。強いキリスト教信仰を保ち、なによりも、その教えを実践しました。収入や持ち物のほとんどは、困っている人々に分け与え、身寄りのない人に寄り添いました。ポート・ホープ(オンタリオ湖北岸の町)周辺の町々で街角に立ち、汚い身なりのまま主の福音を語る姿は、町の人々や友達からも厄介者としてさげすまれるようになりますが、決して諦めませんでした。この詩には、前述の母親への癒しのメッセージとともに、詩人の半生とその信仰が深く刻まれています。

スクライヴンは60歳後半になると、心身ともに疲弊し経済的にも困窮していきます。1886年10月7日、ビュードリー(ポート・ホープの北にある町)近郊で製材所を営む友人が、衰弱しきった彼を自らの家に引き受けます。同年10月10日の朝、友人が彼の部屋を訪ねると、その姿はなく、しばらくして、製材所の水車用貯水池の中に水死体で発見されました。事故とされていますが、自殺(安楽死)の可能性も否定されていません。67歳でした。彼は詩だけでなく、さまざまなキリスト教関連の論文も遺しています。

多くの文献や記事はスクライヴンの亡くなった日を1886年8月10日として、享年66歳としています。これは1895年に出版された彼の伝記に基づいています。しかし当時の新聞記事を読む限り、同年10月10日が正しいようです。スクライブンの墓には墓碑が無かったため、しばらくして亡くなった正確な日付は忘れられてしまったものと思われます。

スクライブンの遺体は二番目の婚約者Eliza Catherine Roach(エリザ・キャサリン・ローチ)の遺体に寄り添うように葬られました。二人が復活したとき、たがいに見つめ合うことができるように。
キャサリンは英国国教徒でしたが、スクライブンとの結婚を前に、プリマス・ブレズレンへの改宗を決意します。1860年4月、まだ氷の残る冷たいライス湖(オンタリオ湖の北にある湖)でブレズレンの再洗礼(浸礼)を受けます。しかし、その後肺炎を発症し、もともと呼吸器疾患を持っていたことから、病状は悪化し、スクライヴンらの懸命の介護にもかかわらず、同年8月6日、天に召されます。

スクライヴンは自らこの詩を公表することはなく、現在知られている最初期の原稿(1850年代前後の手書きメモ)には"Pray without ceasing"(ひたすら祈り続けなさい)という名がつけられています。1865年以降、作者不詳の詩、あるいは誤った作者名で出版され、世の中に知られるようになり、その一行目の言葉"What a friend we have in Jesus"(私たちは主イエスという何と善い友に恵まれていることでしょう)がこの詩の題名として定着していきました。どのような経路・経緯で、この詩が作詞者の手を離れ出版者に渡ったのかについては、いくつかの説があるものの、はっきりしていません。

作曲者のCharles Crozat Converse(チャールズ・クローザット・コンヴァース)は1834年10月7日に、米国マサチューセッツ州のウォーレンに生まれ、1918年10月18日、ニュージャージー州ハイウッドで亡くなりました。彼はドイツのライプツィヒで音楽を学びますが、米国帰国後、法学を修め、ペンシルベニア州エリーで弁護士として働きました。その傍ら、アマチュアの作曲家として音楽活動を続けました。彼は1868年に『エリー』という曲を作曲しますが、後に作者不詳の"Pray without ceasing"の詩を知り、この詩を『エリー』の曲に載せて、1870年までに聖歌"What a friend we have in Jesus"として発表しました(コンヴァースはペンネームのKarl Redenの名でこの聖歌を発表しています)。何人かの作曲家がこの詩に曲をつけましたが、コンヴァースのこの曲が多くの人々に愛され、今日でも最も良く知られた聖歌・讃美歌の一つとなっています。

この聖歌はスクライヴンが亡くなった1886年(明治19年)には、既に日本に紹介されていたようです。「いつくしみ深き 友なるイエスは」の訳は青山学院教授の別所梅之助氏が主査を務めたプロテスタント各教派共同の讃美歌委員会によって翻訳・編纂された1931年『讃美歌』(讃美歌委員会)に掲載されたものが初出とされています。

参考文献

1. Rev, Jas. Cleland. What a Friend We Have in Jesus and Other Hymns by Joseph Scriven with a Sketch of the Auhor.W.Williamson, Publisher (Port Hope). 1895. (available as Google Books at https://static1.squarespace.com/static/5b11858da2772cf01402ee6e/t/5d39e5d9fe96670001ff42a6/1564075486316/Scriven-WhataFriend-1895.pdf)

2. Chris Fenner. What a friend we have in Jesus. Hymnology Archive. 2019. (available at https://www.hymnologyarchive.com/what-a-friend-we-have-in-jesus)

3. Ven. W.J. Scott MBE. Joseph Medlicott Scriven (Humanitarian) 1819-1886. Bicentenary Celebration 8-15th September 2019 (available at https://theunitedparish.org.uk/wp-content/uploads/2020/07/Scriven-Booklet.pdf)

4. Joseph Scriven, 1819-1886 in porthopehistory.com (available at http://porthopehistory.com/jmscriven/)

5. 城 俊幸.讃美歌『いつくしみ深き』の作詞年.西南学院大学大学院神学・人間科学研究論集.2015;5:21-41.(available at: https://ci.nii.ac.jp/naid/120006960041/)


英語歌詞と日本語訳

1. What a Friend we have in Jesus,
All our sins and griefs to bear!
What a privilege to carry
Everything to God in prayer!

Oh what peace we often forfeit,
Oh what needless pain we bear,
All because we do not carry
Ev'rything to God in prayer.

私たちは主イエスという何と善い友に恵まれていることでしょう
私たちの罪や悲しみさえも担ってくださいます
なんとすばらしい 恩寵でしょう
祈りのすべてを神さまに届けてくださいます

ああ、私たちは何と不安な日々を過ごしていることでしょう
ああ、必要もないのに何と苦しんでいることでしょう
わたしたちだけで祈っても
すべてが神さまに届くわけではないからです

2. Have we trials and temptations?
Is there trouble anywhere?
We should never be discouraged;
Take it to the Lord in prayer.

Can we find a friend so faithful
Who will all our sorrows share?
Jesus knows our every weakness;
Take it to the Lord in prayer

試練や誘惑にあっていませんか
いつも悩んでいませんか?
決して失望してはなりません
祈りのうちに主に委ねましょう

これほど誠実な友に出会えるでしょうか
私たちの悲しみさえも分かち合ってくださるのです
主イエスは私たちの弱さをすべてご存知です
祈りのうちに主に委ねましょう

3. Are we weak and heavy-laden,
Cumbered with a load of care?
Precious Savior, still our refuge,-
Take it to the Lord in prayer!

Do thy friends despise, forsake you?
Take it to the Lord in prayer!
In His arms He'll take and shield thee;
Thou wilt find a solace there.

力なく重荷を負っていませんか、
心にかかる悲しみに悩まされていませんか?
尊い救い主は常にわたしたちの隠れ場
祈りのうちに主に委ねましょう

<以下は古英語が用いられています>
汝は、人にさげすまれ、見捨てられてはいないか
祈りのうちに主に委ねよ
主はみ腕に、汝を導き守る
汝はそこで慰めを見出すであろう

「障がい者」関連活動連絡会実務委員訳