ヨハネは言った。「私は、預言者イザヤが言ったように『主の道をまっすぐにせよ』と荒れ野で叫ぶ者の声である。」ヨハネによる福音書1:23
自分が何者かという問いにどう答えるでしょうか?自分の生きている意味、自分の本質、生涯の目的は何でしょうか?ヨハネの答えは「荒れ野で叫ぶ者の声」。しかもこのヨハネは先主日のマルコによる福音書1章6節を見ると、「らくだの毛衣を着」と書いてあります。逆に言うと、それしか着ていなかったのではないかと思われます。それで表そうとしているのは、エデンの園を追い出された直後のアダムとエバの姿です。神さまの言いつけに従わなかった結果としてエデンの園には、いられなくなってしまった裸のアダムとエバに「神である主は、…皮の衣を作って着せられた」(創世記3:21)とあります。それは、罪の結果も象徴していると同時に、それにも関わらず神さまが恵みを与えている象徴でもあるのでしょう。「荒れ野で叫ぶ者の声」として、バプテスマのヨハネのメッセージは、厳しい側面を持つと同時に、ありのままの人間をなお愛そうとしてくださる神さまを伝えようとしたものなのでしょう。(司祭 シモン・ペテロ上田憲明)