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福島の子どもたちへ、今すべき放射線教育

福島で暮らしている子どもたちの将来について、差別を受けていると思われる言葉を聞き胸が痛むことがあります。初めて聞いたのは、震災後1~2年経過した頃でした。ある女子高校生のスピーチでの『私は福島県の人としか結婚出来ないと思う』との言葉に驚き、彼女のことをとても不憫に思ったのを鮮明に覚えています。その後年月の経過につれ、そのような将来への不安の声は大きくなっているように感じます。

福島の食 発信したい
福島の食 発信したい

朝日新聞2015年6月25日~28日に掲載されていた連載『いま子どもたちは―こうふく通信―』では、福島県の高校生が原発事故に向き合い、乗り越えようとしている姿が追跡されています。
全国12ヵ所で広がっている情報誌「食べる通信」では、各地自慢の食材と作り手の人となりを伝え、生産者と消費者を物語で繋いでいます。この情報誌を福島県内の高校生が取材し記事を書き、食材と共に定期購読者に年4回送る企画がスタートしました。

この研修を手掛けた東京電力の元執行役員で原発事故前に退社した半谷栄寿代表理事は、「取り返しのつかない事故を起こした責任がある。(参加した生徒の)後輩が憧れ、後に続くような活動にしたい」と話しています。

原発事故 知れば向き合える
原発事故 知れば向き合える

編集部員の一人である高校生の西村知真さん(16)は、本当のことを知りたいという想いから、原発事故について学ぶ市民団体「わかりやすいプロジェクト 国会事故調編」に加わり、国会事故調査委員会の報告書などをもとにした学習や情報発信の活動を始めました。又別の法人が主催するベラルーシへの研修旅行に応募し、チェルノブイリの原発事故後の現地も見てきました。ベラルーシでは、放射能の知識をもとに淡々と語る市民と出会い、どこかタブー視しているように感じた福島と違って正面から向き合っているように感じたそうです。

差別はねのける知識
差別はねのける知識

福島民友2015年6月9日の掲載記事から、高校などを訪問して放射線の授業も行っている東大医科学研究所の坪倉正治医師によると「この4年間、生徒たちから寄せられる放射線に関する質問はほとんど変わっていない。一部には大きな不安を抱えたままの生徒もいる。―将来、県外の人から『福島から来たの?』と差別的な目を向けられた際、それをはねのける強い子ならいいが、そういう見られ方をされて一歩引いてしまう子もいる。その場合、子どもが自ら、将来の可能性や未来の希望を閉ざしてしまうような事態が起こりうる。福島の放射線量の現状を踏まえれば、放射線が直接DNA(遺伝子)を傷つける脅威より、差別的な体験により子どもたちが被る脅威の方がよほど大きいと考える。放射線教育は現状では、外部からの誤った見方に対してしっかり説明できる知識を養い、自分自身のルーツやここでの生活を肯定的にとらえてもらうための情報を提供する教育であるべきだと思う」と述べています。

又、被災した岩手、宮城、福島の3県では社会性の高い活動に自ら取り組む高校生が目立つとも報道されています。原発事故を目の当たりにした福島の子どもたちのために学びの機会を増やし、心の自由を失わず社会の中で自分を活かせる大人になって貰えたらと思います。

いっしょに歩こう!プロジェクト・パートⅡ  新たな歩みを始めました

いっしょに歩こう!プロジェクト・パートⅡ
新たな歩みを始めました

これまで「だいじに・東北」が担って来られた、がん小屋仮設に住まう人々への支援活動を、「支援センター・しんち がん小屋」として、6月から原発問題プロジェクトが引き継いでいます。

福島県相馬郡新地町谷地小屋にあった「被災者支援センター・しんち」を5月末で閉じ、同所から車で20分ほどの、杉目がんご屋仮設に支援センターを移しての再出発です。と申しましても、これまで通り松本普さんは常駐しておりますし、高木栄子さんや秦純子さんも定期的に支援センターを訪れ、水曜カフェや居宅訪問などの 諸活動を支えてくれています。

新・支援センターしんち開所にあたって/松本 普

「だいじに東北」閉所式(5月16日)では、挨拶に立った各界より、旧支援センターとの4年余に亘る歩みへの謝意と共に、《 明日への更なる協働》の熱意が表明されていました。

既にこの6月から始動している「新・支援センターしんち」の立ち位置は本質的にも実態的にも4年前のあの大震災直後から変わりようがありません。今日もセンターに集う人びとの想いに心を砕き、耳を傾けつづけること。「これからもいっしょに歩いて!!だいじにし て!!」と言う声なき声と、その想いに・・・・・・。

~支援センター しんち・がん小屋開所の集い~

6月10日 午前10:00から、開所の集いが、がんご屋仮設住宅の集会室で行われました。東北教区主教ご夫妻を初め、横浜、山形、福島からそれぞれ、中原兄、小貫兄、矢代兄も出席してくださいました。

詳しい様子は、支援センター・しんち がん小屋のブログをご覧ください。

 

 

 

 

試行錯誤の放射線教育

(2015年6月3日福島民友新聞掲載記事より)


福島県内の小中学校で行われている放射線教育が、学校側もまだ方法が未確立であることと、子どもたちの関心の低さにより試行錯誤しています。充分な教育が受けられらなければ、子どもたちが将来進学や就職で県外に出た際に、放射線にまつわることで様々な問題が生まれてくるであろうことが予想されます。
原発事故から5年目となり、年月の経過と共に放射能の問題に対する関心が薄くなっていることは、自分自身はもちろん、ここで暮らす人々の様子からも常に感じています。

私も最初の一年目は不安でたまらず、窓も開けず、外出せざるを得ない時にはマスクも必ずしていました。
スーパーで買う食材は、福島県産を避けるのはもちろん、北関東や山形県の米沢市も線量が高いとのことだったので常に注意深く確認し購入していました。
しかし、人間というのは目に見えない放射能への不安を持ち続ける事が耐えられないようです。現実には事故後から空間線量もそれほど下がっていないにも関わらず、今ではほぼ原発事故前のような生活を心の隅に不安を残しながら送ってしまっています。

放射線の影響は、身体だけではなく心の方も、年齢が若いほど大きいのかもしれません。将来への不安や差別とこれからずっと付き合っていかなくてはならない子どもたちへ、質の高い正しい放射線への教育を与えることはとても大切です。
もっと言えば、親が放射線への正しい向き合い方を見せることで、子どもも関心を持つようになるのではと思います。

例えば、日本は世界で一番レントゲンをとるそうです。2015年6月16日朝日新聞掲載記事によると日本人の医療被ばくは先進国の平均の2倍。分子生物学者の河田昌東氏によると日本ではレントゲンの取りすぎで年間2000人白血病になっているとのことです。
その様な知識があると、自分を守る選択の自由が生まれてきます。

不安だからこそ本当の事を知り、自分の意志と行動で主体的に生きることが大切だと放射線の問題を通し日々感じています。

遊び場安全 福島に笑顔

(2015年6月5日日本経済新聞掲載記事より) 遊び場安全 福島に笑顔 先週の土曜日にプロジェクトオフィスがある郡山聖ペテロ聖パウロ教会のセントポール会館で郡山の幼稚園の子ども達、卒園生、そしてその保護者を対象にしたリフレッシュ・プログラムの説明会に参加する機会がありました。

その日の朝の郡山は重ね着をしようかと思うほどの肌寒い日で、皆さんが聞きに来てくれるか正直心配ではありましたが、開始時刻の午前10時近くになると、続々とお母さん達がお子さんを連れてやってきて、最終的には用意した椅子が足りなくなるくらい多くの人が足を運んでくれました。外の寒さはどこへいったのかと思うくらい、会場は熱気に包まれていたように思います。

子ども達が思いっきり外で遊び、自然と触れ合う機会に溢れた夏の島での「南の島で夏休み」。

自然の中での子ども達同士が共同生活を通して、人との出会いと繋がりの大切さを感じてもらう「リフレッシュキャンプ in 岐阜

また、家族の一員として迎え、いつもとは違う気候・文化に触れる中での多くの人との出会いがいっぱいの「沖縄でホームステイ」

これらのどのプログラムも主催者や支援をしている方々の、福島に住む子ども達、そして保護者への温かい想いが詰まった説明会でした。おそらく、外の寒さを途中から感じなくなったのはこの人が人を思う気持ち、また親が子を思う熱い気持ちのためであったように思います。

プロジェクトに少しずつですが関わり始めた自分にとって、人の出会いの尊さ、人が人を思いやる気持ちの温かさ、そして思い続けることの大切さに触れさせてもらう貴重な時間でありました。また同時に、これからもこの郡山の地で関わり続けていこうとしている自分の気持ち、心の準備の状態を改めて尋ねられたように思います。(スタッフ/佐々木)

日常の生活

放射線を計測する機械がある。手のひらにのる大きさで、ボタンを押してスイッチを入れ、数字が出る窓を何分か注視すると測定された放射線の数値が出る、という手軽で便利な仕組みになっている。測った放射線の数値が高いとか低いとかの基準は毎時0.23マイクロシーベルトという数値である(国は、1年間に受ける被ばく線量を1ミリシーベルト以下とすることと定めています。この年間1ミリシーベルトを1時間当たりに換算し、それに自然被ばく量を加えた数値が毎時0.23マイクロシーベルトとされています。この数値は、除染実施計画を策定する基準にもなっています。ただ、この数値の算出方法や基準値そのものに対しては様々な意見があり、これ以下であれば、必ずしも安全であるということは言えません)。
測定器の小窓に出た数値がこれより高いと不安になり、低いとまあほっとするという感じである。自分の生活している環境の放射線の量を測るのは正直なところ落ち込みます。それは高い数値がでると不安になるからであるし、ここで生きている者だからだと思う。じゃあ測らなければいいのにと思いつつも、やはり知りたいという気持ちが勝ってしまい、ついつい測ってしまう。数値が0.23より低いとニヤリと安堵し、数値が高いと“この道を歩いて大丈夫だろうか?”“ここにいて安全なのだろうか?”“健康に影響はいつ来るんだろうか?”といった自分自身への質問の嵐が来る。毎回いつもこんな調子である。どうしてこうなるのが判っていていながら知りたいという気持ちが勝ってしまうのだろう?
たぶん不安になるのはここで生きている者だから、そして知りたいという気持ちが勝ってしまうのはここで生きていく者だからだと思う。

たまたま測った2015年6月2日の郡山オフィスの周辺の線量の測定結果です。

◆オフィスの中・・・・・・毎時0.13マイクロシーベルト

◆セントポール会館の中・・・・・・毎時0.18マイクロシーベルト

◆オフィスの外の花壇・・・・・・毎時0.32マイクロシーベルト

◆オフィスの外のアスファルトの上・・・・・・毎時0.78マイクロシーベルト

◆オフィスの外の垣根・・・・・・毎時0.32マイクロシーベルト

◆オフィスへ向かう道の途中・・・・・・毎時0.26マイクロシーベルト

◆その手前の交差点・・・・・・毎時0.31マイクロシーベルト

(スタッフ/佐々木)

 

セシウム8割 土壌に ー降雨時の流出防止課題ー

(2015年5月29日福島民報新聞掲載記事より)

セシウム8割 土壌にー降雨時の流出防止課題ー
セシウム8割 土壌にー降雨時の流出防止課題ー

ここに記載されている情報を少し整理してみましょう。

1.原発事故により森林に降った放射性セシウムの約8割が今現在は地表から約5センチの土の中にあり、2割弱が落ち葉に含まれていた(針葉樹・落葉樹も同様の傾向)。
2.以前は葉や枝、木の表面に付いていたが、今現在は落ち葉に伴い土の中に移行している。
3.放射性物質を含んだ土が川に流れ込まないための対策として間伐や土砂流出防止柵の設置などの「ふくしま森林再生事業」の強化する。
4.森林の空間線量は平成23年度に比べると平成26年度は57%減少している(0.91マイクロシーベルトから0.39マイクロシーベルト)。

さて、事故により拡散した放射性物質が森林の木々から土の中に移っているという事、放射性物質対策、森林整備として汚染された土が川に流れ込まないようなどの対策がきちんとなされているという事、そして空間線量は減少傾向にあるという事は様々な困難な状況を抱える中において朗報というか、少しほっとする、また行政の放射線に対する取り組みが見て取れる情報であります。しかし、放射性物質が地表から5センチの土の中にあるという事は、誰もそれを埋めた訳ではなく、落ち葉が時間をかけて土となり樹木の生えている土壌になりつつあるという事であると思うのです。
ここで大変興味深い、というよりも不安になる研究結果があります。それはチェルノブイリ原発事故におけるウクライナのジトーミル州で測定された松材の年輪の中の放射能測定値の変化であります。(※下記資料参照)驚くべきことは事故後の放射能の値が7年後では約10倍になっているということです。この結果が意味するのは、「汚染の循環」という事をこの研究結果は述べています。汚染は初め、放射性物質が葉・枝・樹皮に付着することで始まります。それが時間の経過と共に枝葉から土壌に移る。これは放射性物質が付着した落ち葉が腐葉土となるからです。そして、さらなる時間の経過を経て根からの吸収が始まります。根から吸収された放射性物質は幹、枝、葉へと運ばれていき、そして葉が落ち、また土となる、その繰り返しが続く、それが「汚染の循環」である、と述べています。
通常、時間の経過というのは傷ついた人を癒したり、また時には笑顔にしてくれるものであると思います。でも、原発事故による放射線による被害そして不安というのは事故当時だけではなく、時間の経過と共に、また自然界の中の循環という形でゆっくりとしかし確実に私たちに迫ってくる、そんな気がしてなりません。(スタッフ/佐々木)

▼※河田昌東氏による資料より(河田昌東氏/名古屋大学理学部で研究生活をしていた1970 年代、四日市ぜんそくの調査に当たったことを機に、各地の公害問題に科学者の立場から取り組んできた。チェルノブイリ原発事故の後は、ウクライナの被災地で、医療支援や農地の再生などさまざまな活動を続けてきた。近年は、放射能汚染からウクライナで利用されていない広大な農地の再生に取り組み、ナタネを植えて、バイオディーゼル燃料を作るプロジェクトを進めている。そして「チェルノブイリで学んだことを日本に還元したい」という強い思いから、いまは福島の農業再生のお手伝いも始めている。)

 

セントポール幼稚園「花の日」

セントポール幼稚園では、子供たちから「花の日」の感謝の気持ちがいっぱい詰まった綺麗な花束をいただきました。(スタッフ/佐々木)


※「花の日」とは・・・6月の第2週目の聖日は、日本基督教団の教会暦において定められている、花の日であり、子どもの日です。
1856年、アメリカのマサチューセッツ州チュルシイ市にある教会のレオナルド牧師の提案で、6月のある日曜日を定めて少年少女のために特別のプログラムを作り、子ども中心の集会を行ったのがはじまりです。1866年には、アメリカのメソジスト教会が年会において6月第2日曜日を「子どもの日」として教会行事に加えることを決議しました。この日は少年少女たちの宗教教育を強調する日であったそうです。同時に、一年中で最も多くの花の咲く季節であることから、信者は各々花を持ち寄って教会堂を飾り、礼拝後、その花を子どもたちに持たせて病院を訪問させ、病人を見舞い、また警察(派出所)や各社会施設を慰問したのだそうです。この行いは、子どもたちに奉仕と感謝を実地に学ばせるためのものでもありました。このように最初は、子どものために計画されたものが、花の日と呼ばれるようになったのです。それため、花の日は同時に子供の日として日本の教会において礼拝が守られ、定められた教会の暦となって定着していきました。

住民不在で進む帰還困難ー賠償打ち切りと連動 インフラ不備ー

(2015年5月26日中日新聞掲載記事より)
福島第一原発事故に起因する避難住民の帰還を加速しようという動きが強まっている。政府は、「お試し」帰宅などで帰還を促し、自民党は2018年3月で賠償を一律に打ち切ることを提言した。住民は、放射線量だけでなく、元の水準にはほど遠い生活インフラに不安を募らせている。戻りたくても戻れない状況があるのに、賠償の打ち切りに連動する避難指示解除が、住民の意向を無視して進められようとしている。

「住民不在で進む帰還推進」
「住民不在で進む帰還推進」

仮設住宅では現在高齢者など立場の弱い人が残らざるをえない状況となっていますが、このままだと避難指示解除となった場所でも似たような現象が起こってしまうのではないかと思います。
絶えず放射線の不安を抱えながら生活することに加えて、インフラの不備など復興にはほど遠く、そのストレスは耐えられるものではない事が想像出来ます。住民の納得できる避難指示解除のルールを定める必要性を感じます。

「東電・政府 津波対策怠る」IAEA報告書 福島事故を総括

(2015年5月25日中日新聞掲載記事より)
国際原子力機関(IAEA)が東京電力福島原発事故を総括し、加盟国に配布した最終報告書の全容が24日、判明した。
東電や日本政府の規制当局は大津波が第一原発を襲う危険を認識していたにもかかわらず実効的な対策を怠り、IAEAの勧告に基づいた安全評価も不十分だったと厳しく批判した。

「東電・政府 津波対策怠る」
「東電・政府 津波対策怠る」

IAEAの批判から、日本は広島・長崎での被爆国でありながら背景に原発は安全との思い込みがあり、福島原発事故を引き起こしてしまったことがわかります。原発の問題が風化してしまう前に、価値観を変える必要があるのだと思います。
犠牲となってしまった福島の線量の高い土地で暮らす人たちは、悲しみに負けないよう平凡を取り戻しながら、でも忘れるわけにはいかない放射能と共に生活しています。

指定廃棄物 行き場迷走

(2015年5月24日中日新聞掲載記事より)
東京電力福島第一原発事故で発生した放射性物質を含む指定廃棄物の処理問題が迷走している。処分場建設のめどが立たず、国は事故当事者の東電の敷地を候補地にしたり、最終処分場の名称を「長期管理施設」に変えるなど、打開策を打ち出すが、逆に候補地となった自治体や住民は不信を深めている。

指定廃棄物 行き場迷走
指定廃棄物 行き場迷走

郡山では、子どもが遊ぶ自宅の庭の下に除染で取り除いた汚染土が埋まっている家が沢山あります。又、道路にはビニールで覆われた行き場の定まらない汚染土があちこちに置いてあります。先日、駐車場に置かれた汚染土の下をガイガーカウンターで計測したところ、1.57μ㏜/hあり目を疑いました。
大地に根差して生きていくのが人間の本来の生き方であるのに、その本能を妨げられて生活している不自由さを、時間の経過と共に慣れてしまいながら、時々その恐ろしさに気がつく自分がいます。