カテゴリー別アーカイブ: スタッフから

福島第一原発処理費用2倍

福島第一原発処理費用2倍に増加
国の貸し出し枠拡大の方針

経済産業省は、福島原発事故の賠償や廃炉等の処理費用の合計が21兆5,000億円に膨らむと試算しました。廃炉作業の長期化と農業分野に対する補償の大幅な増加が見込まれることも原因の一つです。これまでの試算11兆円から約2倍に膨らむことになります。そこで政府は東京電力の財政を支えるために、東電に貸し出すことのできる無利子融資枠を、現在の9兆円から14兆円に拡大する方針を打ち出しました。追加された費用は、東電や大手電力会社が持つ送電線の使用料に上乗せし、電気料金として利用者から集める方針で、国民の負担の増大は避けられません。この試算は、経産省の委員会や自民党の調査会に示されることになっています。

原子力規制委員会は11月に、「40年運転ルール」を無視して、運転開始から40年を超える福井県美浜町の関西電力美浜原発3号機の運転延長を認可しました。老朽化した原発の運転延長は、福井県高浜町の関西電力高浜原発1、2号機に続き3基目になります。これ以外にも、日本国内の原発のうち運転年数40年を超える原発が7基あり、30年を超えるものになると16基あります。このままでは、このような老朽化した原発の再稼働が加速され、万一事故が起きた場合には、私たち国民にそのつけを負わせる機構ができてしまいます。
賠償、除染、廃炉・・・、どれを取っても先の見えないものばかりです。このような状況を許していれば、いのちが守られないばかりか、国の財政破たんにもつながりかねません。

ドイツは2022年までの原発全廃を決定し、欧州を中心に脱原発の動きが進んでいます。台湾は2025年に「原発ゼロ」にすることを決めています。両者とも、福島原発の事故を教訓にしたからです。また、人々の声に耳を傾けた結果でもあります。
日本はなぜ、脱原発に向かえないのでしょうか。膨大な処理経費の問題だけでなく、さまざまな予測のできないことばかりが続くこの経験を通して、当事国であるからこそ率先して原発の全廃を目ざし、さらに世界に脱原発を促すのが、甚大な犠牲を出した日本のあるべき姿なのではないでしょうか。(2016年12月8日)

支援センター・しんちより ~「原発被災者」の声なき声~

「支援センター・しんち」は福島県相馬郡新地町にあり、東日本大震災以来、ここで、さまざまな活動をしています。8カ所あった仮設住宅が2カ所に集約され、また不通となっていた常磐線の運転再開…と確かな「復興」が進む一方、「がんご屋仮設住宅」では、6年目の避難生活を余儀なくされている「原発被災者」の声なき声が聴こえてきます。

深刻な放射能汚染は安全かつ確実に除去されなければなりません。樹木や土壌、建造物や道路は伐採や表土除去、洗浄、埋立などで除染し、汚染濃度は下げられまする。しかし、気流や海流、気象変動や自然界の生態系を前に、人の成し得る術など「完全かつ確実に」どころか、決して「安全で安心」ではありません。大自然や生態系を前に、「困難・制限・準備」など、人のつくる区域制限は通用しません。バリケードや立て看板・広告板などで、生息する動植物の繁殖・生死・排泄・移動移住の自由を阻止制限することなど不可能なのです。

新地町表
福島県自然保護協会HP(ホームページ)より引用

国(環境省)と民間(福島県自然保護協会)が調査した同じ場所での結果に、何と大きな差違が出るのでしょう(表)。大切なのは双方の事実を公開し、比較検証する中で隠された真実を知る(知らせる)ことです。しかし現状は、「新基準クリア=安全宣言=原発再稼働」という、国(原子力安全委員会)・電力企業との出来レースが既成事実化され国是に。こうして安全神話の幻想が、「3・11」などまるで無かったのかのように甦っているようです。「これでいいのですか?」と訴え続けている声なき声が、皆さん聴こえますか?(スタッフ/松本普)

リフレッシュプログラム/2016年6月17日(金)

2016年6月17日(金)の郡山セントポール幼稚園では、年長組の園児たちと「郡山市ふれあい科学館」へ園外保育に行ってきました。

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郡山ふれあい科学館を目指し、郡山駅前をお行儀良く歩く園児たち。

「郡山市ふれあい科学館」は、宇宙をテーマとした科学館で、福島県郡山市にあります。プラネタリウム施設としては日本でも有数の規模を誇ります。郡山駅西口隣に設置された『ビッグアイ』の20階~23階にあり、地上から世界一高い場所にあるプラネタリウムとして、ギネスブックの認定も受けています。

朝から雨が降り出しそうな空模様でしたが、一日雨に降られることなく青空がとても綺麗でした。
プラネタリウムでは季節に応じたプログラムを提供しており、この日は夏の星座がテーマでした。七夕の由来や天の川、織姫と彦星の物語など園児にも分かりやすく説明しており、みんな真剣に耳を傾けていました。

プラネタリウム
プラネタリウムでは、分かりやすい解説に園児たちは熱心に耳を傾けていました。

プラネタリウムの後は、同じビルの中にある展望台へと移動し、郡山市の街並みを上から見下ろします。郡山駅へ次々と走り込んでくる新幹線の様子を眺め、園児たちは歓声をあげていました。

天気も良く、展望台から郡山市が一望出来ました。
澄み渡る青空の下、郡山市内を一望する事が出来ました。
展望台にて記念撮影をしました。
星座の物語と、星空や街並みの景色に癒された園外保育となりました。

2016年7月5日郡山セントポール幼稚園で『キッズヨガ&マッサージ』を開催しました。

郡山セントポール幼稚園のわくわく広場で、2~3歳児とお母さんを対象としたプログラム『キッズヨガ&マッサージ』を行いました。
これは、お母さんと子どもが一緒にヨガや手遊びをしたり、アロマ・オイルを使って子どもにマッサージをするなど、親子ともにリラックスできる時間を過ごすプログラムです。講師は畠山良江先生です。

まずは音楽に合わせて、親子で体を動かします。
だっこして揺らしながら、そばに寄って、お互いにご挨拶をすると子ども達は大喜びしました。
小学校入学前に十分身体を使って遊んだ経験のある子どもは、小学校入学後も、ケガが少ないと先生からアドバイスを頂きました。

20160705_0820160705_02続いては色とりどりのオーガンジーを使い、布遊びをします。
丸めたり広げたり、全身をダイナミックに動かします。
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体があたたまったところで、今度は子どもたちにオイルを塗ってマッサージをします。
手のひらを貝のように丸めて、背中をポンポン軽くマッサージしていきます。靴下を脱いで、足の指や足首をくるくる回してあげると、子ども達は気持ち良さそうにしていました。
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新聞紙で作った輪の上をぴょんぴょん跳ねたり、くぐったり。20160705_0720160705_06

プログラムの最後は、先生とのお茶の時間です。
先生自身が、子どもとスキンシップを図りながら、コミュニケーションを深めたという体験談を話してくれました。参加した保護者はリラックスしながら耳を傾けていました。楽しく遊びながらのマッサージで、親子共に笑顔が溢れたプログラムとなりました。

東日本大震災5周年記念聖餐式が行われました。

2016年3月11日(金) 日本聖公会東北教区「東日本大震災5周年記念聖餐式・黙想」が行われました。
いまだ困難にある人 を覚 えつつ、召 された人々の鎮魂の祈 りの時 を持 ちま した。また、黙想の中で体験された3名の方の証を聞き、分かち合いました。そのうちの一人として、スタッフが以下のお話をさせて頂きました。


2011年3月11日、被災地では暗闇の中、とても未来へ希望を持つことは出来ませんでした。地震と大津波と原発事故により変わり果てた東北が、ここまで再生出来ると、誰が想像出来たでしょうか。共に歩み続けて下さった沢山の方々の存在無くして、今の復興は無かったでしょう。
その一方で、解決し難い問題も残っています。福島原発事故の収拾も、放射能汚染による問題の解決も、未だに見えていません。このまま時間の経過と共に風化が進み、被災者が取り残されていく事を心配しています。

震災が起こったあの日、私は宮城県仙台市、夫は福島県郡山市と、離れて生活をしていました。ライフラインが途絶え電話もほとんど繋がらなかったため、一人暮らしの夫の状況がまるで分からず、私はすっかり平常心を失っていました。日に日に原発事故の報道は深刻さを増し、状況は悪くなるばかりでした。
そして震災から5日後には、遂に夫の住む郡山市を、日本政府からの避難指示のない中、アメリカ政府は避難区域の対象にしました。日本政府の対応から、国民の命を軽視している事は明らかでしたので、避難するか留まるか、一人一人の判断に委ねられている状況でした。不安に押し潰されそうだった私は、夫に例え仕事を失っても構わないので避難して欲しいと懇願しました。その結果、夫は職場の避難指示が降りる前に福島県外へと避難しました。
日常が戻った今、夫はその代償を支払っているのではないかと思う事があります。あの時避難を勧めるべきではなかったのではないかと、自分を責める気持ちは今でも消えません。

そして震災から4か月後に、私は宮城県仙台市から福島県郡山市へと引っ越しました。なぜ、敢えて危険なところへ行くのか?家族は止めないのか?などと周囲の人達から問われましたが、私には、夫一人を危険なところに置き、自分だけ安全な場所にいるという罪悪感に耐えられませんでした。福島に来てからは、目に見えない放射能からどうすれば逃げられるのかいつも考え、毎日を緊張感を持って生活していました。被ばくを避けるために窓を閉め切り、食べ物や飲み物にも細心の注意を払っていましたが、その一方で、夫はある日を境に開き直ったのか、放射能を気にする事がなくなりました。
放射線量の高い所をマスクも付けずに平気で散歩する夫に、私は何も言いませんでした。彼の置かれている立場や状況では、開き直らなければここでの生活に耐えられないのだろうと思ったからです。家でも外でも放射能の話題はタブーであり、明確な答えの無い中、誰しもが各々で放射能へのルールを作るよりありませんでした。ここで暮らしていく事を選択したからには、放射能について自分で独自に調べ、妥協点を見出すより他に無かったのです。当時『絆』という言葉が盛んに使われていましたが、こうした状況の中、境遇を同じとする仲間の存在は私にとって何よりの心の支えでした。

そして震災と原発事故から5年が経った今、私の住む福島県郡山市では、当時の殺伐とした空気がウソのように、一見すると平穏な日常が戻っているように思われます。しかし、ここで暮らす誰もが多かれ少なかれ心のどこかに放射能への不安を抱いています。

政府は、福島の復興や帰還を推進するために『安全・安心』をうたっていますが、実際に放射線測定器を使って計測してみると、街中の至る所で除染対象となる毎時0.23μ㏜を超えます。それどころか毎時1µ㏜を超えるようなホットスポットが点在しているのです。このような現状ですが、子ども達はマスクも付けずに毎日放射線量の高い通学路を歩き、粉塵が舞い上がるグラウンドで部活動に励んでいます。給食では福島県産の利用を推進しており、普段県外産の飲食物しか購入していないお母さんも、我が子に1人だけ弁当を持たせる訳にはいかないので諦めていると言います。その様な不安を、軽々しく口に出す事も出来ません。ママ友同士でも子ども達の間でも、放射能を気にしている様子を見せるといじめの対象になってしまうのです。

福島県では、震災時に0歳から18歳だった福島県民を対象に、20歳までは2年ごと、それ以降は5年ごとに甲状腺のエコー検査を実施しています。
今年の2月時点で、116人の子ども達に甲状腺がんが見つかっており、その子ども達の多くは既に手術を受けています。このエコー検査は、1人当たりに費やされる時間が3~5分の流れ作業で行われ、特に検査の前後に詳しい説明があるわけでもありません。不確かな検査に親子共に不安を抱きながら、2年後の次の検査まで待つ事になるのです。
もしも検査の結果がんが見つかり、手術をすると首に傷跡が残ってしまいますが、私はそれ以上に心の傷の方が気がかりです。その子はきっと、進学や就職、結婚など人生の様々な重要なステージで、自分が甲状腺がんの手術を受けた事を説明しなくてはならないと思います。そのたびに、福島に対する差別や偏見と向き合う事になるのではないでしょうか。又、その子の親も、我が子を想う気持ちが強ければ強いほど、責任を感じ苦しむのではないかと思います。小児甲状腺がんの多発について、原発事故との因果関係をまだ公に結論付けられてはおりませんが、大人の都合で犠牲になっている子どもがいるという事を忘れてはならないと思います。

私はこの原発問題プロジェクトに携わる事で、福島で暮らす人が心の奥にしまっている、放射能に関する様々な想いに触れる機会を頂きました。一人で抱え込んでいた胸の内を聞き、いつも元気に笑っている方が福島で暮らす事にこれほど葛藤を抱えていたのかと驚く事も多々ありました。暗闇の中にいながら声に出せずにいる人の存在に気がつき、明るい方ばかりに目を向けている自分の能天気さを情けなく思いました。振り返ると、その人達へどうすれば光を届けられるのか、いつも仲間と話し合い試行錯誤していたように思います。そして誰よりも私自身が、共に悩みを共有してくれる人達に支えられ、今日まで歩いて来る事が出来たのです。

『もう二度と、こんな事が起きてはいけない。自分たちの苦しみを平和への礎として欲しい―』それが震災と原発事故で犠牲となった人達の何よりの願いであると、今も福島で暮らす私は思います。

2016年2月6日に、ロンドンのサザーク大聖堂で『東日本大震災5周年記念礼拝』が行われました。

式文
東日本大震災5周年記念礼拝での式文

2016年2月6日に、ロンドン・ブリッジ近くに位置するサザーク大聖堂で、東日本大震災5周年記念礼拝が行われました。

(撮影:Shu Tomioka,Shin Adachi )

礼拝の中で、ゲストスピーカーとして原発問題プロジェクトの事務局長池住圭さんより、原発の被災者と被災地の現状報告がなされました。

大聖堂内には、当プロジェクトの活動内容を紹介するブースも設置されました。被災者とボランティアの方々の交流の様子がうかがえる写真とともに、「Let Us Walk Together」と書かれたティータオルが掛けられました。このティータオルには、被災者の方々の言葉や支援者の言葉がデザインされています。

この追悼礼拝は、2013年に次いで2度目となります。震災から5年目を迎えるに当たり、日本から遠く離れた英国で、被災者とそのご家族に思いを馳せる時を共にするこの追悼式は、英国に在留する日本人と英国人の協働により提案されたものです。

パリ在住のソプラノ歌手、伊藤愛さんの歌声が響く中、マイケル・イプグレイブ主教のもとに始まった追悼礼拝。

(マイケル・イプグレイブ主教によるお説教はこちら➡  原文 /日本語翻訳文

お説教の後には、パイプオルガンが奏でる「ふるさと」に思いを馳せて、在英日本大使館の加藤元彦特命全権公使やサザーク市長を筆頭に、参列者全員が祭壇の横に置かれた2本の木に桜の花びらを飾り付けました。

事前に参列者一人ひとりに配布された花びらの一枚一枚には、震災で死者の出た地名が記されており、亡くなった方々や遺族、そして、今もなお困難の中にいる被災者一人ひとりを覚え続けるという強い思いが込められています。

満開となった桜はライトアップされ、復興に向けての希望の光を放っていました。

2016年2月6日チャーチタイムズ
2016年2月6日イギリスの新聞『CHURCH TIMES』に掲載されました。

追悼式の前後には、いくつかの場所で当プロジェクトの活動や原発事故による被災状況に関する報告会が開かれました。

ある報告会で、『JAN UK』という団体の方が、自己紹介に来てくれました。この『JAN UK』は、原子力発電所立地国である英国において、反原発・脱原発に向け声をあげようと集まった、日本人を中心とした個人の団体です。
『JAN UK』のwebサイト➡   ツィートはこちら➡)

2012年8月から日本大使館前で毎週金曜に抗議行動を開始し、同年10月からは東電ロンドンオフィス前でも活動を始めています。

『JAN UK』は団体というよりもネットワークに近く、代表者もいません。問題意識を抱えた個人が、出来る範囲で集合しているそうです。参加者の一人である女性は、『何もしなければ犠牲者の上に成り立っている原発、そしてそれを許すシステムを黙認することになってしまうとの一心で、どうすれば良いのか悩みながらできることを模索している。』とお話されています。

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このティータオルは、当プロジェクトに関わった方々の寄せ書きと、『被災者支援センター しんち・がん小屋』の方々の言葉を掲載したものです。

現在イギリスに在住の聖公会信徒であるユキ・ジョンソンさんが、震災から5年経った今も福島を忘れずにいようとの願いを込めて、作成して下さいました。

1枚4.5ポンドで販売し、そのうち制作にかかったコストを除いた分を当プロジェクトへ寄付して下さっています。
震災や原発事故が時間の経過と共に次第に風化されゆくのを実感する昨今ですが、このようなあたたかな励ましに支えられています。ご協力頂きました方々へ、心より感謝致します。

2016年2月10日(水)園外保育『雪遊び』へ行ってきました。

2016年2月10日(水)郡山セントポール幼稚園では、猪苗代町にある国立磐梯青少年交流の家に『雪遊び』へ行きました。

着いてみると想像以上に雪が積もっており園児は大喜びです。すぐに吹雪も収まり、お天気にも恵まれました。

さくら組とたんぽぽ組では、幼稚園にある遊具のシャベルを使っておままごとをしたり、雪だるまを作ったりしました。IMG_2392

もも組とひかり組は、そりすべりや、チューブやおにぎり型の遊具にまたがって身体を大きく使い、雪面を滑って思い切り遊びました。IMG_2780

そして雪合戦では、雪を両手でわしづかみにして、みんなで大いに楽しみました。IMG_2786

年長組の男の子は、彫刻遊びに夢中になっていました。IMG_2790

青空の下沢山の雪に触れ合い、園児と先生共にリフレッシュ出来たプログラムとなりました。帰りのバスではみんな遊び疲れて、ぐっすりと眠る様子が見られました。IMG_2795

聖テモテ幼稚園の園外保育が、茨城県日立市のシビックセンターで行われました。

2016年1月22日(金)に、聖テモテ幼稚園の園外保育が茨城県日立市のシビックセンターで行われました。
この園外保育は、子どもたちの原発事故による影響からのリフレッシュのために送られた支援金により、通常の園外保育に加えて開催されました。
日立駅前に大型バスが横付けされ、園児はワクワクしながら降りてきます。1月22日シビックセンター1

シビックセンターは、科学の中でも物理や化学について体験学習できる施設です。
シャボン玉ショーでは、小さな玉から大きな玉、くっついた玉まで次々に繰り出され、その度に歓声が上がります。1月22日シビックセンター2

産業用ロボットが、日立市のマスコットキャラクターの絵を描いてくれるコーナーでは、お土産に持って帰りたい園児の列が出来ました。1月22日シビックセンター3

楽しいお出かけはあっと言う間に終わり、帰りのバスではほとんどの園児がスヤスヤ寝てしまいました。
それでも園に着くと、迎えの保護者に楽しかった出来事について、元気よく話す姿が見られました。(引用:小名浜 聖テモテ支援センターブログより)

2016年1月25日郡山セントポール幼稚園で『キッズヨガ&マッサージ』を開催しました。

2016年1月25日(月)郡山セントポール幼稚園のわくわく広場で、2~3歳児とお母さんを対象としたプログラム『キッズヨガ&マッサージ』を行いました。
これは、お母さんと子どもが一緒にヨガや手遊びをしたり、アロマ・オイルを使って子どもにマッサージをするなど、親子ともにリラックスできる時間を過ごすプログラムです。講師は畠山良江先生です。

IMG_2631最初子ども達は少し緊張している様子でしたが、手遊びや、親子のヨガでたっぷり遊びからだをポカポカにあたためていくうちに徐々に緊張もほぐれていきます。子ども達の緊張もほぐれた頃に、植物性のオイルを使い、足首から始め徐々に全身へとマッサージをしていきます。 マッサージ中子ども達は眠たそうにしており、すっかりリラックスしていました。子ども達の緊張もほぐれた頃に、植物性のオイルを使い、足首から始め徐々に全身へとマッサージをしていきます。IMG_2657 マッサージ中子ども達は眠たそうにしており、すっかりリラックスしていました。マッサージが終わった後はティータイムの時間。 お母さんから講師に子育てに関する先生へ質問をしたり、子育てアドバイスを頂くなど、母子共に日常子育ての緊張を和らげる事が出来たプログラムとなりました。マッサージが終わった後はティータイムの時間。
お母さんから講師に子育てに関する質問をしたり、アドバイスを頂くなど、母子ともに日常の緊張を和らげる事が出来たプログラムとなりました。

シンポジウム『いま被ばくを考える ―チェルノブイリ30年 私たちがなすべきことは―』に参加してみて

2015年12月12日(土)福島県郡山市にある市民交流プラザにて開催されたシンポジウム『いま被ばくを考える ―チェルノブイリ30年 私たちがなすべきことは―』(主催:低線量被ばくと健康プロジェクト)に参加してきました。
シンポジウムでは下記の5人の専門家による発表と、その後参加者との質疑応答の時間が設けられていました。

  1. 大隈貞嗣氏(三重大学医学系研究科助教) 『福島県民健康調査における過剰診断論を整理する』
  2. 崎山比早子氏(元放医研主任研究官) 『“福島安全宣言”と帰還政策―専門家の責任』
  3. 澤田昭二氏(名古屋大学名誉教授) 『原爆被爆者に対する放射性降下物による被ばく影響の真実』
  4. 曽根のぶひと氏(九州工業大学名誉教授) 『放射線から身を守るためにーICRP/日本の防護策の誤りとは』
  5. 西尾正道氏(北海道がんセンター名誉院長) 『長寿命放射性元素体内取込み症候群』

現在、福島県内では小児甲状腺がんの多発が見られています。それについては過剰診断論も出ており、専門家により意見が分かれているのが現状です。今回のシンポジウムでの発表者の1人である西尾正道氏によると、『福島県の小児甲状腺がんの多発が低線量被ばくによるものであるとすれば、大変な被ばく量だと言える。がんの進行する時間を考えると、低線量被ばくの影響が現れてくるのはこれからである』との事でした。いずれにせよ、あと2~3年すれば小児甲状腺がんの多発の原因が明確化するとの見解で、講演者の意見が一致していました。

又、小児甲状腺がんで肺にまで転移しているケースも出ており、小児に限らず成人の甲状腺がんも増加しているそうです。福島県立医大での成人を対象とした甲状腺がんの手術数は、近年増加傾向にあるとの事でした。さらに甲状腺がんは再発が多い特徴を持ち、30年以内で36%が再発します。実際にすでに甲状腺がんの再発も増えているそうです。私は毎日、新聞で原発や放射能に関する情報を収集していますが、そのような報道に出会ったことは無く、情報が偏っている事を実感しました。

核災害はひとたび起きると人のなりわいを根こそぎ奪ってしまいます。しかも、その持続時間は人の寿命をはるかに超えます。その事故を起こした責任は未だ問われていません。そればかりか、責任の所在を明確にすることなく、責任を負う側が政策決定、安全宣言をしているのが実態です。更に政府は核エネルギー利用促進のために放射線のリスクを過小評価しています。騙されないためには科学的根拠に基づいて、個人個人が判断力を付ける事が必要です。一人一人は微力でも、集まれば大きな力になります。個人の権利、健康を最優先にした、原発のない民主的な社会を目指す事が今求められているのだと思います。