聖路加国際大学 聖ルカ礼拝堂

今週のメッセージ詳細

今週のメッセージ

TOP > 今週のメッセージ詳細

2024年8月18日(聖霊降臨後第13主日)(2024/08/20)

チャプレン ヨナ 成成鍾司祭
「 共食い 」

===

わたしの肉を食べ、
わたしの血を飲む者は、
永遠の命を得、
わたしはその人を終わりの日に復活させる。
(ヨハネ6:56)

===

<福音書> ヨハネによる福音書 6章53~59節


イエスは言われた。


「はっきり言っておく。

人の子の肉を食べ、
その血を飲まなければ、
あなたたちの内に命はない。

わたしの肉を食べ、
わたしの血を飲む者は、
永遠の命を得、
わたしはその人を終わりの日に復活させる。

わたしの肉はまことの食べ物、
わたしの血はまことの飲み物だからである。

わたしの肉を食べ、
わたしの血を飲む者は、
いつもわたしの内におり、
わたしもまたいつもその人の内にいる。

生きておられる父がわたしをお遣わしになり、
またわたしが父によって生きるように、
わたしを食べる者もわたしによって生きる。

これは天から降って来たパンである。

先祖が食べたのに死んでしまったようなものとは違う。

このパンを食べる者は永遠に生きる。」


これらは、イエスがカファルナウムの会堂で教えていたときに
話されたことである。



<メッセージ>


「 共食い 」

アメリカ文学史上最高の傑作の一つ、世界の十大小説の一つとも称される『白鯨 (原題:Moby Dick)』という長編小説があります。義足の船長と彼の足を奪った巨大な白いクジラとの壮絶な戦いを描いた冒険物語です。作家のハーマン・メルヴィル(Herman Melville、1819-1891)は、海洋史に残る有名な悲劇である捕鯨船エセックス号(Whaleship Essex)の沈没事件からインスピレーションを得たそうです。1820年南太平洋に出航した捕鯨船エセックス号は、巨大な鯨に体当たりされ船が転覆し、奇跡的に3か月ぶりに救助されましたが、21名だった船員は8名になってしまいます。その捕鯨船の沈没が事件だと言われることには理由があります。それは球状された8名がほかの船員たちの肉を食べることで過酷な状況から生き残ったからです。人が人の肉を食べる共食行動としてカニバリズム(cannibalism)の一つの例ですが、文化人類学においては稀に見られる現状でもあります。

かつてキリスト教も共食い集団であるという噂が広がっていた時がありました。キリスト教が生まれて初期ごろのことですが、それは礼拝で「キリストを食す」という言葉が交わされたからです。キリストに従った弟子たちによって始まった教会は、キリストの教えである福音を徹底的に実現しながら生きようとしていたため、国やユダヤ教などの秩序を脅かす思想を持つ危険な新興宗教だと認識されました。それで迫害の中にあったキリスト者たちは、カタコンベ(catacomb)という地下の墓地に隠れて礼拝を捧げました。ところが、その地下からわずかに聞こえてくる礼拝の声、ことに「取って食べなさい。これはあなた方のために与える私の体です。皆この杯から飲みなさい。これはあなた方のために流す私の新しい契約の血です。」という言葉を、キリスト教と無縁の誰かが聞いたとすれば、それはかなりの驚きでぞっとする言葉だったでしょう。人を殺してその死を記念し、共食いする秘密の儀式でも行っているのではないか、と思われてもおかしくない状況だったわけです。今の時代においても誤解を招くような要素はあります。例えば、殆どの教会の礼拝堂や聖堂の真正面に十字架が高くかけてあることもその一つです。十字架に苦難のキリスト像がついている場合、その十字架の下にある祭壇に立った司祭が、何度もキリストの体と血のことを語りながら聖餐式を捧げると、キリスト教について理解が浅い方々は、キリスト者たちは十字架上の死者を眺めながら礼拝していると思われることもあるのです。

しかし、教会が捧げている聖餐式は、死者を崇めながらその死者の肉と血を共食いして永遠なる命を得ようとする秘密の儀式ではありません。聖餐式は、死者としてのキリストではなく、あらゆる死に打ち勝って復活されたキリストのことを憶え、そのキリストによって私たちにも新しい命が与えられるということを記念する礼拝なのです。それゆえ、キリストの体と血は死ではなく命の象徴として、今も私たちを永遠なる命へと導いてくれて生きている恵みなのです。そういった意味で、聖餐式の中でキリストを食すということは、動物や昆虫の生態によくある共食い、または人類の歴史の中で稀に見られるカニバリズムとは違う次元の営みなのです。

今週のメッセージ一覧へ