大阪市と和歌山市のほぼ中間にある岸和田市は、風情たっぷりの古い家並みを今に残す閑静な城下町です。
そんな町並みの一角に、緑の木立に囲まれてひっそりと建っているのがわたしたち日本聖公会岸和田復活教会です。
教会が設立されて100年あまり、信徒数およそ100人の小さな群れですが、その年齢層は中・高・大学生から青年、壮年、熟年、お年寄りまでと幅広く、もの静かで家族的な雰囲気がわたしたちの特徴といえるでしょう。
日曜ともなれば、そんな兄弟姉妹たちが集いあい、感謝と賛美に満ちた礼拝を守り続けています。□岸和田復活教会の歩み
1898(明治31)年10月 堺・聖テモテ教会山田祐師は、岸和田市在住の聖公会信徒数名を訪問し、互いに協力して伝道活動に励もうと申し合わせた。 1900(明治33)年 チャニング・M・ウィリアムズ監督(=主教)の管理の下、伝道師三木八十五郎が定住伝道を開始。 1901(明治34)年6月 大阪府知事の許可を得て岸和田市本町に民家を用いて教会を設立し、これを「日本聖公会岸和田教会」と称した。 1908(明治41)年7月 チャニング・M・ウィリアムズ監督により「日本聖公会岸和田聖保羅(パウロ)教会」と命名され、教会組織が成立。 1921(大正10)年 聖堂を新築竣工。 1942(昭和17)年 宗教団体法による他教派との合同を拒んだ結果、単立教会としてのみ存続することを余儀なくされ、教会名も「岸和田復活教会」と改称し、同年、現在地に移転。 1945(昭和20)年 終戦を期に日本聖公会の組織が再編され、当教会も再びこれに加わり、名称も「日本聖公会岸和田復活教会」となる。 1952(昭和27)年12月8日 宗教法人法に基づく教会の認可を受け「宗教法人・日本聖公会岸和田復活教会」となる。 1988(昭和63)年11月 小礼拝堂を新築竣工。 2001(平成13)年11月18日 創立100周年記念感謝礼拝開催の恵みにあずかる。 □歴代伝道師・牧師の推移
1901(明治34)6月-1903(明治36)11月 伝道師 ザカリヤ三木八十五郎 1918.1.13逝去 1903(明治36)5月-1937(昭和12)9月 長老 チャニング菅 寅吉 1937.9.4逝去 1937(昭和12.)10月-1938(昭和13)3月 長老 J.J.チャプマン(管理) 1946.9.9逝去 1938(昭和13)4月-1943(昭和16)3月 長老 岡嶋松太郎 1974.2.2逝去 1943(昭和16)4月-1945(昭和20)8月 長老 ペテロ猿橋二郎 1945.8.4逝去 1946(昭和21)11月-1974(昭和49)3月 司祭 エノク水谷修三 1997.1.5逝去 1974(昭和49)4月-2001(平成13)3月 司祭 アンデレ野々目晃三 2001(平成13)4月- 司祭 マタイ西川征士 □C.M.ウイリアムズ主教最後の巡回教会…、それは岸和田復活教会でした。
以下『日本基督教の黎明(老監督ウイリアムズ伝記)』(著:元田作之進・大正3年11月)(発行:立教出版会・昭和45年9月15日)から転載させていただきました(漢字・仮名づかいは現代風に改めてあります)。
明治41年3月第4土曜日、師は例により岸和田へ赴かれたるが、是ぞ師が最終の巡回であった。この日は岸和田巡回の定日であったので、同地の菅牧師はいつもの如く、師を停車場に出迎えしに、意外にも師は車掌に助けられ下車せしかば、何か異変にてもありしことかと、急ぎ馳せて手を取り参らせしに、師は菅氏を見らるるや、菅よ余は再び岸和田に来る能うまじと云い、非常に失望の体なりしゆえ、途中病気の起りしかと尋ぬれば、否少し疲労せしのみと云う。人車にて菅氏宅に至りし後も、気分勝れざるようなれば、菅氏家族は大いに心痛された。然るに夕刻に至りて機嫌平常に復し、いつもの如く子供らと戯れたれば、一同愁眉を開き、徐(おもむろ)に途中の様子を尋ねたるに、この日梅田駅にて下車の際、烈しく転倒して一時は人事不省に陥った。駅員に助けられ休息の後、人車にて難波駅に至り切符を求めんとせしに、如何にしけん、何処に行くのか思い出す能わず、駅夫や巡査が来て親切に沿線の駅名を順序列挙されしも、なお思い出さず当惑せる折柄、堺聖提摩太(テモテ)教会の一青年来合わせて、監督さん岸和田にお越しですか、と声を掛けられたので、漸く行く先を知ったという事である。師は仔細を語り終わり、痛く落胆の態にて、余は老いたり、余の為には楽しきホームの岸和田に、再び来る能うまじと嘆じられたそうである。ああ師は老い給えり、衰え給えり。血気湧くが如き少壮の当年より、八十路の高齢に達するまで、五十年の生涯を我が国に献げ、牧会に伝道に教育に、其の心血を注ぎ尽くし、其の体力を使い枯らして、かくも老いたまい、衰え給うた。思うに、岸和田最後巡回の此の事ありて、師はひそかに、最早無用為すなきの老体となりたれば、日本に在りて教友を煩わさんよりは、むしろ廃残の老躯を故国の親戚に託しに行くは、今や我が身の取るべき道なりとし、かねて決せる帰国のその日を、早むるに至ったであろう。とあれ斯くの如くにして、師の牧会伝道の任務は、茲(ここ)に其の終局を結んだ。
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