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       日本を見る眼 ―私たちが忘れてしまっている痛み―

管区事務所総主事 司祭 ローレンス 三鍋 裕

    
 教者間の平和に関する対話ということで9月に2泊3日で北京を訪問しました。休暇と違って仕事ですし、中国の宗教者と平和について話すとなると日本人には気が重いこととお察しください。各宗教の違いが誤解や争いの原因にならないようにとのプログラムですが、やはり宗教というより中国と日本という図式になります。丁重にお迎えいただきました。13億の人口の1割は栄養不良といわれるのに、宗教者同士の会合でこんなにご馳走になっても良いのだろうかと申し訳ないようなご馳走攻め。2泊3日では忙しすぎる気がしたのですが、実は2泊なので助かりました。健康に良いからとマウタイとかいうお酒を勧められましたが、礼儀として小さいグラスながらイッキ飲みをしてお互いに空になったグラスを見せ合います。盛り上がると親しくなったのだからと2杯づつになる。お分かりにならない方のほうが多いでしょうが、ウオッカより強いと思われる酒です。健康に良いという意味は二日酔いをしないという意味で、実は非常に強い酒です。呑み助の私でも2晩が限度でした。イスラム代表の方はミルクを飲んでおられるのだから、私だって無理をする必要はないのですが、日ごろの習'慣で頑張ってしまいました。
    

れだけ友好的な雰囲気の中でも、言うべきところはきちんと言われてしまいました。お国柄か遠来の客人をもてなす雰囲気に配慮しながら敢えて言われたので、余計に心に響きました。遣棄毒ガス兵器の事故で犠牲者が出ている。対日感情は悪くなっている。日本は歴史の正確な事実認識をもって欲しい。中国の宗教者としては日本の総理大臣の靖国神社参拝は容認できない。日本の宗教者の交わりとしては返事に困りました。神道の方とも理解を深めようとしていますし、ご一緒した高名な仏教者の方は「A級戦犯の人々もその死をもって償いを果たしたではないか。それぞれに遣族もおられることだし」と、私には言っておられました。私もこの仏教の優しさに感心しました。しかし日本にとっては海の向こうで起こった遠い昔のことで今は平和ではないかと言われても、中国の人々にはまだ遠い昔ではなく、この土地で自分たちと家族が悲惨な体験を強いられた事実を今も痛み続けているのが事実なのです。歴史認識と感覚のずれ、忘れてしまった側と忘れられない側のずれでしょうか。化学兵器から毒ガスが漏れなかったとしても、許してはくれても忘れてはくれていない事実、私たちも忘れてはいけないのではないでしょうか。

    
 CEA(東アジア聖公会協議会)の総会に参加した折に訪ねた堤岩里(チェアムニ)の教会、旧日本軍が住民を教会堂に閉じ込めて焼き殺した場所です。「許すことはあっても忘れるまい」と記してありました。おまけにCCEA参加国の大半は旧日本軍が占領していた国々です。許してはくれていても忘れているわけではないでしょう。仲良しの人ほど正直に話してくれますから。さらに中国での日本人集団買春、親しい韓国の主教様が私の肩をたたいて「お前も次々大変だね」と同情してくださった。日本を見る周囲の目は実はかなり厳しいようですよ。どうも相当な「平和」で償いをしなけれぱならないようです。
    
 和ボケしているから神様からの特訓と思うほどですが一昨日(10月18日)の庭野平和フォーラムでスリランカの女性が語ってくれました。スリランカの人々は仏教、イスラム教、ヒンドゥー教、キリスト教です。宗教対立が直接の原因ではなく民族間の内戦のようですが多くの子どもや女性が犠牲になっているきわめて悲惨な状況だそうです。そして言いました。「戦争が終わることはある、しかし心の痛みはいつまでも癒されない。だから戦争を早くなくさなければ」と……。そして「戦争は人間の心から生み出されるのです」と。
    
 まり難しいことは書かないようにしているつもりなのです。難しいことは分からないからですが。でも思うのです、私たちは本当に忘れても良いのでしょうか。周囲の人々は痛み続けています。戦争だけでなく、私たちの日常生活の中でも、私が忘れてしまった痛み、気が付かないままの痛みで苦しんでいる人々がいるのではありませんか。私たちの心が戦争を生み出すところではなく平和を生み出し、お互いを心から尊敬するところでありますようにと祈ります。

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