聖路加国際大学 聖ルカ礼拝堂

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2026年3月8日(大斎節第3主日)(2026/03/12)

「 女の一生(Une vie) 」

室町時代の僧侶で詩人の一休宗純(1394‐1481)は「世の中の娘が嫁と花咲いて嬶としぼんで婆と散りゆく」と詠いました。使われた漢字を取り上げて説明を加えますとこうなります。女性は、その一生において娘時代が一番良いときなので女偏に良いと書きます。娘が結婚して人の家に入ると嫁となります。嫁に子どもが生まれると嬶(カカ・カカア)と言われますが、家内の中心であるお母さんは鼻高くてどっしりするので女偏に鼻と書くのです。段々額に波がよってくると女の上に波と書いて婆となり、最後は死んで散っていくのです。男性も似た人生サイクルを辿っていくのですが、社会の現実的な面において女性の一生の方が男性より過酷であることは否めません。

聖書にも過酷な人生を送った女性が多く登場しますが、今日の福音書のサマリアの女性もその一人です。彼女には過去に夫が五人もいました。ところが、ここで言う夫については実質的な側面と象徴的な側面の両方から解釈する必要があります。当時の風習と律法に準じますと女性は離婚する権利を持たず、実際に離婚の主な原因は夫の方にありました。それゆえ、過去に五人の夫があったということは、彼女には五回も離婚される辛い記憶があったということになります。それに加えて聖書に記されている結婚、また夫と妻の象徴的な意味を探ってみますと、伝統的にイスラエル民族は結婚という比喩を用いて神様との契約関係のことを表しました。イスラエル民族のことを花嫁に、神様のことを花婿に喩えて表現したのです。キリストもしばしば婚礼のたとえ話を用いて、ご自身のことを花婿に喩えられました(例:マルコ2:19-20)。

こういう理解に準じますと、サマリアの女性の過去にあった五人の夫や今の連れ合いというのは、真の夫であるキリストに出会うことができなかったため、渇いている心と魂を満たすためかつて頼りにしていた何かであった、というふうに解釈できます。キリストの「私が与える水を飲む者は決して渇かない。」(14節)というお話に対して、彼女の「主よ、渇くことがないように … その水をください。」(15節)という求めは、渇いていた彼女の心と魂がどれほど満たされることを渇望し、その日が訪れることを待っていたのかを物語っているように聞こえます。
キリストに出会う前のサマリアの女性の人生は、フランスの作家ギ・ド・モーパッサン(Guy de Maupassant、1850-1893)の小説『女の一生(Une vie)』のことを思い起こさせます。『女の一生』には、主人公のジャンヌ(Jeanne)が人生における様々な不幸を経験していく様が描かれています。裕福な貴族の一人娘として生まれ、幸せな少女として育てられた彼女は、質が悪い旦那に裏切られることを初めとして、次々両親、子ども、孫にと相手を変えながら愛を求めざるを得ない人生を送ります。実は『女の一生』のフランス語の原題は『人生(Une vie)』となっているのですが、それを見ますとこの作品は不幸な人生を送り悲惨な最期を迎えた作家モーパッサン自身のことを物語っているようにも思われます。因みにモーパッサンのお墓には「私は全てを所有しようとしたが、結局何も得ることができなかった。」と書いてあるのです。

では、不幸な人生を送ったが、真の夫に象徴されるキリストに出会って救われたサマリアの女性に自分自身のことを照らし合わせてみますと、皆さんの過去と今はどうなのでしょうか。皆さんにとって過去の象徴的な夫にはどういうものがあるでしょうか。つまり、渇いている心と魂を満たすために、皆さんは何を求め頼りにしていたのでしょうか。置かれている環境や生活の条件によって、財産・家族・子ども・趣味・名誉・仕事・価値観・知識など、それぞれ違うと思いますが、皆さんは何人の夫を持っていたのでしょうか。そして今は何を求め、また頼りにしているのでしょうか。自分自身に自由・尊厳・喜び・謙遜・勇気などを与え、救いへと導く存在に出会っているのでしょうか。


<福音書> ヨハネによる福音書 4章5~26, 39~42節

5それで、ヤコブがその子ヨセフに与えた土地の近くにある、シカルというサマリアの町に来られた。 6そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅に疲れて、そのまま井戸のそばに座っておられた。正午ごろのことである。
7サマリアの女が水をくみに来た。イエスは、「水を飲ませてください」と言われた。 8弟子たちは食べ物を買うために町に行っていた。 9すると、サマリアの女は、「ユダヤ人のあなたがサマリアの女のわたしに、どうして水を飲ませてほしいと頼むのですか」と言った。ユダヤ人はサマリア人とは交際しないからである。 10イエスは答えて言われた。「もしあなたが、神の賜物を知っており、また、『水を飲ませてください』と言ったのがだれであるか知っていたならば、あなたの方からその人に頼み、その人はあなたに生きた水を与えたことであろう。」 11女は言った。「主よ、あなたはくむ物をお持ちでないし、井戸は深いのです。どこからその生きた水を手にお入れになるのですか。 12あなたは、わたしたちの父ヤコブよりも偉いのですか。ヤコブがこの井戸をわたしたちに与え、彼自身も、その子供や家畜も、この井戸から水を飲んだのです。」 13イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。 14しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」 15女は言った。「主よ、渇くことがないように、また、ここにくみに来なくてもいいように、その水をください。」
16イエスが、「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい」と言われると、 17女は答えて、「わたしには夫はいません」と言った。イエスは言われた。「『夫はいません』とは、まさにそのとおりだ。 18あなたには五人の夫がいたが、今連れ添っているのは夫ではない。あなたは、ありのままを言ったわけだ。」 19女は言った。「主よ、あなたは預言者だとお見受けします。 20わたしどもの先祖はこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムにあると言っています。」 21イエスは言われた。「婦人よ、わたしを信じなさい。あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。 22あなたがたは知らないものを礼拝しているが、わたしたちは知っているものを礼拝している。救いはユダヤ人から来るからだ。 23しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。 24神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。」 25女が言った。「わたしは、キリストと呼ばれるメシアが来られることは知っています。その方が来られるとき、わたしたちに一切のことを知らせてくださいます。」 26イエスは言われた。「それは、あなたと話をしているこのわたしである。」

39さて、その町の多くのサマリア人は、「この方が、わたしの行ったことをすべて言い当てました」と証言した女の言葉によって、イエスを信じた。 40そこで、このサマリア人たちはイエスのもとにやって来て、自分たちのところにとどまるようにと頼んだ。イエスは、二日間そこに滞在された。 41そして、更に多くの人々が、イエスの言葉を聞いて信じた。 42彼らは女に言った。「わたしたちが信じるのは、もうあなたが話してくれたからではない。わたしたちは自分で聞いて、この方が本当に世の救い主であると分かったからです。」

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