聖路加国際大学 聖ルカ礼拝堂

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2024年3月3日 大斎節第3主日(2024/03/01)

「・・私の父の家を商売の家としてはならない」(ヨハネ福音書2:16)
ユダヤの三大祭りの一つとされる「過越祭」(Passover)、この祭りに込められたユダヤの人々の思い、それは彼らにとってはエジプトの奴隷生活からの解放を象徴する祭りでした。イエスご自身はこの祭りの最中 熱気に渦巻くエルサレムに上られ、そこで目にした現実に驚愕し、激しい怒りを覚えておられます。彼が「父の家」と呼ぶエルサレム神殿を人々が「商売の家」としていたからでした。彼らがそのような行為をするには彼らなりの理由(?)があったことでしょう。神殿礼拝では「羊や牛」それら犠牲に捧げる動物を買い求めるための「両替」の必要があったことでしょう。これらの犠牲の奉献は彼らの神殿礼拝にとって必須だったと言われます。しかし、イエスは彼らの態度に接して、「縄で鞭を造り、…追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し・・」と、福音書で私たちが接しているイエスとは真逆に思える荒々しい行為をされます。その姿に接して弟子たちは思い出します。「あなたの家を思う熱情が私を食い尽くす」との詩編(69:10)の言葉を。ユダヤの人々の神殿への熱心な思いが偶像礼拝へと歪められ「私を食い尽くす」と。神殿礼拝が偶像礼拝に変質してしまっていることへのイエスの激しい怒りが、このような行動を産んでるのではないでしょうか。「しかし,まことの礼拝をする者たちが、霊と真実を持って父を礼拝する時が来る。今がその時である」(ヨハネ4:23)。
今日の福音に記されているイエスの激しい怒りに接して、私は時に怒りは相手や現実を思う熱心または愛が産み出す熱情ではないか、と思います。怒りは「無関心」の対極にあるように思います。(司祭 バルナバ 関 正勝)

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