聖路加国際大学 聖ルカ礼拝堂

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2025年11月16日(聖霊降臨第23主日)(2025/11/20)

「 世界という教会 」

『平和の祈り』で知られているアッシジの聖フランチェスコ(Francesco d'Assisi、1182-1226)がいます。アッシジの聖フランシスコとも言いますが、おそらくフランシスコ・ザビエル(Francisco de Xavier、1506-1552)やマザー・テレサ(Mother Teresa、1910-1997)と共に日本で最も知られている聖人かもしれません。「托鉢の聖人」「清貧の聖人」とも呼ばれるアッシジの聖フランチェスコには沢山の伝説があります。例えば、着ている服を脱いで裸になって父親に“すべてをお返します。”と差し出して親子の縁を切ったとか、フランチェスコの純粋さのあまり鳥などの動物までが彼のメッセージに耳を傾けたなど色々ありますが、彼には神様に呼ばれるきっかけになった以下のような出来事がありました。

アッシジの聖フランチェスコがまだ改心して間もないころのことです。彼がアッシジ郊外の荒れ果てた小さなサン・ダミアノ(San Damiano)教会で祈っていたとき、磔の十字架のキリスト像から“フランチェスコよ、行って私の教会を建て直しなさい。見ての通り崩れ落ちそうだ。”という声を聞きました。彼は最初それを文字通り受け取り、サン・ダミアノ教会から始めて地域のいくつかの教会を修復しました。しかし、しばらく経ってから、それは物理的な空間としての教会ではなく、霊的な教会を再建すること、つまり信仰共同体を刷新するという使命であったことを悟ります。そして彼は、徹底して福音に基づいて生きること、ことに無所有を理念とする共同体を設けようと考えました。それで教皇インノゲンティウス3世(Innocentius Ⅲ、1161-1216)に修道会の設立を願い出ました。教皇は彼の粗末な服装や清貧についての主張に懸念を抱いて承認をためらいました。ところがその夜、神様の啓示のような夢を見ました。夢の中、大聖堂が今でも倒れそうに傾いていて一人の若者が支えていたのですが、それが昼間会ったフランチェスコでした。この夢によって教皇はフランチェスコの背後に神様の存在を感じ、新しい修道会「フランチェスコ会(Ordo Fratrum Minorum(OFM;小さき兄弟会という意味)」の設立を許可しました。教派を超えて世界中に広がっているフランチェスコ会は、今も福音に基づき教会を建て直すための働きをしています。

さて、かつてキリストが、荒れ果て崩れそうなサン・ダミアノ(San Damiano)教会で祈っていたアッシジの聖フランチェスコに語られた“行って私の教会を建て直しなさい。”という言葉は、時空を超えて21世紀の日本に生きている私たちにとっても意味があるのでしょうか。キリストが語られた「教会」が何を指しているのかによって、その言葉が私たちに意味があるかどうかを知るようになります。辞書的定義で「教会」はギリシャ語のエクレシア(ekklēsia)に由来し、神様に呼ばれた人々の集いのことを意味しますが、より根本的には神様の霊によって生かされている私たち、つまり命ある一人ひとりのことを指すと言えます。聖書の第Ⅰコリントの信徒への手紙3章には「あなたがたは神の神殿であり、神の霊が自分の内に住んでいることを知らないのですか。神の神殿を壊す者がいれば、神はその人を滅ぼされます。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたはその神殿なのです。」(16‐17節)とあります。ここで言う神殿は今の時代の「教会」に当たりますが、まさに神の霊によって生かされている命ある一人ひとりが「教会」そのものであり、神様にとっては何より大事で聖なる存在だと語っています。

そのように「教会」とは、神様から命を頂いて生きている私たち、また神様によって呼ばれている一人ひとりによって成り立つ共同体のことなのです。その延長線上でもう少し想像力を膨らませてみると、「教会」とは単にキリスト教でいうところの教会だけではなく、もっと広い意味があることが分かります。古生物学者・地質学者でもあったローマカトリックの司祭ピエール・テイヤール・ド・シャルダン(Pierre Teilhard de Chardin、1881-1955)は著書『世界の上で捧げる聖餐式(La messe sur le monde)』の中で、礼拝を捧げる祭壇は大地であり、その上で私たちのすべての労働と労苦を、すべての成長と進化を神様に捧げると詠いました。彼の告白のように、大地が祭壇であるならば、この世界こそが「教会」そのものであり、その中での私たちは価値のある営みを神様に捧げるのです。そういった意味で視野を広げてみると、「教会」とは命ある一人ひとりが関わっているすべての組織や共同体、例えば、家庭・会社・学校・病院・地域・生態系によって構成されている世界全体だと理解することもできます。ではいかがでしょうか、世界という「教会」、それを構成している私たち一人ひとりという「教会」は、今どのような状態なのでしょうか。キリストが語られたように、今でも崩れ落ちそうな状態になっているのではないでしょうか。


<福音書> ルカによる福音書 21章5~19節

5ある人たちが、神殿が見事な石と奉納物で飾られていることを話していると、イエスは言われた。 6「あなたがたはこれらの物に見とれているが、一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る。」


7そこで、彼らはイエスに尋ねた。「先生、では、そのことはいつ起こるのですか。また、そのことが起こるときには、どんな徴があるのですか。」 8イエスは言われた。「惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』とか、『時が近づいた』とか言うが、ついて行ってはならない。 9戦争とか暴動のことを聞いても、おびえてはならない。こういうことがまず起こるに決まっているが、世の終わりはすぐには来ないからである。」 10そして更に、言われた。「民は民に、国は国に敵対して立ち上がる。 11そして、大きな地震があり、方々に飢饉や疫病が起こり、恐ろしい現象や著しい徴が天に現れる。 12しかし、これらのことがすべて起こる前に、人々はあなたがたに手を下して迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために王や総督の前に引っ張って行く。 13それはあなたがたにとって証しをする機会となる。 14だから、前もって弁明の準備をするまいと、心に決めなさい。 15どんな反対者でも、対抗も反論もできないような言葉と知恵を、わたしがあなたがたに授けるからである。 16あなたがたは親、兄弟、親族、友人にまで裏切られる。中には殺される者もいる。 17また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。 18しかし、あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない。 19忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい。」


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