聖路加国際大学 聖ルカ礼拝堂

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2025年5月11日(復活後第4主日)(2025/05/09)

チャプレン ヨナ 成成鍾 司祭
「 声なき声 」

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「わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。」

(ヨハネ10:27)

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逆説(パラドックス;paradox)、それはキリスト教の真理について、真理そのものである神様について表現するのに最も適している表現法だと言えます。例えば、神様のことは、「力なき力」・「姿なき姿」・「声なき声」という矛盾しているかのように聞こえるが、むしろ論理や文法を超えている言葉で語られます。少し説明を加えますとキリスト教が信じている神様は、愛そのものとして、多くの人々に仕えながら無力に十字架にかけられて死にましたが、その死を通してすべての死に打ち勝った存在であるから「力なき力」なのです。慈悲そのものとして、今も悲しみや苦しみの中にある人々のところに、誰かの仮面を被って近寄ってきては友となってくださる存在であるから「姿なき姿」なのです。また真理そのものとして、人々を救いへと導くためにあらゆる音や人々の声を通して教えてくださる存在であるから「声なき声」なのです。ことに「声なき声」の神秘について今日の福音書は「羊と羊飼いのたとえ話」を用いて伝えてくれます。

キリストの当時、中東地方には羊を飼って生計を立てる人が多くいました。経済的に余裕のない大半の羊飼いは村にある共同の囲いを使いました。共同の囲いには門番がいて夜の間に狼や泥棒から羊を守りました。朝になったら、羊飼いたちは自分の羊たちを呼び集めて水と草のあるところへと連れていくのです。ところが、何百匹の中で自分の羊を見分けることは簡単なことではありませんでした。それで羊飼いたちは自分の羊だけが聞き分ける音を出すか、或いは羊の数が少ない場合には名前をつけて一匹一匹を呼びます。すると羊たちは飼い主の前に集まり、羊飼いは先頭に立って命の草原へ連れて行きます。このような背景で、キリストはご自身のことを羊飼いに、私たちのことを羊にたとえて「私の羊は私の声を聞き分ける。私は彼らを知っており、彼らは私に従う。私は彼らに永遠の命を与える。」(27‐28節)と語られました。これは羊にとって羊飼いはなくてはならない存在であるように、キリストの声を聞き分けることが私たちの救いのためにいかに大事なのかについての教えです。聞き分けるとは、何かを聞いてそれについて分かるということを意味します。順番としては先ず聞くことがあって、その後それが何かを分かる、つまりどういう意味なのかを知るようになります。耳を澄まして聞くことは知ることの大前提なのです。
キリスト教の信仰は、聞くことから始まると言っても過言ではありません。聞いたことが心と共鳴し内面化されることによって信仰は少しずつ深まっていきます。キリストの声、つまりみ言葉のことを別の言葉では福音と言います。英語ではゴスペル(gospel)と言いますが、語源ではゴッド・スペル(god-spell)、つまり良い(good)知らせ(spell)という意味です。ところが、良い知らせとして福音は、世の中のあらゆるものの中から聞き取れます。聖書や礼拝の中だけではありません。自然の中でよってくる風の音や鳥の鳴き声、友達など人の話を通しても聞こえてきますし、小説や詩、絵や音楽などの芸術作品、さらには日常のニュースを通しても聞こえてくるのです。つまり、世の中のすべてを通してひとり一人に向けられた良い知らせは常に聞こえてくるわけです。

私たちに問われることは、いつでも聞こえてくる良い知らせに耳を澄まして聞き分けられるかどうかです。それゆえ、聞こえてくる音や声に、そのささやきに耳を澄まし、心で感じてみてください。すると様々な音がそっと運んでくれる真理に、また人々の声の向こう側にあるみ声に触れるようになります。先ず耳を澄まして聞きますと心が共鳴するようになり、心が共鳴しますと理解するようになり、理解しますと愛するようになり、愛しますと人生そのものが変わるようになります。それゆえ、耳を澄ますことを祈りや黙想のひと時だと言えるのです。皆さん、まず聞こえてくる声や音に耳を澄ましてみましょう。するとそれらが私たちを「声なき声」の世界、つまり形や束縛から解放された救いと真理の世界へと案内してくれます。                  



<福音書> ヨハネによる福音書10:22-30

22そのころ、エルサレムで神殿奉献記念祭が行われた。冬であった。 23イエスは、神殿の境内でソロモンの回廊を歩いておられた。 24すると、ユダヤ人たちがイエスを取り囲んで言った。「いつまで、わたしたちに気をもませるのか。もしメシアなら、はっきりそう言いなさい。」 25イエスは答えられた。「わたしは言ったが、あなたたちは信じない。わたしが父の名によって行う業が、わたしについて証しをしている。 26しかし、あなたたちは信じない。わたしの羊ではないからである。 27わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。 28わたしは彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない。 29わたしの父がわたしにくださったものは、すべてのものより偉大であり、だれも父の手から奪うことはできない。 30わたしと父とは一つである。」

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