7月18日から21日にかけて、沖縄に行ってきました。ジュビリー2000沖縄国際会議に出席するため、そして自転車キャンペーンをしているロジャーさん達のお世話係をするために。
沖縄に到着するとすぐ、鹿児島から那覇港に船で来る、ロジャーさん一行を出迎えるため那覇港に向かいました。沖縄教区の人々、そして沢山の報道陣がいました。私の居た4日間はそれこそ毎日、新聞やテレビでジュビリー2000の会議の事が取り上げられ、ともすると債務帳消しの事が日本全国に知れ渡っているかの錯覚を起こしそうでした。
会議には海外から約70名の方々が来られ、それぞれの地元で債務が引き起こす問題に取り組んでおられる事を話されました。特に印象に残った事は、ジュビリー英国が中心的にやっている印象を受けるジュビリー2000の運動も、実は多様な側面があるという事です。
特にジュビリー南は債務国が中心になっている集まりです。現に債務のために不当な抑圧を受けている人々の側の主張は、おのずと債権側の国の人々とは意見を異にします。日本は債権国側に入りますので、いわゆる南と言われるアフリカ、アジアの人々と真に連帯していく事の困難さも感じました。
沖縄での体験を振り返るにはあまりにも時間がなさ過ぎますので、あらためて報告させて頂きます。最後に、帰りにお土産物屋さんで会った沖縄の方のことを書きたいと思います。この方は店の店員さんで、ジュビリー2000のことをテレビやまたご自分でも勉強されておられた方で、私達の活動を大変よく理解して下さいました。この方にとって巨大な国が力のない国にお金をつぎ込んで、その国をコントロールしている事と、振興策の名の下に沖縄に重荷が押し付けられている事がつながっていました。
しかし実際つながりは断たれ、一つ一つの抵抗はバラバラにされていることを沖縄にいて感じました。イエス様は隔ての中垣を破られたのではなかったでしょうか。
不和や争い、分裂。それらが和解へと向かうための道具となれますようにと、沖縄の風を感じながら帰ってきました。
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