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日本聖公会各教区報のなかから

沖縄週間ブログラム

「生命(ヌチ)の道をたどる」 に参加して

「横浜教区報」

(第459号・20037月25日発行)

6月19日から22日にかけて、管区.沖縄教区主催で行われた沖縄の旅に参加されたお二人に寄稿していただきました。

今回の沖縄の旅、聖職と信徒26名、それに谷主教はじめ沖縄教区の方々と共に参加してきました。初日、南部にある小禄聖マタイ教会での開会礼拝に始まり、夜は琉球大学の我部教授の「沖縄の歴史と現状」という講演会。 翌日はマイクロバスに乗り一日中戦跡巡り、平和祈念資料館を見学してから24万人の戦死者一人ずつの名前が国別、県別に刻まれた「平和の礎(いしじ)」に参拝しました。その後、沖縄戦では拠点でもあり、病院でもあり、隠れ家でもあり、最後には集団自決の場所でもあった幾つかの洞壕(がま)を見学、鍾乳洞の利用や手作業で掘り抜いた奥深いものなどは初めて見る者にとっては強烈な衝撃でした。

3日目は、続いて摩文仁の丘にある、県別に並べて建てられた戦没者を祁る「塔」に教区毎に分かれて参拝しその碑の文章の中身を沖縄で戦死した人達の立場で考えました。横浜教区の範囲では静岡の塔、神奈)||の塔、房総の塔、甲斐の塔があり、合計5396柱祁られています。

その後主教館に集まり2日間のフイールドトリップの検証をし、教区毎に発表をしました。終わってから九つの教会に分宿し、そこの信徒の方々とタ食を共にしながら貴重な話し合いの時間を持ちました。

最後の日は分宿の教会で主日礼拝に出席し、午後は米軍上陸地に近い場所にある諸魂教会で谷主教のもとで沖縄教区の記念礼拝『慰霊の日」に全員で出席しました。続いて現地教団の平良牧師の「イラク戦争と沖縄」というNPOのイラクでの働きの講演を聴いて、参加者はそれぞれの帰路に着き旅は終わりました。

今まで何度も沖縄を訪れてみたいと思っていたのが、聖公会のこのような集まりに参加出来たことは大変な感激と感謝でした。

日本で唯一の地上戦のあった所、日米が面と向かい合って殺し合った所、敵に追われて崖から投身自殺をした所、中学生の女子看護婦が逃げられない傷病の兵士に毒を注射し、逃げる民間人を兵が射殺し、敵に殺される前に集団自決をし、沖縄戦の何よりの特徴は軍人よりも一般住民の戦死者がはるかに上回っていたとのことです。

平和記念館には「沖縄のこころとは人間の尊厳を何よりも重く見て、戦争につながる一切の行為を否定し、平和を求め、人間性の発露である文化をこよなく愛する心である」とありました。現地のことは筆紙に尽くし難く、神につながる者として是非沖4縄を検証していただきたいと思います。(横浜聖アンデレ教会 ヨセフ中原稽人)

このプログラムの案内書を見たとき、私は「ぜひ参加したい」と思い、気付けば航空券の手配を済ませていました。参加の動機は単純なもので、「沖縄が好き、沖縄のことをもっと知りたぃ」という気持ちからでした。私はまだ学生ということもあって日程の都合がつかず、2日目の夜から参加させていただきました。

3日目のプログラム、ワーク・シヨップ(分かち合い)では「各県の慰霊塔」を見て廻り、碑文の検証をしました。碑文には「偉勲をたたえ」「散華」といった言葉が多く見られ、戦争の捉え方について深く考えさせられました。戦争について考え「戦争」について学びました。それと共に「沖縄が好き」と単純な動機で参加した自分が、とても恥ずかしくなりました。戦争のことを知らないでいたこと、それに気づきながらも戦争を知ろうとしなかったことを、私は深く後悔しました。

4日目に「慰霊の日礼拝」を捧げた後。「イラク攻撃」について講演を聴くことができました。その講演では、テレビで知ることができないイラクの現状を聞くことができました。とてもショックなことばかりでした。イラクには今も多くの攻撃の跡が残っているため、たくさんの不発弾が散らばっているそうです。そして、医療設備が整っていないために、救える命が救えないでいることなど、とても胸が痛みました。

今回、この沖縄週間プログラムに参加して、とても大切なことを学んだと思います。沖縄を自分の足で歩き、戦争について正しい認識を持つことにより、命の大切さを知り、また平和の尊さを学ぷことができました。心から世界の平和を祈り願います。(横浜山手聖公会 工ステル岡野栄美)

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