聖路加国際大学 聖ルカ礼拝堂

今週のメッセージ詳細

今週のメッセージ

TOP > 今週のメッセージ詳細

2025年5月25日(復活後第6主日)(2025/05/23)

「 VUCA時代 」

VUCA(ブーカ)という言葉があります。四つの英単語の頭文字でできている新造語です。V(Volatility)は変動性、U(Uncertainty)は不確実性、C(Complexity)は複雑性、A(Ambiguity)は曖昧性のことを指します。ソ連の崩壊後に生まれた軍事用語でしたが、今は経済・政治・環境・教育など社会全般において使われています。あらゆるものを取り巻く環境の複雑さが増し将来の予測が困難な状況にある今の現代は「VUCA時代」と呼ばれています。新型コロナウイルス(COVID-19)をはじめとする感染症時代の再到来、ロシアによるウクライナ侵略やイスラエルによるパレスチナ人虐殺など自国優先主義による戦争や紛争の勃発、干ばつや洪水、地震や津波など環境破壊による自然災害の増加、終わりが見えてくる新自由主義的な資本主義の暴走による世界的な経済恐慌の噂など、毎日のように予想したこともない不穏なニュースに接する際に、私たちは日々の平安と平和が訪れることを願って祈ります。日常の平安と平和を祈る気持ちになることは、宗教や理念を超えて今の時代を生きている誰にとっても自然的なことです。ところが、私たちが求めている平和とは、そもそも何なのでしょうか。単に災害や戦争など不幸な出来事に巻き込まれないで安心した暮らしができるような状態のことなのでしょうか。

キリスト教の平和はシャーローム(šālôm)という言葉で表現されます。挨拶の言葉でもあるシャーロームは、相手の日頃の安泰のことを確認しながら祝福する言葉です。シャーロームは多様な意味として用いられますが、社会的には戦争や飢饉などのない安定された状況を示し、個人においては心配や不安、病や苦痛などのない内面的な平安の状態のことを意味します。また神学的には、神様との関係を始めとして隣人や被造物との関係回復、つまり創造秩序の回復と救いの成就こそが具現すべきシャーロームの本来の意味です。そういった側面から考えてみますとシャーロームで表現されるキリスト教の平和とは、決して個人の内面的なことだけでも社会的な状況のことだけでもなく、また一時的なことでもないということが分かります。聖書とキリストが語られた真の平和とは、統合的かつ恒久的なものとして、他の言葉では救い、また神の国の具現というふうに表現することができる概念であるわけです。

聖書には平和が具現された理想郷のことが記されていますが、その中でも創世記に記されているエデンの園は究極的なものだと言えます。エデンの園とは神様と共に生きられる場所のことです。それゆえそこでは過ぎ去った過去についての後悔も、まだ来ていない未来についての不安もなく、命の源である神様と共に今現在を生きながら永遠なる命を味わい楽しむようになります。また自分と他者を分けることも、人間と自然が対立することもないので、武器はもちろんのこと自分を保護することを象徴する服さえも必要とされません。そのように、救いと神の国の原型であるエデンの園は、神様と共に生きることを通して得られる真の平和とは何かについて示してくれます。

そのエデンの園の回復こそ、真の平和を求める私たちが目指すべき信仰の頂点であるわけですが、次のアッシジの聖フランチェスコ(Francesco d'Assisi、1182-1226)の言葉は、先行きが不透明で将来の予測が困難な今のVUCA時代を生きている私たちに大きな示唆を与えてくれます。“口で平和を語る前に、先ずその平和が、あなたの心に満ち溢れなくてはならない。”キリストの平和とは、口で伝えるものである以前に自分の体で感じ、また存在全体で生きるものですが、そのためには何より先ず心が平和で満たされなくてはならない、ということです。ではいかがでしょうか、皆さんの中に平和はあるのでしょうか。今、平和の中で生きているのでしょうか。


<福音書> ヨハネによる福音書 2章1~11節


1三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。 2イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた。 3ぶどう酒が足りなくなったので、母がイエスに、「ぶどう酒がなくなりました」と言った。 4イエスは母に言われた。「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。」 5しかし、母は召し使いたちに、「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と言った。 6そこには、ユダヤ人が清めに用いる石の水がめが六つ置いてあった。いずれも二ないし三メトレテス入りのものである。 7イエスが、「水がめに水をいっぱい入れなさい」と言われると、召し使いたちは、かめの縁まで水を満たした。 8イエスは、「さあ、それをくんで宴会の世話役のところへ持って行きなさい」と言われた。召し使いたちは運んで行った。 9世話役はぶどう酒に変わった水の味見をした。このぶどう酒がどこから来たのか、水をくんだ召し使いたちは知っていたが、世話役は知らなかったので、花婿を呼んで、 10言った。「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、酔いがまわったころに劣ったものを出すものですが、あなたは良いぶどう酒を今まで取って置かれました。」 11イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。」 

今週のメッセージ一覧へ