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「日本聖公会ユース・リーダーシップ・トレーニング」報告

相原 太郎(愛知聖ルカセンター主事)

管区青年委員会主催、全国青年ネットワーク共催で、8月22日から25日 、昨年に引き続き「日本聖公会ユース・リーダーシップ・トレーニング」を箱根にて開催しました。全国から約30名の青年が集まり、「LIFE」をテーマに、学び・沈黙・祈り・対話の時を持ちました。

「なんとなく教会に行っているけれど、教会の活動にかかわってそれなりに楽しいけれど、でも、私の生き方にとってキリスト教ってなんだろう」。このトレーニングでは、単にキャンプなどのリーダーとして必要な技術や知識を得る、ということではなく、その前提として、自分の人生・暮らし・仕事と、キリスト教との関係を、深く考えるプログラムとしました。

プログラムの流れは以下の通りです。

まず自分の人生のふりかえりをしました。「あなたにとって本当に大切なことは何でしたか?本当に望んでいたことは何ですか?それとキリスト教や教会ってどんな関係?」などの問いかけの中、「ライフマップ」というワークショップを行いました。個人作業をしたり、お互い自己紹介したりしながら、自分とキリスト教との関係がどのようなものだったのかを考えました。

次に、聖書の分かち合いを行いました。クリスチャンとしてキリスト教の常識を知る、ということではなく、イエスが、彼の生きた時代の中でどんなビジョンを持ち、どんな生き方をし、そしてなぜ十字架で処刑されたかについて学び、「イエスの生き方にあなたは何を感じますか?」ということを考えました。

その後、牧野時夫さんの講演を聞きました。牧野さんは小樽聖公会の信徒で、「マキノ・エコロジカル・ファーム」を開き、ブドウを中心に有機農業を行っている方です。また、農業関係者によるオーケストラ「北海道農民管弦楽団」を結成、「農民芸術学校」も構想中、と多彩な活動をされています。自身のキリスト教信仰から、農に行き着いたという牧野さん。イエスの生き方に共感して、自分が本当にしたいことを、自由に楽しそうに実践して生きる姿は、これからの生き方を考える青年たちにとって大変刺激的なものでした。バイオリンの演奏にも一同大感動。

イエスの生き方について学び、またそれに触発された牧野さんからお話を聞いた後、では、それを受けて自分は、今、この世界の中で、どんな生き方をしたいのか、ということについて考えるために、自分と世界・社会・自然との関係について考えるワークショップを行いました。イラストや写真、ビデオなどをきっかけとして、対話を起こして相互に学びあう手法についても実践的に学びました。

最後に、これから自分はどう生きるかについて、キーワードを出しながら、あらためてじっくりと深く考え、また語り合いました。

参加者においては、キリスト教と自分の生き方、あるいはこの世界との関係について深く考える場がこれまでほとんどなかった、という声が少なくありませんでした。このような深い学びあいが、さらに各地で行われていくことを期待したいと思います。




「韓国からの宣教協働者の集い」に参加して

 大阪教区 司祭 モーセ 任 大彬

 現在、日本聖公会で働いている韓国人教役者は、東京教区の柳時京(ユ・シギョン)司祭(立教大学)、李民洙(イ・ミンス)執事(東京聖パウロ)、中部教区の丁胤植(チョン・ユンシッ)司祭(新潟聖パウロ)、沖縄教区の成成鐘(ソン・ソンジョン)司祭、朴美賢(パク・ミヒョン)司祭(首里聖アンデレ)、そして大阪教区のわたし任大彬(イム・テビン=大阪聖パウロ)の5名です。

7月29日(火)から31日(木)まで、わたしたち在日韓国人教役者とその家族の会が、東京と箱根を会場に行われました。これは昨年開催された在日海外宣教協働者会に出席した柳司祭が宇野徹首座主教様に、在日韓国人教役者と家族の交流の機会を管区として設けていただけないかと要請したところ、宇野主教様が快諾してくださって実現したものです。

この会の初日には、教役者とその家族の計18名、そして管区から宇野首座主教、三鍋裕総主事、八幡眞也渉外主事、木村直樹宣教主事、前田良彦正義と平和委員長、香山洋人司祭(東京教区)、さらに韓国から金根祥(キム・グンサン)司祭(ソウル教区教務局長)と李貞浩(イ・ジョンホ)司祭(ソウル教区外国人労働者センター長)が参加して、礼拝と懇談の時を持ちました。

わたしが、滞日期間が一番長いためか、「日本聖公会での牧会の経験と展望」としてお話をさせていただきました。また続いて、金根祥司祭の「韓日聖公会交流の歴史と展望」、李貞浩司祭の「韓国聖公会最新情報と在日教役者への期待」の講話をいただきました。

この三日間、わたしたちは、自分たちが置かれている現状や経験していること、そして今感じていること、そして教会の宣教をどのように展開していったらよいかについて、話し合いました。

今回の反省点として、女性たちが充分に話し合う時間がなかったことがあげられます。子供たちの世話を彼女たちにまかせっぱなしにして、男性陣が話し合っていたからです。わたしだけかも知れませんが…。

子供たち(幼児から中学生まで)が共に時間を過ごせたことは、親としてとても嬉しいことでした。子供たちは、韓国語、日本語、英語、沖縄弁、大阪弁を駆使しながら交流し、自分と同じような環境で生きている仲間がいるということを実感したようです。わたしの小学校一年の息子は、小学校入学以来、日本語を主に話すようになりましたが、この会に参加して後は、韓国語を躊躇せず使うようになりました。

このような素晴らしい機会を与えてくださった宇野主教様と管区の皆さまに、在日韓国人教役者を代表して、深く感謝いたします。




『日本 戦争から平和へ』
故・F.コールドレイク師の遺稿資料出版

 終戦後、オーストラリアから民間人として最も早く来日したのは聖公会宣教師フランク・コールドレイク師(Frank William Coaldrake)であった。師は第二次世界大戦が始まった頃から敵国である日本に強い関心を持ち、両国の相互理解の重要性を思い、オーストラリア宣教協会(Australian Board of Missions)に日本派遣を働きかけていたという。しかし、当時の国際情勢がそれを許さず、師の願望が叶えられたのは1947年6月のことであった。以来10年、戦後日本の混乱期から復興の兆しの見え始めた頃まで、師は南東京教区(現・横浜教区)伊豆地域を中心に活躍した。やがて師は自身を派遣したオーストラリア宣教協会の会長に指名され、後ろ髪を引かれる思いであったが、1956年11月帰国を余儀なくされたのだった。帰国後、師は宣教協会の責任者としての職務に携わる一方、国内外を精力的に駆け巡り、近隣諸国の発展途上の教会等を力づけた。そして、1970年7月10日、師は故郷であるブリスベン教区の大主教(Archbishop)に選ばれたが、残念なことに、その僅か12日後に心臓発作のために主のみもとに召されてしまった。享年58歳、師の逝去時の肩書きはブリスベン教区兼クイーンズランド管区被選大主教であった。戦後の日豪関係に貢献した師の功績は大きく、オーストラリアはもとより日本にとっても誠に惜しい人を失った。師が創設した伊豆聖マリヤ教会で同年9月3日に行われた記念式における故・野瀬主教の悲しみの説教が師の残した大きな功績を物語っている。

この春、師が残した膨大且つ貴重な文書資料を長男 William H. Coaldrake氏(1952年日本生れ、現在メルボルン大学日本学科主任教授)が編集し出版した。“JAPAN FROM WAR TO PEACE―The Coaldrake Records 1939〜1956―”という書名の500ページを越す、読みでのある本である。オーストラリア人司祭の目で見、肌で感じた戦後日本の状況や庶民の生活、日本の教会のことなどを、友人や母国に送った63通に及ぶ Newsletter が中心になっているが、他に師の活動を裏付ける多くの文書も収録され、同時に師が撮影した写真がカラーをも含め的確な説明付きで効果的にちりばめられ、資料を読み易くしている。日本聖公会にとって貴重な資料であろう。

この本を読むと、終戦直後の荒廃した日本の極めて困難な状況の中での師の活躍を知ることはもとより、何よりも平和を愛した師の信念、差別・偏見を排除し、平和・真実・正義・信仰を尊ぶ生き方が師と関わった教会の人々に大きな感化を与えたことを知ることができる。師は在日期間中に2度帰国しているが、休暇の筈の帰国中も各所を廻り講演をし、日豪関係への理解を深めることに尽力した。ラジオ放送を通して日本理解を説いた放送原稿も収録されている。初めの帰国の1949年末、師は Maida Williams夫人と結婚した。以降伊豆伝道にはMaida夫人の働きも大きな力となった。夫に協力して夫人が執筆した文書も多く収録されている。夫人は現在84歳、シドニーにて健在である。この本の編集出版にも関与し、昔を振り返っての夫人のコメントなどが資料を生かしている。

少し付け加えておくと、コールドレイク夫人は日本歴史の研究者として知られ、特に「吉田松陰と萩村塾」の論文で母校タスマニア大学から博士号を授与された文学博士である。夫の死後、子育てをしながら研究を続け、1974年から96年までの22年間、上智大学の夏季セミナーの講師として毎夏来日し、また1985年から91年までは聖公会関係学校である香蘭女学校の英会話講師を務め東京に滞在していた。1997年には日豪親善と文化交流への貢献が評価され、勲四等宝冠賞の叙勲の栄に浴している。

この本の出版を知ったNHKは8月25日朝、総合テレビ「アジア&ワールド」でコールドレイク夫妻が戦後いち早く来日し、日豪親善に尽くした功績を紹介した。NHKは師が聖公会の司祭であったことには触れなかったし、半世紀も前のことでもあるので、聖公会関係者でテレビを見た人の中にも身近なこととして受け止められなかった向きもあったのではないかと思うが、戦後の日本のそしてまた教会の復興をこうした形で支えていたオーストラリア人夫妻がいたことを記憶に留めておきたい。

また、この本の出版を記念して、駐日オーストラリア大使ジョン・マッカーシー氏の主催による出版記念晩餐会が9月16日、オーストラリア大使館において開かれた。初めに挨拶に立ったマッカーシー大使は2つの理由でこの本の出版は意味深いと述べた。「第一は親の残した貴重な資料をその子供が出版したという正に日本的美徳、第二はコールドレイク夫妻が両国の和解に尽力した軌跡を知ることができること。」続いて遠藤哲横浜教区主教は「コールドレイク師は横浜教区のために命をかけて奉仕された。特に師が行った一碧湖キャンプをとおして薫陶を受けた青少年の中からは聖職者も出たし、教会の中心として活躍している信徒も多い。」と師の教区への大きな働きに改めて感謝を述べた。最後に、編集者W.コールドレイク氏から謝辞と本書出版の意義が述べられ、集まったコールドレイク師因みの人々が醸し出す和気藹々の雰囲気と秋の訪れを感じる大使公邸の素晴らしい環境の中で、一同は時を忘れて懐かしい楽しい夕べのひと時を共有した。

前・香蘭女学校校長 森田 利光

長崎原爆記念日の礼拝に
初めて出席して・・・

台風一過の長崎の空に真夏の日差しが戻り、58回目の原爆の日を迎え、2003年8月9日午前11時2分、長崎の街に鐘が鳴り響きすべてのものが動きを止め祈りが捧げられました。長崎聖三一教会において「長崎原爆記念礼拝」が行われ、各地の教会から多くの信徒が出席され、犠牲になられた方々を覚え冥福を祈りました。九州教区五十嵐主教は「すべての被爆者を覚え」「平和の実現のため」説教をされ、「争いではなく愛を」「分裂ではなく一致」を、そして最後に世界の平和は、長崎より発信すること、と締めくくられました。

引き続き原爆の証言に移り、長崎聖三一教会の西本信夫さんが弟さんの犠牲の状況について証言をされました。西本さんは私の年来敬愛する信徒であります。昼食ののち原爆の語り部である城臺美弥子さんの講話を聞きましたが、このお二人の証言はまさに凄惨で聞くにも辛いものでありました。

私は、「原爆の日」が58回にもなるのに、今までに関心を示したことはありません。佐世保から長崎までは車で僅か1時間半ほどの所なのにです。原爆は長崎の問題であり、我々には関係ないことと決めていたように思います。佐世保復活教会はこの数年は毎年、牧師他何名かはこの礼拝に参加していましたが、今回は畏友西本氏の証言を聞こうと出席いたしました。記念礼拝に参加する前に、車でではありましたが改めて長崎の街をながめてみました。仕事などでは何度も来ていますが原爆を意識してこの街を眺めたのは初めてでした。道路は整備、ビルの立ち並び、車のあふれ、道行く人々も大都会に同じ、この街のどこに原爆が落下したのか、車で走る限り傷跡は見つけることはできませんでした。しかし、さきほど車で通った爆心地浦上の上空に原子爆弾が爆発し一瞬のうちに、そう、一瞬のうちに歌に歌われた美しい長崎の街は地上から消え、何の罪もない大勢の人々もまた地上から消えたのです。原爆を特集したテレビ番組の中で原爆を計画し製造し落下させた人々へのインタビューがあり、これらの人々はみな同じことを言うのです、「私は神に背いていない、神に守られていた」と。同じ一人の神を信じる者同士が加害者と被害者に。なぜ!なのでしょう!この加害者と被害者が一つ心で共に平和のうちに暮らすこと、その時こそ、神さま、あのお方の真の出番なのではないかと、証言を聞きつつ思ったことでした。

ヤコブ丸田耕造(佐世保復活教会)


日本聖公会各教区報のなかから
☆毎月、広報主事宛に送っていただく各教区報等のなかからご紹介しております。

 

人権、正義と平和、青年担当者合
同協議会に出席して
『沖縄教区時報』
(第451号・2003年8月20日発行)

月20日〜22日、標題の会議が在日本韓国YMCAで行われた。
 
 従来、日本聖公会の組織の中には社会問題に関する6委員会がありました。1996年の総会において日本聖公会総体として人権問題に対しての取り組みが不十分であるとの反省に立ち、管区と各教区に人権問題担当者を置くことになりました。

しかし、2002年の総会で諸委員会が見直されることになりました。反省点としては、部落差別問題委員会は人権担当に名称替えをしたとは言え、国連機関会議では部落差別など重大な問題として取り扱われている現状の中、日本聖公会の差別問題に対する宣教課題を対外的に後退させてはならない。

今回は総会決議に添って新たに設置された「正義と平和委員会」「青年委員会」及び「人権問題担当者」の合同会議でした。今後、この3委員会で日本聖公会の宣教課題として社会問題を取り組むことになります。

しかしながら、過去の6委員会の宣教活動実績と成果は、私たちの教会と信仰生活にどの程度深く結びついているかは大いに学ぶ必要があります。

人権グループでは 各教区、教会、個人の立場で人権にどのように取り組みをして行くか話し合いました。沖縄教区としては、まず人権担当委員を各教会から選出し、また沖縄人権協会にも加入を計りたい。一人の百歩より百人の一歩の方が全体的に力があり心強い。

今後の取り組みとして@機構改革した管区、教区の現状認識をする。A被差別部落に関する主教教書の6項目、特に3項目を中心に受け入れる。B合同協議会を年1回開催し情報、意見を交換する。Cネットワークの活用、拡大を図る。D各教区機関紙に活動状況を報告する。E教会と政治の関係は聖書が示している、などを確認した。日本聖公会の宣教発展と拡大のため各教区、各教会信徒のご協力をお願いします。

(人権問題担当者 崎浜秀松)

正義と平和グループで意見交換をした。11教区の中、出席は7教区であった。このなかで実際に活動をしているところは、北海道と京都ですが、ここでも何人かが活動しているのみで、他教区は、担当に指名されたということで、全体として正平としての活動は殆どされていない。管区委員会でも立ち上げは殆ど出来ていない状況である。北海道教区は、政治問題の集会には教区会館の使用を主教が勧めたり、熱心な一人の司祭の支えがあって活動が進められている状況とのことでした。

私たち一人一人が、人の命が軽んじられていることをしっかり受け止め、皆で宣教していくことを続けなければならないと思います。

(執事 目崎甲弌)



長編アニメーション映画「夢かける高原」
 立教大学教授として青少年の育成に力を尽くし、太平洋戦争後の困難に苦しむ山梨県清里の救済に、その生涯を捧げたポール・ラッシュを描く長編アニメーション映画が完成しました。制作は「清里の父ポール・ラッシュ」映画製作委員会、財団法人キープ協会、(株)マジックバス。管区事務所でこの映画のビデオまたDVD購入の申込を受け付けます。(本体3,800円・送料別 各教会あてにパンフレット、申込書をお送りしています)

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