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日本聖公会管区事務所
〒162‐0805 東京都新宿区矢来町65
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2003年9月号
発行者 総主事 司祭 三鍋 裕


神に与えられたものにたち戻るために

管区事務所総主事  司祭  ローレンス 三鍋 裕

地域にもよりましょうが、全般的には涼しい夏でした。しかし、夏の終わりになって急に暑くなり、油断していた分だけこたえました。

この夏もいろいろな行事がなされましたが、私自身は7月下旬に新潟県にある東京電力柏崎刈羽原子力発電所の見学に参加しました。世界宗教者平和会議非武装和解委員会という、長い名前のグループのメンバーとしてです。核の平和利用について学ぼうと、お坊さんや神主さんと一緒に出かけました。薬師寺の住職さんをはじめ、それぞれの一派を代表する偉い方ばかりで、せめてキリスト様に恥をかかさないようにお行儀良く勤めました。

東電の応対は丁重でした。原発のトラブル隠しで原子力発電が全機運転中止になった後であっただけでなく、この発電所建設中の事故で犠牲になった方の慰霊碑に一行がお参りしたこともあるかもしれません。宗教者を世俗的に表現するのも申し訳ないけれど、私以外は「一流」の宗教者ばかりですから。

 東電の説明は原発トラブル隠しのお詫びから始まり、一度聞いただけではとても分からない原子力発電の仕組みの説明、最後は節電のお願いでした。企業とは物やサービスを買ってもらって儲けているはずなのに、買わないでください、使わないでくださいのお願い。原子力発電機の多くは運転停止の中で真夏を迎えようとしている、エアコンをつけて高校野球のテレビ中継を見られるのが怖いとのこと。電力不足で停電の恐れがあるからです。幸い冷夏で助かったようですが。どの電力会社もめったに起きるはずのない電力不足のために、多額の設備投資をしてまで発電所を増やしたくないのでしょう。夕食会場の冷房が強すぎるとの指摘には「これは東京電力ではなく東北電力の電気です」との説明でした。

委員会の評価としては、トラブルが起きるにしても全般的には思ったよりも安全そう。核兵器に転用される危険もまずなさそう。しかも首都圏の電力の半分近くを原発に依存している以上は急には廃止できないし、地球温暖化の問題からは火力発電所より長所もあるとの主張もある。しかし、である。どんなに安全と言われても人間のする業、万々一のミスの重なりの結果はやはり恐ろしい。さらに心配なのは使用済みの放射性廃棄物の処理は、素人には「当面地中に埋めておいて、何か良い処理方法が見つかるまで待つ」と言っているようにしか聞こえない。日本中の地下に埋められるかもしれないし、貧しいお国に押し売りされるかも知れない。日本において原子力発電は核兵器の問題ではなく、環境問題のように思えるのです。

原子力発電所の後に水力発電所も見学した。揚水式水力発電所と言って、ダムの下で一度発電用タービンを回すのに使ってから、もう一度上のダムに汲み上げてまた使うのが揚水式。ダムそのものが大規模な環境破壊、有効に使わなければ。水だって限りがある大切な資源です。余計なことですが家庭用排水も量が多くなると「きれい」になると思いきや、無駄に使いすぎるとさらに水資源の開発が必要になって環境破壊になると言われます。思えばダムが出来る前には美しい渓谷が、その地に住む人々の生活があったわけです。原発にしろ火力にしろ、水力にしろ、電力は便利なものではあるが環境を犠牲にしながら私たちのところにやって来るのです。

その後、出張で訪ねたアメリカと言うお国、ものすごいエネルギー消費国でした。冷房の寒さとの戦いでした。ニューヨークなぞ昼間からネオンがチカチカ輝いているのです。そのニューヨークで例の大停電は帰国した少し後でしたが、混乱振りは容易に想像できます。私も暑さ、寒さ、不便さは苦手です。しかしエネルギーは環境を犠牲にしているのを認めざるを得ません。

環境といえば自動車の排気ガスやゴミも問題ですね。私も環境破壊の立派な?共犯者です。

仕方のないことの重なりですが、神様がお創りくださった美しい自然はどうなっていくのでしょうか。誰の責任なのでしょうか。無理を承知で申せば、やはり一人一人が少しずつ不便を忍んで神様の自然を守ろうとする以外にはないではありませんか。

最後にもう一つ。戦争は最大の環境破壊であり、人権蹂躙と言われます。せっかく苦労して作り上げた物を無理に壊すわけですし、せっかく育てた大切な命をわざわざ殺すのですから。生育環境と言う言葉がありますから、環境は自然の問題だけではありません。人間環境とでも言いましょうか、人間がお互いにもっと大切に仕合う世界のはずだったのではありませんか。神様のお創りになった世界はもっと美しいはずだったのではありませんか。共犯者であることを認めつつも、美しい自然と人間の姿を回復するために今日一日、一つだけでも小さな「自制」をお捧げしませんか。

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