聖路加国際大学 聖ルカ礼拝堂

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2025年7月13日(聖霊降臨後第5主日)(2025/07/15)

「 傷を負う治癒者 」

現代を代表する霊性家であるヘンリ・ナーウェン(Henri Jozef Machiel Nouwen、1932-1996)の著書のタイトルでもある「傷を負う治癒者(wounded healer)」という概念があります。「傷ついた癒し人」とか「傷ついた癒し手」とも訳されますが、言葉が表している通り、自分が傷を負った記憶を持っているからこそ、今傷ついている人々の心が理解できて癒すことができるという概念です。元々は深い傷を負いながらも他者を癒す力を持つ存在としてギリシャ神話に登場するケイローン(Chiron)の物語に由来し、さらに深層心理学者カール・ユング(Carl Gustav Jung、1875-1961)が人間の心理や精神的な成長のために欠かせない理論として取り上げ、現在では心理学や心理療法のみならず宗教や霊性の領域においても深い洞察を与える理論となっています。カール・ユングが“自分自身の傷が、治癒力の尺度となる。”と語ったように、心に傷がある人だからこそ心理的な支援や治癒に能力を発揮することができるのですが、善きサマリア人こそが「傷を負う治癒者」の原型だったと言えます。

聖書には良きサマリア人の個人名が記されていません。それは良きサマリア人が特定の誰かではなく、不特定多数のサマリア人全体、つまり長い間ユダヤ人から差別されてきた民族のことを指していると考えられます。ユダヤ人はサマリア人を汚れた民族だと差別し、決して彼らが住んでいる土地には入ることはありませんでした。ところが、そんなサマリア人が追いはぎに襲われた人を助けました。なぜサマリア人は、祭司とレビ人が知らないふりをして通り過ぎた追いはぎに襲われた人を助けたのでしょうか。それはサマリア人こそが痛みや苦しみとは何かについて誰よりも知っていたからです。差別の中で痛みと悲しみと供に生きてきたので、追いはぎに襲われて痛んでいる人の心を誰よりも知っていて、さらにその人を癒すために配慮し行動することができたのです。善きサマリア人がまさに「傷を負う治癒者」だったわけです。
冬のヒマラヤ山脈の吹雪の中を歩いていた二人がいました。先方を歩いていた人が道端に倒れている人を見つけました。彼は“可哀想な運命だ。”と思い、そのまま通り過ぎました。数時間ほど送れてその後ろから歩いていたもう一人も倒れていた同じ人を見つけました。彼は余計なことを考えず先ずその人を背負って歩き始めました。そうやって何時間か進んだとき、雪に覆われている何かが足にあたりました。雪をよけて見てみるとそれは自分より先に歩いていた人で、道端に倒れていた人を通り過ぎた人でしたが既に死んでいました。一方、死に掛けていた人を背負って歩いていた人は、ありったけの力を尽くして歩いたおかげで体温が上がり、その体温によって背負っていた人も自分も厳しい寒さを乗り越えて生き残ることができたのです。これは実話であって、その良いサマリア人のような人はインドの聖者と言われているスンダール・シング(Sundar Singh、1889-?)です。

スンダール・シンも善きサマリア人も「傷を負う治癒者」でした。彼らとって道端に倒れていた人は、他人ではありませんでした。死を目前にして倒れていた人は、過去、社会的な差別と抑圧の中で苦しんだ自分と違う人ではなかったのです。まさに自分の分身であり、もう一人の自分だったのです。そういった側面から考えてみますと、私たちが善きサマリア人になることは、先ず自分自身が痛みや悲しみをもっている追いはぎに襲われた人、道端に倒れている人であるということを認めることだと言えます。過去、追いはぎに襲われたことがあるとか、現在痛みと悲しみの中にいることを認め、ありのまま表すということです。そのように生きられたとき、それが自分のことはもちろん、誰かの癒しにつながります。傷や闇こそが私たちを癒しへ、誰かへの治癒者へ、究極的には自分自身を救いへと導くことになるのです。今日の「傷を負う治癒者」である私たちひとり一人の上に、神様の慰めと導きが豊かにありますようにお祈りいたします。



<福音書> ルカによる福音書 10章25~37節

25すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試そうとして言った。「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」 26イエスが、「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」と言われると、 27彼は答えた。「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」 28イエスは言われた。「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」 29しかし、彼は自分を正当化しようとして、「では、わたしの隣人とはだれですか」と言った。 30イエスはお答えになった。「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。 31ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。 32同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。 33ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、 34近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。 35そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』 36さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」 37律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」



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