「 労働 」
“働いて働いて働いて働いて働いてまいります。”(第219臨時国会、高市首相の所信表明演説の中)という言葉が流行語大賞にもなりました。ところで今日の福音書の中で漁師たちは、キリストに呼ばれてすぐさま漁師という仕事から離れてキリストに従いました。少し不自然さが感じられるこの個所は、キリスト教を批判する材料として用いられることもあります。仕事や家族を捨ててキリストに従った弟子たちのことを無責任だ、働くことを辞めてしまうと本人はともかく家族はどうなるのかと批判するのです。さらにキリストについても、何の働きもしなかったホームレスの原形に過ぎないと冷ややかな態度をとることもあります。世の現実的な価値観からすると、キリストに従った弟子たちは無責任にも漁師という仕事を辞めた人であり、元々大工だったキリストも公生涯の三年間は働かずに無為徒食したかのように見えがちです。ところが少し根本的な観点からみますと、弟子たちとキリストは働くことを捨てたのではなく、その内容と質を変えたと受け止めることができます。
キリストが弟子たちを呼ぶときに「人間をとる漁師にしよう。」(19節)と言われたように、弟子たちは魚をとる漁師から人間をとる漁師へと働きの内容を変えた、そして仕事場を船と湖から世のあらゆるところへと広めたと理解することができます。キリストもヨハネ福音書で「私の父は今もなお働いていておられる。だから、私も働くのだ。」(5章17節)と語られたように、決して働くことをやめたのではありません。人が使う家具や屋根などを直す大工から人の心と魂を直す大工へ、人の家を建てる大工から神の国を建てる大工へと、働きの内容と質を変えただけなのです。言うまでもなく労働し職業を持つことは、金儲けだけが目的ではありません。経済的な目的以外にも働くことには意味があるのですが、キリストと弟子たちを通して働くことの本質について知ることができます。キリスト教の思想に準じますと働くことは、一つ目に「神の創造に参与する」ことであり、二つ目に「神の国を具現していく過程」であります。それこそキリストと弟子たちの働きの内容なのですが、その精神を受け継いだ多くの霊性家たちは働くことを聖なる行いとして受け止め、三つ目に「働くことは祈りである(ora et labora)」という伝統を教会に残しました。
あるお年寄りが毎日市場に出て玉ねぎを売っていました。市場を観光するアメリカ人が来て値段交渉を始めた挙句“ここにあるものを全部買うといくらにしてくれますか。”と聞きました。するとお年寄りはあっさりと“全部は売りません。”と言いました。“なぜですか。玉ねぎを売るために市場に出ているのではないですか。”するとお年寄りは“わしは、ただ玉ねぎを売るためではなく、人生を買うため来ているのです。”という予想外のことを言い出し、続けて言いました。“わしはこの市場を愛しています。行き来している人々、暖かい日差し、風にそよぐシュロの木を愛しています。友達と一緒にたばこを吸い、子どもたちと話し合うことが好きです。そのために一日中ここに座って一生懸命に作った玉ねぎを売っているのです。だから、玉ねぎを全部売りますと、わしの一日は終わり愛することも失ってしまいます。そういう訳で全部売ることはできません。”
お年寄りにとって玉ねぎを作って売る過程は、単なる商売の行為だけではありませんでした。“人生を買うためここに来ている。…だから一生懸命に育てた玉ねぎを一気に全部を売ることはしない。”という言葉からも想像できるように、それは神の創造に参与する行為として、まさに祈りそのものだと言えます。毎日、人生の一部だとも言える市場に座って、行き来する人々と交わり自然に触れながら、愛するその場で神の国を具現していたのです。お年寄りが働くことや職業を持つことの本来の意味を伝えている存在だとすると、アメリカ人は何ごとも金で換算し効率や結果だけを求める現代人に喩えることができます。ではいかがでしょうか、本来聖なる営みである皆さんの働きは、今どのようになっているのでしょうか。
<福音書> マタイによる福音書 4章12~23節
12イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた。 13そして、ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町カファルナウムに来て住まわれた。 14それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。
15「ゼブルンの地とナフタリの地、
湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、
異邦人のガリラヤ、
16暗闇に住む民は大きな光を見、
死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。」
17そのときから、イエスは、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って、宣べ伝え始められた。
18イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、二人の兄弟、ペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが、湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。 19イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。 20二人はすぐに網を捨てて従った。 21そこから進んで、別の二人の兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父親のゼベダイと一緒に、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、彼らをお呼びになった。 22この二人もすぐに、舟と父親とを残してイエスに従った。
23イエスはガリラヤ中を回って、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、また、民衆のありとあらゆる病気や患いをいやされた。






