日本聖公会
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■管区事務所だより第207号もくじ■

Page1 □首座主教に就任して □日本聖公会第56(定期)総会を終えて □教区制改革委員会から □台湾のハンセン病療養所を訪ねて □第2回パキスタン出張報告 □日本聖公会祈祷書中の『使徒信経』に関する決議
Page2 □会議・プログラム等予定 □主事会議 □各教区 □人事・移動 □総会関連/決議事項、報告、決議文


 
管区事務所だより
2006年6月25日 第207号
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首座主教に就任して
 日本聖公会第56(定期)総会を終えて 教区制改革委員会から
□台湾のハンセン病療養所を訪ねて 第2回パキスタン出張報告
□日本聖公会祈祷書中の『使徒信経』に関する決議


首座主教に就任して

首座主教 ナタナエル 植松 誠

  主に在る兄弟姉妹の皆様
主の平和がありますように。

 この度、5月23〜25日、東京で開催された日本聖公会第56(定期)総会で、私は首座主教に選出されました。私のような非力で弱輩の者が首座主教に選出されるとは思いもしなかったことであり、恐れおののき、心も震えています。しかし、総会で選出されたことの中に、皆様のお祈りとお支えがあったと信じ、その結果を厳粛に受け止めなくてはならないと今考えております。取るに足りない小さな器であることは主がご存じですから、あとはその主にお委ねしていけば、必ず導きや助けが与えられると信じます。また主教団を形成する教区主教の皆様が、共同の主教職として共にこの務めを担ってくださることを信じています。

 主教また首座主教に求められているのは何かと考えています。それが政治的手腕や財政的先見、または深い学識や卓越した指導力だとしたら、私は残念ながら失格です。私は政治家でも経済学者でもなく、また神学者でもないし、カリスマ的な指導者でもないことを自認しています。そのような力量も器用さも持ち合わせていませんが、それでもこれまで一人の聖職者として生かされてきたことを、今私は改めて思い起こしています。

 牧師であることを私は大いに楽しんで生きてきました。礼拝・祈りをし、聖書に聴き、信徒や人々に会うこと。これらはいつも私に生きる意味を教え、力を与えてくれます。教区主教として各教会を巡回し、共に礼拝を捧げ、食し、語り合うお恵みの他に、幸いなことに現在も教会の牧師として、病院や家庭を訪ねて聖餐式をし、臨終に立ち会い、また幼稚園でもチャプレンとして幼子やその家族の方々との交わりの中で、笑い、涙し、葛藤し、祈る機会があります。私にとって、主教、そして首座主教であることは牧会の現場の中で、まず牧師として生きることではないかと思います。

 日本聖公会をめぐる状況は大変厳しいと認識してはいますが、教会はいつの時代も決して順風満帆の中で歩んできたのではないことも確かです。危機感を持つことは大事ですが、それでもあせったり悲観的になったりせず、まず私たちが信じているキリストに必ず力があり、希望があり、解決があることに自信と喜びを持つこと、そのために祈り、聖書に聴き、礼拝に集うこと、そこから始めたいと思うのです。





日本聖公会第56(定期)総会を終えて


管区事務所総主事 司祭 ローレンス 三鍋 裕

 昔、ある老主教が言っておられました、「カトリックの神父が言っていたけれど、信徒が増えないのは神さまが働いておられないからだよ」。カトリックの神父さんだけではなく、ご自分もそう思っておられたのでしょう。労多くして実りの少ない宣教の場に遣わされようとしている若い私に、「実りが少ないからといって落胆しないように。与えられた務めに忠実でさえあれば良い」との励ましだったのでしょう。あるいは「仕事が上手くいっても、それはお前の努力や知恵によるものではない。神さまのお働きなのだから、決して思い上がることのないように。」との戒めだったかもしれません。不幸にして−この戒めは不要だったようですが。

 そんなことを思い出しながら、まだ仮締めの段階ですが、昨年の統計表を見ています。現在受聖餐者数19,291名。まあ、現在受聖餐者の数は当てになりません。皆が元気をなくすといけないからと緩やかに数える場合もありますし、教区への分担金が増えないように厳密に数える場合もありますから。それでも統計表は信徒数の減少という全般的な傾向は示しています。2000年末の20,826名から5年間で1,535名の減です。悲観的に見えます。でも、私にはあまり悲観的には感じられないのです。どの時代もそうですが、色々な困難があります、意見の違いもあります。でも一緒に励まし合いながら歩んできました。これからも同じでしょう。神さまのお働きの顕われ方は、わたしたちの期待とは違うのかもしれません。み旨の中に生かされるものとして、教会が悲観的過ぎる理由はないように感じられるのです。もしも数字は数字として問題だとするのなら、2004年と2005年を比べれば、全体の1主日当たりの平均陪餐者数は約200名が増加しています。一人当たりの献金額も僅かですが増加しています。大切なことは悲観でも楽観でもなく、皆で励まし合いながら与えられた務めに忠実であることではないでしょうか。

 総会が終わりました。諸報告の承認と議案の審議がなされましたが、可決された主な議案は主教選挙に関する定めの改定、女性問題担当者の任命、女性聖職の働きに関する調整委員会の設置、セクシャルハラスメント防止機関並びに相談窓口の設置、教区間協働に関する件、宣教150周年記念礼拝の実行委員会、また祈祷書に新たな改正が加えられました。どの議案も重要議案ですが、やはり聖歌集が改訂されたのは大きなことで、わたしたちの礼拝を新しくすることになりましょう。どれも日本聖公会をより良い教会にするために長い間の準備を経て提案され、可決された議案です。

 決算・予算も承認されました。管区事務所からの切なるお願いは、管区事務所は総会で可決承認された予算にしたがって職務に当たるということを是非ご理解いただきたいのです。これは良いことだからドシドシ金を出せと無茶をいわれては困るのです。そうでないと総会の審議の意味がなくなります。

 主教・司祭は男性に限るという議案は否決となりました。それぞれの信仰が言葉で表現されるとき、それは神学となります。しかし、なかなか一つの神学になりません。違った神学と神学が出会うときにお互いに深められ、あるいは新しい気付きが与えられるのでしょう。お互いに聴き合うのも「神を学ぶ」道の一つでしょう。アメリカ聖公会の総会では女性が総裁主教に選ばれました。優れたお方なのでしょうが、色々な反応が出るかもしれません。しかし神さまご自身のお働きの器として召された者として、お互いへの尊敬を忘れない神学でありたいと願います。

 なぜか冒頭の老主教の言葉を思い起こしています。「花は紅、柳は緑」。それぞれに良さが与えられているということでしょうが、私もその理屈で拾ってもらいました。「恩寵の大河を悠々と流れて行こうや」。カリカリせずに、バタバタ慌てずにでしょうか。違いがあっても「新しい聖歌集」で一緒に賛美を歌う余裕を持たないと…。この次々と話題の多いときにこそ、先ず生きて働いておられる神さまに聴き、お互いに聴き、一緒に賛美する教会の姿を大切にしたいと思うのです。



教区制改革委員会から


 教区間の協働
 こんな事例、こんなアイディア(2)


教区制改革委員会委員
京都教区主教 高地 敬


教区制改革委員会では、教区同士が互いに知り合い、将来の教会共同体のあり方を探るために、より豊かな教区間協働を進めようと呼びかけています。今年に入ってからの事例をご紹介します。参考にしていただければ幸いです。


@ 3月28日〜4月1日、九州教区主催「長崎に立つ2006」
 参加者は、九州教区13名、東京教区3名、中部教区1名、京都教区6名、神戸教区3名。
A 4月29日、京阪神3教区の有志によるサッカー大会と交流会 27名参加 8年目、第16回。
B 5月13日、柏聖アンデレ教会伝道所が教会として設立認可される。
 関東三教区(横浜・東京・北関東)の協働が結実したもの。
C 5月31日(水)〜6月1日(木)、草津において北関東・中部教区合同教役者会を開催。
 それぞれの教区の現在取り組んでいる宣教課題を共有する。
D 6月20日〜22日、京都教区教役者修養会に大阪教区教役者が参加
 大阪教区は昨年よりも積極的な関わりを予定している。
E 9月9日、大阪教区、京都教区合同の礼拝セミナー
 この準備のため、両教区の担当者の合同会議を5月29日に予定。

大阪教区と京都教区は、教区制改革委員会からの要請を受けて、教区間協働のモデル教区となることを了承しています。


以前ご紹介したアイディアはこちら



台湾のハンセン病療養所を訪ねて

宣教主査 司祭 エレミヤ・パウロ 木村 直樹


 5月1日から6日まで、カトリックさいたま教区の「イエスの食卓献金伝達大使」の一員として、台湾を訪問する機会を得ました。イエスの食卓献金とは、毎週金曜日の食卓に主イエスを招き、その食事代を献金するという運動で、集められた献金はアジア地域に贈られます。ただ献金を贈るだけでなく、その地の人びとと交流するのが、伝達大使というわけです。今回は台湾が選ばれ、ハンセン病療養所である楽生院と台東の先住民のカトリック教会とを訪問しました。

 わたしは25年前に、楽生院内の教会で宣教師をしていたことがあり、楽生院を訪問すると聞いて、参加させてもらいました。
日本において、ハンセン病は、1996年のらい予防法廃止、2001年の国家賠償請求訴訟の勝訴などで、社会に関心を呼びましたが、それまでは、日本の療養所は完全に社会から隔離され、人びとから忘れ去られた存在だったことは、皆さんもご存じだとおもいます。

 25年前の楽生院も同じような状況でした。訪れる人といえば、宗教関係者が主で、一般の人の訪問はほとんどありませんでした。ただ日本と違い、治療薬が登場した1950年代からは、強制隔離、強制断種などは行われなくなり、院内で生活する回復者の中には子供と一緒に生活している人もいました。

 今回の訪問で驚いたのは、療養所の回復者が自治組織を作り、国や自治体と闘っている姿でした。闘いの目的は楽生院の建物保存です。楽生院のある新荘市は現在、台北市の郊外ということもあって、住宅地となっています。そして都市政策の一環で、楽生院を壊し、地下鉄の整備工場にする計画が持ち上がり、すでに半分近くの建物が壊されていました。

 楽生院は1930年の日本時代に建てられ、その当時の建物が現在も残されています。この建物の歴史的価値を、この地を訪問した建築を学ぶ台湾の大学生たちが見出し、彼らは建物保存を求めて楽生青年連盟を作り、保存運動を始めました。療養所で暮らす人びとは、この運動と、日本におけるハンセン病回復者たちの人権運動に励まされて、自治組織である楽生保留自救会を結成したのです。

 25年前に出会ったTさんは、当時、酒と博打で日々を過ごしていました。ところが今は、人権回復運動の先頭に立っています。彼はわたしに次のように言いました。「あの頃は、この療養所の中で死を待つばかりだった。未来がなかった。でも今は、学生たちが自分たちを支援してくれている。人権が自分たちにもあると分かった。だからこうして闘っている。」この闘いと何らかの形で連帯したいと願っています。




第2回パキスタン出張報告



管区事務所渉外主事 八幡眞也

期間:2006年2月24日から3月20日(第2回派遣)

滞在場所:パキスタンNorth West Frontier Province BalakotのShohal Tent Village

メンバー:聖路加国際病院医師・看護師
2月24日〜3月6日:医師:1名、看護師1名、調整員1名
3月3日〜3月13日 :医師2名、看護師1名、調整員1名
3月10日〜3月20日:医師1名、看護師2名、調整員1名
3月13日〜3月16日:田代聖路加国際看護大学教授
2月24日〜3月20日:八幡眞也


○現地の状況(ショハールテント村)

 前回訪問と比較してテント村全体が明るくなっていた。前回訪問の際は各家庭のテントの外に出ている人を見掛ける事が非常に少なかったが、今回は子どもはテントの外で自由に遊んでいるし、男性成人はグループを作って雑談をしている光景をよく見かけた。

 当初からこのテント村は2006年3月末で閉鎖すると言われていた。前回の訪問の際は住人がテント村に移ってきた直後であり、また季節的に冬に向かっていたのでこの事を真剣に受け止める余裕が無かったようであるが、今回は住民全員が真剣に受け止めていて、滞在後半の時期には所持品をすべてトラックに積み込んで村を出て行く人が全体の約30%あった。軍の部分的な撤退も開始されていた。

 テント村の外の状況がかなり変化していて、多くの医療関係のNGOが撤退していた。その中で一番インパクトがあったと思われる変化はUAEの医療施設の撤退である。1日平均500名の患者に対して医療活動を行なっていた。この大きな医療施設が無くなったので我々の運営しているショハールテント村の診療用テントBHU(Basic Health Unit)にテント村以外の患者が増えた事は理解できる。


○医療活動

 現地人による医療体制は医師1名、看護師1名、薬剤師1名、ラボテクニシャン1名、整体医療師1名であった。医師以外の医療内容はきちんと決まり事があるのではなく、必要な事を各自がやっているという感じであった。

 この中で聖路加国際病院の医師達はテント村のBHUで医療行為をしたり、週1〜2回の頻度で巡回医療活動に行ったりした。BHUでは1日60名程度の患者数、4輪駆動車による巡回医療では1箇所10名〜40名程度であった。診療開始3日後に現地語と日本語間の通訳を雇用する事が出来たので、医療活動は非常にスムースに行なえた。

 現地医師は日本人医師達の技術力を高く評価し、患者への対応の仕方に関しても高く評価していた。協働作業が出来た事は日本人医師達にとっても現地人にとってもとても有意義であったし、良い人間関係を築く事が出来たのはとても良かった。このような医療活動が出来た理由の一つは現地の通訳を活用できた事である。この通訳は現地医師のナシールさんが紹介してくれた2名の内の1名で、充分な日本語で活躍してくれた。彼自身も被災者の1人であり、また、他の被災者の支援活動をしていた中でこの通訳の機会に出会ったようである。現地の生活様式や文化などに関しても解説してくれる場合があり、理解を深める事が出来た。


○田代教授(聖路加看護大学)のペシャワール訪問

 聖路加看護大学がどのような形で被災者支援活動に参加できるかを調査するために、ペシャワール教区被災者支援活動の責任者達(Mr. Pervez Ghouri, Dr. David Johnson)と協議した。私はバラコットに滞在する必要があったのでこの協議には参加できなかったが、後で受けた報告によれば、看護大学大学院生のカリキュラムの一部として、現地看護師・助産師の教育の一環を担う事などが具体的に協議された。この訪問を機会に今後の方向付けに関して看護大学とペシャワール教区が直接協議をしてもらうことになった。


○ミッションホスピタルの支援

 被災者の支援を継続するためにはベースとなるペシャワールのミッションホスピタルを再建する必要がある。総合病院として再建するために金銭的支援が必要である事が訴えられた。病院の建物の再建と医療器具の整備などに約5万ドルが必要である。ペシャワール教区がこの金額全額を負担する事は不可能であり、外部の関係団体に支援を仰がなければならない。日本聖公会が一部支援が出来るか否かを検討する必要がある。

 また、人的な支援に関してはミッションホスピタルと聖路加国際病院の間で直接協議してもらうように手配した。ミッションホスピタルの責任者であるMr. Ghouriや医療活動の責任者であるDr. David Johnsonと聖路加国際病院の玉木さんや石松医師の間で協議して頂く。


○被災地(バラコット)視察

 今回の3グループにも勿論バラコット視察の機会を作った。被災後既に数か月が経過していた事もあって現地では仮設の建物がどんどん出来ており、今の時点で被災状況を正確に把握する事は不可能であった。商店もかなりの勢いで出来ていて一見そこだけを見ていると何事も無かったような錯覚を起こす。

 ようやく入手した災害前のバラコットの状況を写真で見て、災害がいかに酷かったかが良く理解できた。写真で見られる沢山の数階建ての建物がほぼ全数全く後かたを残さず無くなっている。残っているのは瓦礫のみ。このような状況の中でテント村を退出して元住んでいた所に帰らなければならない事は、心理的にきついと感じる人が多いであろう事は容易に想像できるし、実際ショハールテント村の住人達でテント村退出に関して快く思っていない人は多々ある。この事を管理している軍関係者に訴えていた。


○パキスタン人と接して感じた事

 前回と今回の訪問で何人かのパキスタン人と接したが、その際に私が感じた事を述べてみたい。

 時間に関してはのんびりとしている事が多いが、殊に食事時間は朝食が9時頃、昼食が2時、夕食は8時以降と私が日本で経験している事との差が大きかった。約束の時間を決めても幅があり少なくとも1時間の誤差を考えておかなければならない。

 客をもてなす事に関してはとても徹底している。チャイ(ミルクティーでとても甘い)とクッキーや食事でもてなす事が多いようだ。訪問すると必ずチャイでもてなしてくれる。もてなしが良くても時間の感覚に欠けているので問題が起こる事がある。第5グループが日本に出発するため、イスラマバードの空港に行く際に現地人の家に立ち寄って家族とお茶を一緒にしてほしいと言われた。パキスタン流の時間の感覚を考慮すると、どんな事があっても空港には出発2時間前迄に到着していなければならないと考えているにもかかわらず、その時刻になってもなかなか車を出してくれそうでなかった。仕方なく失礼を承知で強引に飛行場に行くように指示をした。

 このように、もてなしが時には押し付けに近くなってしまう事を何度か経験した。私達が海外からお客様を呼んでもてなす際に、同じような間違いを起こさない事が大切である。




聖路加国際病院のパキスタン北部地震医療支援活動の推進に尽力された同病院医事課マネージャー玉木真一氏が、6月4日、急逝された。この活動の中で果たされた氏の役割を思うと、誠に残念である。どうか、彼によって点された灯火を絶やすことなく、引き継がれていくように願っている。
これまでの玉木氏の働きを憶え、感謝と哀悼の意を表します。





日本聖公会内聖職・信徒・求道者の皆さま


2006年6月25日
日本聖公会管区事務所
総主事 三鍋 裕

第56(定期)総会は、日本聖公会祈祷書等に関する以下の決議をいたしましたので、お知らせいたします。

1. 決議第14号 日本聖公会祈祷書一部改正の件
日本聖公会祈祷書中の『使徒信経』の一部を以下のとおり改正することに協賛を求める。
〈下線部:改正(挿入)部分〉*

わたしは、天地の造り主、全能の父である神を信じます。また、その独り子、わたしたちの主イエス・キリストを信じます。主は聖霊によって宿り、おとめマリヤから生まれ、ポンテオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、よみに降り、 三日目に死人のうちからよみがえり、天に昇られました。そして全能の父である神の右に座しておられます。そこから主は生きている人と死んだ人とを審くために来られます。
また、聖霊を信じます。聖なる公会、聖徒の交わり、罪の赦し、体のよみがえり、永遠の命を信じます アーメン



2. 決議第12号 聖餐式において用いる詩編を確定する件
『日本聖公会祈祷書』(1990年)、聖餐式文中の旧約聖書朗読後の詩編について、別表のとおり確定する。**


3. 決議第13号 日本聖公会祈祷書中の教会暦の一部を読み替え、その試用を認める件
祈祷書中の教会暦のうち、「降臨節前主日」の名称を「聖霊降臨後最終主日・キリストによる回復(降臨節前主日)」と読み替え、次期総会までの間、試用することを承認する。


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*祈祷書の改正は、連続する2回の定期総会の議を経て確定いたします。今回は第1回目の決議です。祈祷書の改正について、日本聖公会法憲第13条の規定は、次のように定めています。

法憲および日本聖公会祈祷書は定期総会の協賛を得た上次回定期総会に提出し出席議員3分の2以上の同意を得て確定する。
「使徒信経」は、祈祷書はさみ込み用のカードを作りますので、希望数をお申し出ください。ただし、現在信徒数を越える枚数分は、有料といたします。

**「旧約聖書朗読後の詩編」は別添




管区事務所だより Jun. 01

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