「 思いを切る 」
テレビでの相撲中継を見ると度々耳にする言葉があります。それは「思い切り」です。例えば、格下の力士が大関や横綱に土を入れた後のインタビューで“いろいろ考えるよりは、胸を借りるつもりで思い切って当たりました。”とか“思い切って前に進んだら、体が自然に動きました。”という話をよく聞きます。辞書的に思い切りは、決断する・諦めるという意味を持っていますが、元々は思いを切り捨てる、自分の思いではなく根源的な力に頼るという意味ではなかったのかと推察いたします。つまり思い切りとは、積極的に自分の思いを捨てて根本的でより大きな力に委ねるということです。そのような状態を座禅では空・無という言葉で表現することもあり、キリスト教で言う黙想や観想もその一環だと言えます。
その「思い切り」という言葉を用いて今日の福音書を読み解くことができます。キリストは「富がなくなったとき、あなたがたは永遠の住いに迎え入れてもらえる。」(9節)と語られました。これは救いとはどのようにしてもたらされるのかということについての教えです。これによりますと救いは富がなくなったときに与えられますが、その富とは単に金や財産そのものよりは、それに支配されている心のことを指します。キリストが「あなたの宝があるところに、あなたの心もあるのだ。」(ルカ12:34)と語られたように、金や財産に支配されている心を浄めること、つまり世俗の価値観に染められた思いを切り捨てることこそが、私たちに救いをもたらす動因になるのです。
では思いを切り捨てることは、具体的な実践としてはどのようにすることなのでしょうか。また相撲の例を挙げます。日本の相撲は一番勝負なので、土俵に立つ力士にとって迷いを無くすために思いを切るということは、まさに勝負のカギになります。瞬間的な判断と決断、また稽古を通して出てくる体の自然的な動きが一番勝負の決め手となるのです。力士の体は入門以来の毎日の稽古の中、汗とともに思いを切り捨てながら作り上げたものとして、体全体には相撲そのものが記憶されています。それゆえ、稽古が十分であればある程、体に染み込んだ動きが自然に出るようになり、思い切った勝負が勝利をもたらすのです。
人間の営みとして仕事・人間関係・家族・学問・信仰など、またそれらの総括とも言える人生そのものについてもその延長線上で理解することができます。心理学者で哲学者であるウィリアム・ジェームズ(William James、1842-1910)は“心と思いに気をつけなさい。それが言葉になるから。言葉使いに気をつけなさい。それが行動になるから。行動に気をつけなさい。それが習慣になるから。習慣に気をつけなさい。それが人格になるから。人格に気をつけなさい。それが人生そのものになるから。”という言葉を残しました。私たちが心と思いの中に何を入れているのか、またそれを表す言葉・行動・習慣・人格によって日々の営みの中身と人生そのものの在り方は変わります。
キリスト教には、全ての人間には神様についての記憶が潜在されているという思想があります。しかし、誰もが持っているはずの神様についての記憶を思い起こすことはそう簡単なことではありません。仮に心と思いが金や財産に支配されているのであれば、そのような心と思いを切り捨てることがまず求められます。つまり、神様についての記憶が金で象徴される世俗の価値観によって遮られているとしますと、その隔たりの幕を一枚一枚剥がさなくてはならないのです。そのためにキリスト教では、祈りや黙想を行う伝統的が受け継がれていますが、その思いを切る過程を通して神様についての記憶を存在の中心から汲みあげるようになります。そういった意味で、祈りと黙想は信仰的な稽古だと言えるでしょう。
<福音書> ルカによる福音書 16章1~13節
1イエスは、弟子たちにも次のように言われた。「ある金持ちに一人の管理人がいた。この男が主人の財産を無駄遣いしていると、告げ口をする者があった。 2そこで、主人は彼を呼びつけて言った。『お前について聞いていることがあるが、どうなのか。会計の報告を出しなさい。もう管理を任せておくわけにはいかない。』 3管理人は考えた。『どうしようか。主人はわたしから管理の仕事を取り上げようとしている。土を掘る力もないし、物乞いをするのも恥ずかしい。 4そうだ。こうしよう。管理の仕事をやめさせられても、自分を家に迎えてくれるような者たちを作ればいいのだ。』 5そこで、管理人は主人に借りのある者を一人一人呼んで、まず最初の人に、『わたしの主人にいくら借りがあるのか』と言った。 6『油百バトス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。急いで、腰を掛けて、五十バトスと書き直しなさい。』 7また別の人には、『あなたは、いくら借りがあるのか』と言った。『小麦百コロス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。八十コロスと書き直しなさい。』 8主人は、この不正な管理人の抜け目のないやり方をほめた。この世の子らは、自分の仲間に対して、光の子らよりも賢くふるまっている。 9そこで、わたしは言っておくが、不正にまみれた富で友達を作りなさい。そうしておけば、金がなくなったとき、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる。 10ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である。 11だから、不正にまみれた富について忠実でなければ、だれがあなたがたに本当に価値あるものを任せるだろうか。 12また、他人のものについて忠実でなければ、だれがあなたがたのものを与えてくれるだろうか。 13どんな召し使いも二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」