「イエス・キリストの福音」マルコによる福音書1:1
キリスト教になじんでいる方は、この言葉の組み合わせが特別な意味を持っていることにかえって気づかないかもしれない。このマルコによる福音書の冒頭の言葉は、「イエスさまが救い主であるメシアすなわちキリストであること、そしてそれが喜びの知らせであり、それがどういう意味なのかを、これから書いていきますよ」と言っていると思われる。そしてマルコによる福音書は、イエスさまが全く人間として、しかも「神に見捨てられたような」惨めな姿で十字架で殺されたことに、イエスが本当の意味での救い主キリストであることを描こうとしている。その意味を弟子たちは、イエスと共に活動している間は、全く理解できていなかったことがはっきりと記されている。むしろ弟子たちではなく、イエスの十字架での死に方を見て、ローマ軍の兵士である百人隊長に「本当に、この人は神の子だった」(マルコ15:39)と言わせている。イエスさまの生き方、死に方そのものが、キリストであるとはどういう事かを示しており、そこに心の目が開かれる人にとって喜びの知らせになるのだと言いたいのではないだろうか。(司祭 シモン・ペテロ上田憲明)