ヨセフは夢でイエスの誕生を知らされ、イエスはインマヌエル(神は我々と共におられる)と呼ばれると言うお告げを聞いた。ともにいます神とはどのような神なのだろうか。聖書はわたし達に神の名を示す。「私はある(I am)」、これは出エジプト記3章14節に示されている神の名前である。神は存在そのものであり、この神に従うと言う事は私たちが神の似姿に創造されたユニークな存在として自らを受け入れることである。互いに、神に創られた完全なる存在として受け入れあい尊敬し合える時、そこに神の国は実現する。
しかしながら人の存在や固有の尊厳はたぶんに政治的社会的宗教的、道徳的な規範などによっておおいかぶされ、ないがしろにされている。「私はある」といわれる神がともにおられることを信じると言う事は、神の似姿に想像された自分を信じるということでもある。それは神と同じように「私はある」と叫び続けることでもある。そしてそのことは「私はある」ということを否定するものとの闘いをも意味する。もしも「わたしはわたし」であると言うメッセージを聞けたならば、そこはまさに主の平和でみちた神の国である。
イエスの誕生と再臨を待つ季節、降臨節(アドヴェント)。この季節、ヨセフが神の声に耳を傾けたように、自分の心の叫びに耳を傾け、自分を解き放つこと、他者の声に静かに耳を傾け、豊かさの海へ漕ぎ出すこと、を大切にしたい。シャローム
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