月報巻頭言

13      わたしたちと、あさがおのさく教会(2000.9)
ステパノ教会に赴任してきて丁度一年が経ちました。あっと言う間の一年を振り返って出てくる言葉は感謝です。この一年を振り返ってみてみなさんと教会との関係はどうだったでしょうか。
 あさがおの咲くきょうかいを外から眺めていて、地域の人々にとって教会とは何だろうかといつも考えます。教会に集い、信仰生活をしている私たちにとって教会とは何でしょうか。教会は日常から離れたところにあるとも言えるし日常のただ中にあるとも言えます。
 聖公会がその最初から大事にしているものの一つに祈祷書があります。私たちの日常生活の中で祈祷書がどれほど重要な位置をしめているのかは分かりませんが、祈祷書自身は毎日の私達の暮らしを意識して作られています。日ごとの祈り、聖書日課、また人生の折々の場面に用いられる式文(誕生、洗礼、堅信、結婚、病、葬送)が載せられています。私達の生活の中でおこるすべての事柄で祈祷書に載っていないからといってそれが信仰生活と関係ないというものは一つもありません。
 主日(日曜日)ごとに私たちは「み子イエス・キリストの体である教会(感謝聖別)」ということを思い起こします。教会は今を生きるイエス・キリストの肉体を持った体であり、それを構成しているのは私たち一人ひとりです。2000年前にイエスさまの生き様を通して起こった神の国のふしぎなわざが、今もこの世界におこっていることの証人となること、それが教会の存在理由です。
 聖餐式の最後で「聖霊によってわたしたちをこの世に遣わし、み旨を行う者とならせてください」と祈る時、「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣く(ローマ12:15)」生き方をこれからも続けていこうという再確認を私たちはしているのではないでしょうか。クリスチャンがクリスチャンであるということをあえて言うならば、それは過去・現在・未来という時間の流れの中で2000年前に強烈なエネルギーを発して生きたイエスという人間と私たちがこころとからだを共振させ、揺さぶられイエス・キリストが私たちの内に生き、私たちがイエス・キリスト内に生きる生き様を通して、いやされたり、生き方をかえさせられたり、励まされたりする人々のことではないでしょうか。
 私にとっての二年目が始まります。イエス・キリストに生かされる私たちでありますように、祈り、仕え、交わりを深めてまいりましょう。

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Last updated: 2002/2/17

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