聖路加国際大学 聖ルカ礼拝堂

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2024年11月10日(聖霊降臨後第25主日)(2024/11/13)

チャプレン ヨナ 成成鍾 司祭
「 奉献 」(マルコ12:38-44)

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「この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである。」
(マルコ12:43-44)

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「 奉献 」

 聖路加チャペルでは、日本の他のチャペルや教会ではなかなか見られない珍しい光景があります。それは、日曜日の礼拝の前、聖餐式に参加する人自らが陪餐の時に自分が頂くようになるパン(信徒用ウエファース)一つを器に移してから席に着く、ということです。聖餐によってもたらされる恵みにより深く与るため、一人ひとりが事前に行う具体的で直接的なパフォーマンスとも言えます。それの然るべき意味についての理解を得るためには「奉献」と「献金」の違いについて知る必要があります。

 聖公会の聖餐式には、式次の途中、真ん中あたりに奉献という部分があります。他の礼拝では献金と言うこともありますが、聖餐式では奉献という言葉を使います。献金だとお金を献げることになりますが、奉献だとお金以外のものも献げるという意味になります。ではお金以外に捧げるものとは何でしょうか。奉献という文字は、漢字で奉ずることと献げることを意味する漢字が組み合わさっています。似ている漢字ですが、あえて分けて考えてみますと、奉ずることは生活の多くの部分を示しているお金を奉じることを意味し、献げることは聖餐式のために用いるパンとぶどう酒を通じて、自分自身を象徴的に献げることを意味します。それで伝統的に教会は奉献の時、献金だけではなくパンとぶどう酒も一緒に献げ、司祭は十字を切って二つを同時に祝福するのです。礼拝の前に自分が頂くパンを器に移す行為には、まさに自分自身を捧げるという象徴的な意味が込められているのです。そういう意味で聖餐式とは、キリストを通して、キリストと共に私たち自身をも献げる礼拝だと言えます。

 今日の旧約聖書(列王上17:8-16)と福音書には、それぞれ貧しいやもめのことが取り上げられて、私たちに求められるまことの奉献にとは何かについての模範が示されています。旧約聖書に登場する女性はパンを、福音書に登場する女性はお金を捧げましたが、彼女たちが奉げたのはただパンとお金だけではありませんでした。二人ともにわずかなものしか捧げることができませんでしたが、彼女たちはそれを通して心、思い、行い、つまり自己存在のすべてを奉献したわけです。まるで仏教で「南無阿弥陀仏」という念仏を唱えながらすべてを阿弥陀仏に帰依(「南無」の意味)することを願うように、彼女たちも自分の命までも神様に委ね、自己存在のすべてを神様に捧げたわけです。

 そして、今日の使徒書(ヘブライ9:24-28)は、そのような奉献の精神を完璧に成し遂げて表した一人の人物について伝えています。その方は救い主イエス・キリストです。キリストは、まことの奉献の最も完全なパターンを示してくださいました。神の子でありながらも生まれること、生きること、死ぬこと、また復活することまでも、すべてを私たちのために捧げられたキリストは、存在自体が奉献そのものだと言えます。それゆえ、キリストを主として告白するキリスト教は奉献の宗教であり、キリスト者は奉献の人生を送る人々だとも言えるわけです。キリスト者である以上、奉献の人生を送らなくてはなりませんが、それはキリスト者の宿命です。主でおられるキリストが、奉献の道を歩まれ、奉献そのものの道になられ、私たちをその道へと導いてくださったからです。「天の父よ、私たちはみ子によって、心も体も生きた供え物として献げます。どうか、聖霊によって私たちをこの世に遣わし、み旨を行なう者にならせてください。」(聖公会「祈祷書」182P)これは、聖餐式の中で霊的な糧である聖体を頂いた後に献げるお祈りです。この告白が、私たち皆の奉献の人生を通して成し遂げられますように願います。


<聖書>マルコ福音書12:38-44

38イエスは教えの中でこう言われた。「律法学者に気をつけなさい。彼らは、長い衣をまとって歩き回ることや、広場で挨拶されること、 39会堂では上席、宴会では上座に座ることを望み、 40また、やもめの家を食い物にし、見せかけの長い祈りをする。このような者たちは、人一倍厳しい裁きを受けることになる。」

41イエスは賽銭箱の向かいに座って、群衆がそれに金を入れる様子を見ておられた。大勢の金持ちがたくさん入れていた。 42ところが、一人の貧しいやもめが来て、レプトン銅貨二枚、すなわち一クァドランスを入れた。 43イエスは、弟子たちを呼び寄せて言われた。「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。 44皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである。」

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