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目で見て、人と語ったパレスチナ訪問 A
管区事務所渉外主事 八幡眞也
○ラマラ
 ここも難民キャンプのあるところで、やはりパレスチナ自治区です。この地区に入るためには更に厳しいチェックがあり、時間帯にもよるでしょうが、数多くの車がチェックを受けるために待っているので、ジェニンの場合と比較しチェックポイント通過にずっと時間がかかりました。ラマラはパレスチナ自治政府とアラファト議長の本拠地で、かなり大きな町です(数十万人の人口と聞いたように思います)。町のところどころにパレスチナ警察の人が武器を持たずに立っていて、治安を維持していました。

 ここでもイスラエル軍の爆撃により崩壊した建物を数多く見ました。難民キャンプでは、ある地区全体の建物がほとんど全壊状態になっていて、街のブロック1区画がなくなってしまった感じでした。必要と判断した場合はイスラエル軍はすさまじい攻撃をするのだろうと想像できます。
○ベツレヘムと近郊の村
 キリストが生まれたと言われているベツレヘムに入るには、厳しいチェックポイントを通過しなければなりません。一人ずつパスポートを確認して通過し、バスが迎えに来るまで待たされました。何故なら、チェックポイントから先に行くには、今まで乗ってきたバスから降りて、ベツレヘムの村に所属するバスに乗り換えなければなりませんでした。パスポートの確認は特別何かをするわけではないが、ただ何が要求されるかがわからないので、不安になるという状況でした。バスを待っている間、こどもが何人か近くによって来て、小銭をねだったり、ハンドバッグなどに手をかけるという行為をしたり、あまり良い気持ちにはなれませんでした。

 ここはもともと観光が資源ですが、今の様な状況では観光客が来るわけはなく、いわゆる観光スポットで観光客を見る事は殆どありませんでした。従って町の経済状況は非常に悪化し、その上にイスラエル軍による嫌がらせとしか考えられない物資搬入の停止(突然実施される)や、チェックポイントにおけるゲートの開放時間がまったく予定時間通り行われないなど、住民にたいして心理的圧力がかけられているようでした。車輌が通る立派に舗装された道路が突然イスラエル軍によって土盛りやコンクリートブロックを積み上げる事により遮断されてしまい、すぐ近所の人の所に行かれなくなると聞かされていましたが、実際それを目にした際には本当に驚いてしまいました。ラマラやジェニンのパレスチナ人と同じように彼らが訴えることは、パレスチナ人が置かれているこの状況を世界中の人に知ってもらい、イスラエル政府が非人道的行為を実行している事を理解してほしいというものでした。われわれが訪問したことは彼らにとってとても意味のある事であり、私たちは見てきた事をきちんと正確に訴える責任があると強く感じました。
○ナザレのChrist Church
ナザレにあるこの教会で唯一の主日礼拝をもちました。アラブ人会衆の教会で礼拝は勿論アラビア語で行われたが、聖公会の礼拝形式は全世界でほぼ同一ゆえ、戸惑うことはありませんでした。私たちだけで奉献の聖歌を日本語で歌い聖餐式中にもかかわらず、拍手を頂きました。列席信徒数は30名ほどで少ない印象がありましたが、牧師に質問をして判明したことは、信徒は450名いるが、ユダヤ教暦の関係で日曜日が必ずしも休みでない人が多く、主日礼拝の出席者数が少ないという説明を受けました。建物は石造りの立派なもので、会館も十分空間がありました。ナザレはイスラエル教区主教リアー主教の出身地で、彼の親戚の人たちがこの教会の信徒でした。教区主教の定年は65歳(聖職の定年は60歳)で、リアー主教は現在エルサレムにある主教邸に住まわれていますが、引退後はここナザレの自分に家に住む予定だそうです。日本の聖職者と比較すると彼らは恵まれているのでしょうか?
○The Arab Association for Human Rights(HRA)
上記ナザレChrist Churchの信徒の一人(Mr. Tarek Ibrahim)が参加しているNGO組織の活動についての説明会がもたれました。

 ナザレはパレスチナ自治区であるジェニン・ラマラ・ベツレヘム等とは少し様子が異なり、イスラエル政府による目に見えない形となっている意識的な差別がある事が説明されました。この地区ではパレスチナ人はイスラエル政府のパスポートを所持している。即ち形式上はイスラエル人と同一の権利を所有している事になっているが、実際は様々な差別を受けている様子が理解出来ました。

 たとえばイスラエル憲法では国民全員が軍隊入隊の義務(18歳で3年間)がある。従って職業に就く場合は軍隊経験を要求される事が普通である。パレスチナ人は軍隊入隊が必須ではなく、彼らが実際軍隊に行く事はない。この様な状況ではパレスチナ人が軍隊経験を必要条件とする職業につけないのは当然である。

 パレスチナ人のための教育制度や福利厚生制度をイスラエル人のものと比較するとはるかに劣るものである様です。従って統計上パレスチナ人子弟の学校からのドロップアウト率がはるかに高くなってしまいます。

 殊に差別がひどいのはベドウィンの人達に対してです。彼らは放牧民で歴史上昔からこの土地に住みついているわけですが、彼らの住む住居地はイスラエル政府によって認めてもらえないために(unrecognized village と称する)正式には存在していないという奇妙な状態です。結果的には国民が公平に受ける権利がある公共サービス、電気・ガス・水道等を全く利用できないそうです。

HRAはこの様に人権を認められない状況に対して、合法的な対応をしながら解決を見出そうと努力しています。
○ナザレの学校(Christ Church Episcopal School)
 ナザレの町の丘の上の聖公会運営の私立学校で、リアー主教の長男が責任者です。ローマカトリック教会は、バチカンがイスラエル建国後速やかに建国を承認したので、聖公会と比較するとイスラエル政府とは良い関係を持っているようです。従って学校に対する政府の援助はローマカトリック教会関連施設には十分与えられているようです。反面、パレスチナ人側の立場にある聖公会は長い間差別を受けていたために、イスラエル政府の学資援助がなく過去には苦労をしたようです。今は長期間にわたり嘆願した結果、政府の援助がもらえるようになって学校運営がずいぶん楽になった様です(現在学校運営資金の65%を援助金に頼っている)。

 この学校の教師子弟のために3ヶ月の幼児から始まる保育園が併設されていますが、基本的には5才から18才までのこどものための学校で、男女共学でした。義務教育は16才(10年生)までの様ですが、はっきりとした事は理解できませんでした。教育施設はとても整っており、特にパソコンの導入や科学関係の授業の施設整備に力を入れているようでした。

 この学校は「リアー主教学校」とも命名されていて、主教の旗がたなびいていました。また、施設の建設のための募金を積極的につのり、団体名や個人名が建物の壁に刻まれているのを見かけました。この中に日本キリスト教団と思われる名前がありました。寄付をした団体名や個人名を公にする方法は聖公会関連のそのほかの施設でも見かけたので、この事により寄付行為を奨励しているのでしょう。
○Sabeelとの話し合い
 この団体(Ecumenical Liberation Theology Center)はイスラエル人が訴え欧米人の賛同を受けているシオニズム運動が教義的に間違っている事を主張し、聖書の解釈を変え、イスラエル政府の占領政策に否暴力で反対を唱える団体です。元エルサレム教区の聖職であったパレスチナクリスチャンのNaim Ateek氏が牧会活動から身を引いて始めたものです。短時間の間に、Zionism(シオニスト運動)が米国や英国のキリスト教信者の中で確立しつつあり、彼らが政治活動を通じて米国政府に圧力をかけて、イスラエル政府のしている事を容認させているというのが、短時間で彼の訴えたことです。

 4月にエルサレムでこの話題に関して国際会議を開催する予定で、ローワン・ウィリアムズ・カンタベリー大主教がキーノート・スピーカーとして予定されています。米国でいわゆるChristian Zionismがこれほど強力な影響力を持っている事は信じがたいですが、彼らの米国政府支援に対抗して、聖公会として何かしなければならないと強く感じました。

 Sabeelのホームページは一読に値するものです。URLは www.sabeel.org です。(以下次号)
 皆様からいただき、管区でまとめている受苦日の信施金約79万円を4月上旬にエルサレム教区へ送金致しました。パレスチナ地域で最も苦難を強いられているガザ地区とその周辺地域における難民と子どもを対象とした医療活動を支援するためと指定しました。全国の皆様に深く感謝致します。(渉外主事)

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